造花の開く頃に

有箱

文字の大きさ
上 下
122 / 122

最終話

しおりを挟む
[1月26日、水曜日+]
 翌日、月裏と譲葉はそれぞれの口から、まずは祖母に、それから高槻夫婦に意向を伝えた。
 祖母は心配そうに、でも嬉しそうにしていた。高槻夫婦は心よりの喜びを、こちらが気恥ずかしくなるほどの声で伝えてくれた。何年後でも待っていると、慣れるまで、気が許せるようになるまで何度でも行くと言ってくれた。

 約束は有言実行され、高槻夫婦はその日以降何度も顔を見せてくれた。相変わらずの優しさと気遣いは、印象を良くするばかりだった。
 その間、何度か気持ちを揺らしながらも、決意は曲げずに維持し、時は流れていった。



 晴れ間の眩しい午前11時、月裏と譲葉は玄関に立っていた。見慣れすぎた廊下や玄関を、しみじみ見詰める。
 造花のあった場所は綺麗に掃除されており、元の何一つない空間に戻っていた。元々少なかった靴も、今は自分達の履いている物しかない。

「……一気に殺風景になった感じがするね」
「そうだな」
「……お世話になりました」

 月裏は暮らしてきた数年を懐古し、その場で軽くお辞儀した。譲葉もその姿を見て、戸惑いながらも軽く会釈した。

「じゃあ、行こうか」

 自らが先に外に出て扉を開き、譲葉が潜るのを待つ。
 潜った譲葉が目礼した所で、二人はまた歩き出した。肩には少量の荷物と、手の平には二つの鍵がある。
 握り締めたまま階段を下りると、掃き掃除に勤しむ女性を見つけた。

「あっ、あのすみません、朝日奈です」
「待っていたよ」

 振り向いた初老の女性は、緩い笑みを飾っていた。月裏は、先程おこなった物より深くお辞儀した。

「長い間お世話になりました、これ鍵です」
「……本当に行くんだねぇ、大丈夫?」

 受け取った鍵を見ながら、心配そうに表情を変えた女性こそ、このアパートの大家だ。
 母親が自殺した時の事も、月裏が未遂を起こした時の事も、譲葉がやってきた事も、全ての動きを知っている数少ない人物である。

「…………色々と、ご迷惑お掛けしました……」

 色々と不穏な気配を見せたのにも拘らず、深い干渉も咎めもしずに家に置いてくれていた。

「いや、気にしなくて良いんだよ。それより心配ばっかりだわぁ……頑張り過ぎないようにね?」
「……ご心配ありがとうございます……」

 それどころか、ずっと心配してくれていたらしい。
 以前、譲葉からチラッと話を聞いた際は疑いをかけてしまったが、今なら優しさが本物であると素直に信じられる。
 味方が居ないと嘆いていた時でさえ、味方はすぐ近くにいたのだとも今更知った。もっと早くに気付けたらと、少しだけ後悔している。

 彩音の事もそうだ、今なら素直に向き合える気がする。
 今度会った時は、誇らしく笑顔を見せよう。そして、謝罪と感謝をたくさん告げよう。
 そうしたらきっと、彼女も笑ってくれるだろう。

 いつも中身を確認したポストにも、既に朝日奈の名詞はなく、もう誰の物でもなくなっている。
 始まりは一通の手紙だった。このポストに祖母からの手紙が入っていて、譲葉との生活が始まったのだ。変化の原点とも言えるかもしれない。
 様々な出来事に立ち向かった、長いようで短い日々を思い出す。

 仕事は、譲葉の治療が大分と落ち着きを見せ、高槻家に行く日程を決定した後日、一ヵ月後の枠を設けて辞職した。上司が残念そうにしていた時は心が揺れたが、自らの意志で行動できた事に満足感もあった。
 新しい仕事は、向こうに行ったら地道に探すつもりだ。

「月裏くーん、譲葉くーん!」
「「あっ、総真さん!」」

 車外に出て手を振る総真を見つけ、声が被り、譲葉と月裏は互いを見合う。瞬間、可笑しそうに一笑した。
 車を見た時、助手席から手を振っている嘉代も見つけ、二人して小さく振り返す。

「忘れ物は無い?」
「無い、完璧だ」
「後ろ開けてあるから乗ってね」
「うん、ありがとう。譲葉くん乗ろう」

 記憶にも残らない会話を交わし、譲葉を筆頭に車内に乗り込む。車内はフローラルな香りがした。

「じゃあ発進するよー!」

 総真の掛け声に嘉代の笑い声が加わり、後部座席の二人も笑った。

 去り行く故郷の景色を眺めながら、祖母も含めて五人、他愛ない話をして笑い合う未来を想像した。これで何度めかの想像だ。
 以前なら幻想だと諦めていたが、今は現実になると信じられる。

 肘掛けに置いていた手の上に感触を感じ、振り向くと譲葉の手が軽く重なっていた。何かを伝えたかった訳では無いらしく、重ねられただけで目線は無い。
 窓方面に傾く譲葉の横顔は、優しく景色を眺めていた。小さな期待と喜び、そして不安に揺れる譲葉の表情や行動は、同じ状況下にある月裏を些か強めた。

 重なった手の上に、もう一方の手を乗せ握り締める。ぎゅっと力を込めながら、微笑んで再度窓を見た。

 これから先、問題は幾つも起こるだろう。何度も泣いたり苦しんだりするに違いない。
 もしかすると、悩んで死にたくなる日も来るかもしれない。後悔する日もあるかもしれない。

 けれど、それらを全て受け容れて、踏み出した先に幸せはきっとある。
 僕らは絶対、幸せになれる。


しおりを挟む

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

【R18】もう一度セックスに溺れて

ちゅー
恋愛
-------------------------------------- 「んっ…くっ…♡前よりずっと…ふか、い…」 過分な潤滑液にヌラヌラと光る間口に亀頭が抵抗なく吸い込まれていく。久しぶりに男を受け入れる肉道は最初こそ僅かな狭さを示したものの、愛液にコーティングされ膨張した陰茎を容易く受け入れ、すぐに柔らかな圧力で応えた。 -------------------------------------- 結婚して五年目。互いにまだ若い夫婦は、愛情も、情熱も、熱欲も多分に持ち合わせているはずだった。仕事と家事に忙殺され、いつの間にかお互いが生活要員に成り果ててしまった二人の元へ”夫婦性活を豹変させる”と銘打たれた宝石が届く。

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

同僚くすぐりマッサージ

セナ
大衆娯楽
これは自分の実体験です

妻がヌードモデルになる日

矢木羽研
大衆娯楽
男性画家のヌードモデルになりたい。妻にそう切り出された夫の動揺と受容を書いてみました。

若妻の穴を堪能する夫の話

かめのこたろう
現代文学
内容は題名の通りです。

処理中です...