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最終話
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[1月26日、水曜日+]
翌日、月裏と譲葉はそれぞれの口から、まずは祖母に、それから高槻夫婦に意向を伝えた。
祖母は心配そうに、でも嬉しそうにしていた。高槻夫婦は心よりの喜びを、こちらが気恥ずかしくなるほどの声で伝えてくれた。何年後でも待っていると、慣れるまで、気が許せるようになるまで何度でも行くと言ってくれた。
約束は有言実行され、高槻夫婦はその日以降何度も顔を見せてくれた。相変わらずの優しさと気遣いは、印象を良くするばかりだった。
その間、何度か気持ちを揺らしながらも、決意は曲げずに維持し、時は流れていった。
◆
晴れ間の眩しい午前11時、月裏と譲葉は玄関に立っていた。見慣れすぎた廊下や玄関を、しみじみ見詰める。
造花のあった場所は綺麗に掃除されており、元の何一つない空間に戻っていた。元々少なかった靴も、今は自分達の履いている物しかない。
「……一気に殺風景になった感じがするね」
「そうだな」
「……お世話になりました」
月裏は暮らしてきた数年を懐古し、その場で軽くお辞儀した。譲葉もその姿を見て、戸惑いながらも軽く会釈した。
「じゃあ、行こうか」
自らが先に外に出て扉を開き、譲葉が潜るのを待つ。
潜った譲葉が目礼した所で、二人はまた歩き出した。肩には少量の荷物と、手の平には二つの鍵がある。
握り締めたまま階段を下りると、掃き掃除に勤しむ女性を見つけた。
「あっ、あのすみません、朝日奈です」
「待っていたよ」
振り向いた初老の女性は、緩い笑みを飾っていた。月裏は、先程おこなった物より深くお辞儀した。
「長い間お世話になりました、これ鍵です」
「……本当に行くんだねぇ、大丈夫?」
受け取った鍵を見ながら、心配そうに表情を変えた女性こそ、このアパートの大家だ。
母親が自殺した時の事も、月裏が未遂を起こした時の事も、譲葉がやってきた事も、全ての動きを知っている数少ない人物である。
「…………色々と、ご迷惑お掛けしました……」
色々と不穏な気配を見せたのにも拘らず、深い干渉も咎めもしずに家に置いてくれていた。
「いや、気にしなくて良いんだよ。それより心配ばっかりだわぁ……頑張り過ぎないようにね?」
「……ご心配ありがとうございます……」
それどころか、ずっと心配してくれていたらしい。
以前、譲葉からチラッと話を聞いた際は疑いをかけてしまったが、今なら優しさが本物であると素直に信じられる。
味方が居ないと嘆いていた時でさえ、味方はすぐ近くにいたのだとも今更知った。もっと早くに気付けたらと、少しだけ後悔している。
彩音の事もそうだ、今なら素直に向き合える気がする。
今度会った時は、誇らしく笑顔を見せよう。そして、謝罪と感謝をたくさん告げよう。
そうしたらきっと、彼女も笑ってくれるだろう。
いつも中身を確認したポストにも、既に朝日奈の名詞はなく、もう誰の物でもなくなっている。
始まりは一通の手紙だった。このポストに祖母からの手紙が入っていて、譲葉との生活が始まったのだ。変化の原点とも言えるかもしれない。
様々な出来事に立ち向かった、長いようで短い日々を思い出す。
仕事は、譲葉の治療が大分と落ち着きを見せ、高槻家に行く日程を決定した後日、一ヵ月後の枠を設けて辞職した。上司が残念そうにしていた時は心が揺れたが、自らの意志で行動できた事に満足感もあった。
新しい仕事は、向こうに行ったら地道に探すつもりだ。
「月裏くーん、譲葉くーん!」
「「あっ、総真さん!」」
車外に出て手を振る総真を見つけ、声が被り、譲葉と月裏は互いを見合う。瞬間、可笑しそうに一笑した。
車を見た時、助手席から手を振っている嘉代も見つけ、二人して小さく振り返す。
「忘れ物は無い?」
「無い、完璧だ」
「後ろ開けてあるから乗ってね」
「うん、ありがとう。譲葉くん乗ろう」
記憶にも残らない会話を交わし、譲葉を筆頭に車内に乗り込む。車内はフローラルな香りがした。
「じゃあ発進するよー!」
総真の掛け声に嘉代の笑い声が加わり、後部座席の二人も笑った。
去り行く故郷の景色を眺めながら、祖母も含めて五人、他愛ない話をして笑い合う未来を想像した。これで何度めかの想像だ。
以前なら幻想だと諦めていたが、今は現実になると信じられる。
肘掛けに置いていた手の上に感触を感じ、振り向くと譲葉の手が軽く重なっていた。何かを伝えたかった訳では無いらしく、重ねられただけで目線は無い。
窓方面に傾く譲葉の横顔は、優しく景色を眺めていた。小さな期待と喜び、そして不安に揺れる譲葉の表情や行動は、同じ状況下にある月裏を些か強めた。
重なった手の上に、もう一方の手を乗せ握り締める。ぎゅっと力を込めながら、微笑んで再度窓を見た。
これから先、問題は幾つも起こるだろう。何度も泣いたり苦しんだりするに違いない。
もしかすると、悩んで死にたくなる日も来るかもしれない。後悔する日もあるかもしれない。
けれど、それらを全て受け容れて、踏み出した先に幸せはきっとある。
僕らは絶対、幸せになれる。
翌日、月裏と譲葉はそれぞれの口から、まずは祖母に、それから高槻夫婦に意向を伝えた。
祖母は心配そうに、でも嬉しそうにしていた。高槻夫婦は心よりの喜びを、こちらが気恥ずかしくなるほどの声で伝えてくれた。何年後でも待っていると、慣れるまで、気が許せるようになるまで何度でも行くと言ってくれた。
約束は有言実行され、高槻夫婦はその日以降何度も顔を見せてくれた。相変わらずの優しさと気遣いは、印象を良くするばかりだった。
その間、何度か気持ちを揺らしながらも、決意は曲げずに維持し、時は流れていった。
◆
晴れ間の眩しい午前11時、月裏と譲葉は玄関に立っていた。見慣れすぎた廊下や玄関を、しみじみ見詰める。
造花のあった場所は綺麗に掃除されており、元の何一つない空間に戻っていた。元々少なかった靴も、今は自分達の履いている物しかない。
「……一気に殺風景になった感じがするね」
「そうだな」
「……お世話になりました」
月裏は暮らしてきた数年を懐古し、その場で軽くお辞儀した。譲葉もその姿を見て、戸惑いながらも軽く会釈した。
「じゃあ、行こうか」
自らが先に外に出て扉を開き、譲葉が潜るのを待つ。
潜った譲葉が目礼した所で、二人はまた歩き出した。肩には少量の荷物と、手の平には二つの鍵がある。
握り締めたまま階段を下りると、掃き掃除に勤しむ女性を見つけた。
「あっ、あのすみません、朝日奈です」
「待っていたよ」
振り向いた初老の女性は、緩い笑みを飾っていた。月裏は、先程おこなった物より深くお辞儀した。
「長い間お世話になりました、これ鍵です」
「……本当に行くんだねぇ、大丈夫?」
受け取った鍵を見ながら、心配そうに表情を変えた女性こそ、このアパートの大家だ。
母親が自殺した時の事も、月裏が未遂を起こした時の事も、譲葉がやってきた事も、全ての動きを知っている数少ない人物である。
「…………色々と、ご迷惑お掛けしました……」
色々と不穏な気配を見せたのにも拘らず、深い干渉も咎めもしずに家に置いてくれていた。
「いや、気にしなくて良いんだよ。それより心配ばっかりだわぁ……頑張り過ぎないようにね?」
「……ご心配ありがとうございます……」
それどころか、ずっと心配してくれていたらしい。
以前、譲葉からチラッと話を聞いた際は疑いをかけてしまったが、今なら優しさが本物であると素直に信じられる。
味方が居ないと嘆いていた時でさえ、味方はすぐ近くにいたのだとも今更知った。もっと早くに気付けたらと、少しだけ後悔している。
彩音の事もそうだ、今なら素直に向き合える気がする。
今度会った時は、誇らしく笑顔を見せよう。そして、謝罪と感謝をたくさん告げよう。
そうしたらきっと、彼女も笑ってくれるだろう。
いつも中身を確認したポストにも、既に朝日奈の名詞はなく、もう誰の物でもなくなっている。
始まりは一通の手紙だった。このポストに祖母からの手紙が入っていて、譲葉との生活が始まったのだ。変化の原点とも言えるかもしれない。
様々な出来事に立ち向かった、長いようで短い日々を思い出す。
仕事は、譲葉の治療が大分と落ち着きを見せ、高槻家に行く日程を決定した後日、一ヵ月後の枠を設けて辞職した。上司が残念そうにしていた時は心が揺れたが、自らの意志で行動できた事に満足感もあった。
新しい仕事は、向こうに行ったら地道に探すつもりだ。
「月裏くーん、譲葉くーん!」
「「あっ、総真さん!」」
車外に出て手を振る総真を見つけ、声が被り、譲葉と月裏は互いを見合う。瞬間、可笑しそうに一笑した。
車を見た時、助手席から手を振っている嘉代も見つけ、二人して小さく振り返す。
「忘れ物は無い?」
「無い、完璧だ」
「後ろ開けてあるから乗ってね」
「うん、ありがとう。譲葉くん乗ろう」
記憶にも残らない会話を交わし、譲葉を筆頭に車内に乗り込む。車内はフローラルな香りがした。
「じゃあ発進するよー!」
総真の掛け声に嘉代の笑い声が加わり、後部座席の二人も笑った。
去り行く故郷の景色を眺めながら、祖母も含めて五人、他愛ない話をして笑い合う未来を想像した。これで何度めかの想像だ。
以前なら幻想だと諦めていたが、今は現実になると信じられる。
肘掛けに置いていた手の上に感触を感じ、振り向くと譲葉の手が軽く重なっていた。何かを伝えたかった訳では無いらしく、重ねられただけで目線は無い。
窓方面に傾く譲葉の横顔は、優しく景色を眺めていた。小さな期待と喜び、そして不安に揺れる譲葉の表情や行動は、同じ状況下にある月裏を些か強めた。
重なった手の上に、もう一方の手を乗せ握り締める。ぎゅっと力を込めながら、微笑んで再度窓を見た。
これから先、問題は幾つも起こるだろう。何度も泣いたり苦しんだりするに違いない。
もしかすると、悩んで死にたくなる日も来るかもしれない。後悔する日もあるかもしれない。
けれど、それらを全て受け容れて、踏み出した先に幸せはきっとある。
僕らは絶対、幸せになれる。
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