造花の開く頃に

有箱

文字の大きさ
上 下
118 / 122

1月22日

しおりを挟む
[1月22日、日曜日]
 懐かしい夢を見た。感触付きのとてもリアルな夢だ。
 飛び飛びになっていて繋がりはなかったが、昔両親が居て自分が風邪を拗らせた時の記憶だと理解は出来た。

 風邪だと告げずに無理をした自分は、学校で倒れ、両親に抱えられて自宅へ帰った。
 心配そうな顔で看病に当たる母親が居て、いつもより早めに帰宅した父が駆け寄ってきて、ベッドの周りを取り囲む。
 「もう無理しないでね」と言った母の言葉が、譲葉の言葉と重なり、申し訳なさが今更込み上げた。

 場面は暗転し、遠くへ消えてゆく父と母の背中を見た。あっという間で叫ぶ暇も泣く暇も与えられず、自分は唯呆然と立ち尽くすしかなかった。
 なぜか場面は戻り、タオルの感触が額を拭う――。
 しかし、それは夢ではなく現実で、我に帰った月裏は勢いよく飛び起きていた。

「大丈夫ですか?」
「………………えっ?」

 目の前に居たのは、高槻夫婦の妻の嘉代だった。手にタオルを持ち柔らかく微笑んでいる。
 視点を軽く横にずらすと、総真と譲葉も心配そうに月裏を見ていた。
 想像もしていなかった状況に困惑する。

「大丈夫かな?」

 総真が近付いて来て、そっと額に触れようと手を伸ばす。だが、月裏は驚いて一歩引いてしまった。

「……ご、ごめんなさい……」

 気まずい空気の中、譲葉を伺い見ると目が合った。直後、譲葉の視線が斜め下に落ちる。

「……すまない……俺が呼んだんだ……」

 返答出来ずに居ると、総真が伸ばした手を引いて控え目に笑った。

「いや、倒れたって聞いたから来たんだ。驚かせてすまなかったね、調子はどうかな?」
「…………いえ……えっと、大丈夫です……」

 夫婦の物腰の柔らかさと冷静な対応により、月裏はやっと状況を淡くだが飲み込めた。
 病院を否定した事で譲葉が対処に迷い、呼び寄せたといったところだろう。いや、対処法を乞おうとかけて、高槻夫婦が動いてくれたのかもしれない。
 何にせよ、みっともない姿を見せてしまった。助かったのは事実だが、恥ずかしさが拭えない。

「……ごめんなさい……」
「大丈夫ですよ、辛かったですね」

 微笑む嘉代の横で、総真が譲葉を呼び寄せる仕草が見えた。譲葉は相変わらず気まずそうに寄る。

「……いえ……」

 軽く俯いて濡れたシャツに気付いた時、第一ボタンが外されていない事にも気付いた。腕元のボタンにも一切触れられていない模様だ。

「何か食べられそうなものでも買って来ようか、確かスーパーは近くだったね」
「えっ……! 申し訳ないです」
「買い物も料理も俺がするので総真さんは……」

 訊ねられた譲葉も、些か困惑気味にしている。総真は必死の姿を見て、笑顔に困り顔を足した。

「そっかー、うーん僕がしたいだけなんだけど駄目かな?」

 拒否の余地を与えられたものの、優しさを否定する気にもなれず、月裏は迷惑を許せる程度にすべく提案する。

「…………じゃあ、後でお金は返すので……お願いします……」

 意外な返答だったのか、総真と嘉代は丸くした目を見合って微笑み、頷いた。

「じゃあそうしよう。希望はある?」
「……いえ……」

 夫婦は、直ぐに戻ると言い残し扉を潜った。譲葉も見送りか共に行くのか、後を付いて行った。

 一人になった部屋で、ようやく胸を撫で下ろす。
 窮屈な首元の第一ボタンを開けて、暖かな空気を通した。温風が、湿った肌に触れて心地いい。
 手首のボタンを開けようとして、今更不自然さに気付いた。

 ぎゅっと締め付ける首元や腕元を見たら、ボタンを外してしまいそうなのに。それが高熱に倒れた人間になら尚更だ。
 配慮を効かせたのか、譲葉に制止されたのか。
 理由は定かでは無いが、彼らはとことん気を遣ってくる。その優しさと率先力が、眩しくて痛いくらいだ。

 一方で、夢の中身が反映されていたかと思うと、くすぐったさにも襲われた。
 舞い戻った家族の形に、心を揺らされる。
 時間は必要だろう。けれど譲葉にとって、良い家族になってくれる筈だ。
 押し付けがましくも遠慮がちでもない彼らは、恐らく殆どの人間が付き合いやすいと言うだろう。

「月裏さん、戻った」
「……あれ、一緒に行かなかったんだ」

 視線を上げた先の譲葉の手には、白くて綺麗なシャツがあった。差し出され、受け取る。

「一先ず飲み物を入れてくる」

 譲葉は手に渡ると直ぐ、踵を返し部屋外に消えた。
 月裏は不快感を纏わせるシャツを脱ぎ、新たなシャツを羽織った。

 気を遣う高槻夫婦の事だ。この一件の所為で、引き取る事を躊躇い始めてしまったら。
 倒れるほど無理する人間を一人にしようなどと、常識人なら考えないはずだ。可能性はある。
 自分は、取り返しのつかない事をしたのかもしれない。
 浮上した懸念に呑まれ、冷や汗が伝う。しかし、考える間も無くノックが響いた。

「月裏さん、お茶が出来た」
「…………ありがとう、ねぇ……」

 見慣れた湯飲みを慎重に受け取りながらも、帰宅前に様子を探っておきたくて、月裏は早々に切り出していた。
 譲葉は不思議そうに、目線を向ける。

「……高槻さんたち、何か言ってた?」
「……えっ……」

 譲葉は思い当たる節でもあるのか、顔に薄く影を落とし俯いてしまった。

「……いや、あの、えっと……ちが、譲葉くんを……」

 困らせたくない思いと、知りたい思いが訥弁にさせる。

「……すまない、電話しない方が良かったな……でも俺混乱してて……だから」
「……責めてる訳じゃないんだ、助かったのは本当だし……」

 しかし、謝罪を受け、困らせたくない気持ちが勝利した。
 譲葉は読み辛い表情で、顔を上げ目を見てきた。打って変わって見詰められ、月裏は声を失う。

「……月裏さんは、高槻さんご夫婦の事どう思ってる?」

 真剣な目が答えを求める。嘘偽りない答えを期待されていると感じ、怖気づいてしまう。

「…………良い、人だと思ってるよ……?」
「それだけか?」

 本音を導き出す眼差しが、以前の出来事を思い出させる。語り合う事で分かり合えると学んだ時の事を。

「…………凄い人達だって感じる……僕には無い物たくさん持っていて羨ましくも感じる……優しさが申し訳ないくらい強くて、素敵な家族の象徴みたいに暖かくて……だから一緒に住んだらきっと楽しいよ……僕と住むよりもきっと幸せになれる…………」

 勝手な感情で譲葉の意志を捻じ曲げないよう、月裏は本音として改めて承諾を薦めた。言いながら寂しさを噛み締めて、大嫌いな自分自身を卑下する。
 しかし、これは紛れもない本音だ。

「……そうか……一緒に住んだら楽しいと思うか」
「え、う、うん……」

 視線を伏せ落とされた、何かを臭わす物言いに、月裏は鼓動の速さを自覚した。
 思惑が微量でも見えたら良いのだが、譲葉の小奇麗で表情の薄い顔には何も見えない。

「じゃあ、月裏さんも一緒に行かないか?」
「……………………え?」

 頭が真っ白になった。欠片さえも予想していなかった提言に、相応しい返事が見つけられない。
 そもそも、自分がどうしたいのかさえ分からないのに。

「ただいまー」

 考え込んでいると、総真の声が聞こえてきた。微かな足音が幾度と聞こえ、扉が開く。

「ただいま帰りました」

 日常の中に溶け込んだ台詞に、心が抉られる。

「フルーツとかデザートとか買ってみたけど、どれが良いかな?」
「フルーツなら私剥きますよ」

 自分を覗く三人で括った、輪の中を見詰めていただけだったのに。突如その輪は消えた。

「…………あ、ありがとうございます、譲葉くん食べる……?」
「えっ、あっ、あぁ」

 譲葉個人の願いなのか、夫婦からの提案なのか、はっきりさせたいと思いながらも、直接本人達に聞く事は出来なかった。

 譲葉も迂闊に切り出せないと判断したのか、その後会話の内に話題が上る事はなかった。
 電話番号を交換したりと実のある出来事もあったが、ほぼ他愛ない話をして時間は過ぎた。
 そして月裏の感情も体調も大分と落ち着いた頃、夫婦は帰宅していった。

 終始変わらぬ優しい笑顔が、懐かしい家庭内を映し出しているようで、苦しさと懐かしさが心を包んだままだった。
 それは夜が耽るまで続き、結局話し合いの場を設ける事もなく眠りに付いた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子

ちひろ
恋愛
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子の話。 Fantiaでは他にもえっちなお話を書いてます。よかったら遊びに来てね。

【R18】散らされて

月島れいわ
恋愛
風邪を引いて寝ていた夜。 いきなり黒い袋を頭に被せられ四肢を拘束された。 抵抗する間もなく躰を開かされた鞠花。 絶望の果てに待っていたのは更なる絶望だった……

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

妻がヌードモデルになる日

矢木羽研
大衆娯楽
男性画家のヌードモデルになりたい。妻にそう切り出された夫の動揺と受容を書いてみました。

同僚くすぐりマッサージ

セナ
大衆娯楽
これは自分の実体験です

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

社長の奴隷

星野しずく
恋愛
セクシー系の商品を販売するネットショップを経営する若手イケメン社長、茂手木寛成のもとで、大のイケメン好き藤巻美緒は仕事と称して、毎日エッチな人体実験をされていた。そんな二人だけの空間にある日、こちらもイケメン大学生である信楽誠之助がアルバイトとして入社する。ただでさえ異常な空間だった社内は、信楽が入ったことでさらに混乱を極めていくことに・・・。(途中、ごくごく軽いBL要素が入ります。念のため)

処理中です...