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1月4日
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[1月4日、水曜日]
「おはよう月裏さん」
「おはよう譲葉くん」
食事中、いつもと変わらないタイミングで譲葉が扉越しに現れた。迷う事無く、指定席に腰を据える。
譲葉は何か言いたげに、一直線に視線を注いで来た。
「……大丈夫だよ、ちゃんと頑張るから」
台詞が思惑に当て嵌まっていたのか、譲葉は視線を落とす。
「…………今日も帰ってくるの待ってる……」
そして、ぽつりと落とした。
「ありがとう、でも遅かったら寝てて大丈夫だからね」
「……起きていられるだけ起きてる」
「……うん、ありがとう。がんばるね」
仕事の時間、減らせないかなぁ。
願望が過ぎったが、多量の仕事は上司が原因になっていた訳では無いのだ。
黙認され続けた会社の問題であり、上が変化したところで解決には至らない。多分これからも一生、変化は無いだろう。
目に見えていた大きな問題が消えれば、新たな問題点が目に付く。全く嘆かわしい話だ。
譲葉に謝罪したい衝動が生まれたが、困らせてしまうのも嫌で口を塞いだ。
電車の中は、相変わらず無人に近い。まだ休業中の人間もいるのだろう、普段以上に人気が無い。
数日間、比較的落ち着いていた鼓動が、はっきりと音を立て始めた。緊張する。
最悪の想像が浮かんでは、譲葉の励ましで上塗りする。
大丈夫、大丈夫。怖くない。
何度も自分に言い聞かせながら、会社までの距離を縮めていった。
職場に入ってすぐ、見知らぬ人間へと意識が向かった。他の社員と和気藹々と話している。
笑顔を見せる男に好印象を受けたが、それでも尚、恐怖は消えなかった。
軽く挨拶し、席についてファイルを取り出し、早速仕事を開始する。後方の男に気を取られながらも、ミスを出さないように努めた。
数分後、月裏は肩に触れた手の感触に驚いてしまった。
勢い良く後ろを振り向くと、例の男が立っていた。にっこりと邪気の無い笑みを湛える。
「おはようございます、朝日奈さんですね?」
「……は、はい」
「私、本日より配属になりました―――」
男は名前の紹介後、右手を差し出してきた。緊張状態が抜けず唖然としてみてしまう。
「宜しくお願いします」
その行動が握手を求めていると気付いた時、月裏は慌てて手を差し出した。
本日より上司となった男は、改めて凛々しい笑みを湛え、差し出した手を強く握った。
唯の取り越し苦労だった。
安堵の程度が大きすぎて、書類を見詰めながらも放心気味になってしまう。厳つい手の硬さがまだ感触として残っていて、不思議な気持ちを味わわせる。
現実は思っていたより痛くない。何時かに出したことのある結論を、もう一度手繰り寄せる。
一度目は受け入れる事さえ出来なかったが、二度目だからか少し素直になれる。勿論、完全に確信したわけでは無いが。
これで一つ問題は消えた。目に見える発展が、涙が出そうなくらい嬉しかった。
いつものように、街灯の下を早歩きで帰宅する。
年末前の一件を気に留め、不注意で事故を招かないよう辺りは確り見渡した。雪で滑らないようにも気をつけた。
アパートに辿り着き、ポストから手紙や葉書きを掬い取り、軽やかに階段を上ってゆく。
「……譲葉くん、ただいま!」
扉を開くと、譲葉が本を閉じた瞬間に遭遇した。
「おかえり月裏さん、良かった……みたいだな」
早速言い当てられて、感情に素直な己の幼さに頬を染めた。しかし嬉しい物は嬉しいし、共感して欲しいとも思う。
「……うん、新しい人良い人そうだったよ」
譲葉の視線を浴びながら靴を脱ぎ、廊下へと踏み込む。
「本当に良かったな」
向かい合った所で譲葉は脇に本を挟み、壁に手を付いてゆっくりと立ち上がった。
だが、完全に足を伸ばす前に、少し体が前にのめった。
反射的に鞄を床に置き、体を支える。回収した手紙は離せず、持ったままになった。
「……だ、大丈夫?」
「……ごめん……」
譲葉の目元は薄い影を纏っており、どことなく辛そうだ。貧血でも起こしているのか青い顔をしている。
「……調子悪い?」
「…………いや……」
目を逸らした譲葉の真意が見えた気がして、月裏はそっと頭上に手を伸ばしていた。俯く譲葉を見て一瞬竦めだが、勇気を出して頭を撫でる。
「……無理しなくても良いからね、僕の事気にしなくても良いから……落ち込んだりしないから……」
「……月裏さん…」
譲葉は一瞬だけ、伏せていた瞳を上げたが、微笑んでみせると直ぐ下げてしまった。
物憂げで語らない瞳の代わりに、唇が微かに動いた。
「…………今日、また色々と思い出したんだ……それで疲れちゃって……」
疲弊の理由が自然と脳内に浮かんだ。度合いまでは想定できないが、恐らくあの苦しい症状が現れたのだろう。
「……そっか……、頑張ったね譲葉くん。辛いのに起きていてくれてありがとう。……寝ようか」
「……あぁ……」
譲葉に肩を貸したまま、月裏は奥の部屋に入った。
ベッドに横にさせて就寝の挨拶を告げ、月裏は隣室に来ていた。鞄を指定位置に置き、葉書きと手紙を軽く見回す。
名だけ知っている程度の店からの、明らかに印刷しただけの年賀状や、学生時代の忘れていた友人からの年賀状など、見慣れぬ名前がやけに目に付く。
その中に一通の封書が混じっていた。宛先の欄に、月裏の名と譲葉の名がある。宛先と見覚えのある便箋のお陰で、見ずとも差出人が分かった。
裏返すと予想通り、祖母の名があった。
年賀葉書きではなく手紙を出してくる理由が、月裏にはよく分からなかった。
つい先日会った時は、手紙を出したという話題にさえ触れていなかった。故に、書かれたのは次の日だと思われる。
携帯電話という手段がありながら手紙と言う伝言方を使用するというのは、何か重大な話があるからだとしか思えない。
単なる気まぐれだとしても、タイミングに違和感がある。
宛先欄の二つ並んだ名前を見て、月裏は開封を明日へと持ち越す事に決めた。
「おはよう月裏さん」
「おはよう譲葉くん」
食事中、いつもと変わらないタイミングで譲葉が扉越しに現れた。迷う事無く、指定席に腰を据える。
譲葉は何か言いたげに、一直線に視線を注いで来た。
「……大丈夫だよ、ちゃんと頑張るから」
台詞が思惑に当て嵌まっていたのか、譲葉は視線を落とす。
「…………今日も帰ってくるの待ってる……」
そして、ぽつりと落とした。
「ありがとう、でも遅かったら寝てて大丈夫だからね」
「……起きていられるだけ起きてる」
「……うん、ありがとう。がんばるね」
仕事の時間、減らせないかなぁ。
願望が過ぎったが、多量の仕事は上司が原因になっていた訳では無いのだ。
黙認され続けた会社の問題であり、上が変化したところで解決には至らない。多分これからも一生、変化は無いだろう。
目に見えていた大きな問題が消えれば、新たな問題点が目に付く。全く嘆かわしい話だ。
譲葉に謝罪したい衝動が生まれたが、困らせてしまうのも嫌で口を塞いだ。
電車の中は、相変わらず無人に近い。まだ休業中の人間もいるのだろう、普段以上に人気が無い。
数日間、比較的落ち着いていた鼓動が、はっきりと音を立て始めた。緊張する。
最悪の想像が浮かんでは、譲葉の励ましで上塗りする。
大丈夫、大丈夫。怖くない。
何度も自分に言い聞かせながら、会社までの距離を縮めていった。
職場に入ってすぐ、見知らぬ人間へと意識が向かった。他の社員と和気藹々と話している。
笑顔を見せる男に好印象を受けたが、それでも尚、恐怖は消えなかった。
軽く挨拶し、席についてファイルを取り出し、早速仕事を開始する。後方の男に気を取られながらも、ミスを出さないように努めた。
数分後、月裏は肩に触れた手の感触に驚いてしまった。
勢い良く後ろを振り向くと、例の男が立っていた。にっこりと邪気の無い笑みを湛える。
「おはようございます、朝日奈さんですね?」
「……は、はい」
「私、本日より配属になりました―――」
男は名前の紹介後、右手を差し出してきた。緊張状態が抜けず唖然としてみてしまう。
「宜しくお願いします」
その行動が握手を求めていると気付いた時、月裏は慌てて手を差し出した。
本日より上司となった男は、改めて凛々しい笑みを湛え、差し出した手を強く握った。
唯の取り越し苦労だった。
安堵の程度が大きすぎて、書類を見詰めながらも放心気味になってしまう。厳つい手の硬さがまだ感触として残っていて、不思議な気持ちを味わわせる。
現実は思っていたより痛くない。何時かに出したことのある結論を、もう一度手繰り寄せる。
一度目は受け入れる事さえ出来なかったが、二度目だからか少し素直になれる。勿論、完全に確信したわけでは無いが。
これで一つ問題は消えた。目に見える発展が、涙が出そうなくらい嬉しかった。
いつものように、街灯の下を早歩きで帰宅する。
年末前の一件を気に留め、不注意で事故を招かないよう辺りは確り見渡した。雪で滑らないようにも気をつけた。
アパートに辿り着き、ポストから手紙や葉書きを掬い取り、軽やかに階段を上ってゆく。
「……譲葉くん、ただいま!」
扉を開くと、譲葉が本を閉じた瞬間に遭遇した。
「おかえり月裏さん、良かった……みたいだな」
早速言い当てられて、感情に素直な己の幼さに頬を染めた。しかし嬉しい物は嬉しいし、共感して欲しいとも思う。
「……うん、新しい人良い人そうだったよ」
譲葉の視線を浴びながら靴を脱ぎ、廊下へと踏み込む。
「本当に良かったな」
向かい合った所で譲葉は脇に本を挟み、壁に手を付いてゆっくりと立ち上がった。
だが、完全に足を伸ばす前に、少し体が前にのめった。
反射的に鞄を床に置き、体を支える。回収した手紙は離せず、持ったままになった。
「……だ、大丈夫?」
「……ごめん……」
譲葉の目元は薄い影を纏っており、どことなく辛そうだ。貧血でも起こしているのか青い顔をしている。
「……調子悪い?」
「…………いや……」
目を逸らした譲葉の真意が見えた気がして、月裏はそっと頭上に手を伸ばしていた。俯く譲葉を見て一瞬竦めだが、勇気を出して頭を撫でる。
「……無理しなくても良いからね、僕の事気にしなくても良いから……落ち込んだりしないから……」
「……月裏さん…」
譲葉は一瞬だけ、伏せていた瞳を上げたが、微笑んでみせると直ぐ下げてしまった。
物憂げで語らない瞳の代わりに、唇が微かに動いた。
「…………今日、また色々と思い出したんだ……それで疲れちゃって……」
疲弊の理由が自然と脳内に浮かんだ。度合いまでは想定できないが、恐らくあの苦しい症状が現れたのだろう。
「……そっか……、頑張ったね譲葉くん。辛いのに起きていてくれてありがとう。……寝ようか」
「……あぁ……」
譲葉に肩を貸したまま、月裏は奥の部屋に入った。
ベッドに横にさせて就寝の挨拶を告げ、月裏は隣室に来ていた。鞄を指定位置に置き、葉書きと手紙を軽く見回す。
名だけ知っている程度の店からの、明らかに印刷しただけの年賀状や、学生時代の忘れていた友人からの年賀状など、見慣れぬ名前がやけに目に付く。
その中に一通の封書が混じっていた。宛先の欄に、月裏の名と譲葉の名がある。宛先と見覚えのある便箋のお陰で、見ずとも差出人が分かった。
裏返すと予想通り、祖母の名があった。
年賀葉書きではなく手紙を出してくる理由が、月裏にはよく分からなかった。
つい先日会った時は、手紙を出したという話題にさえ触れていなかった。故に、書かれたのは次の日だと思われる。
携帯電話という手段がありながら手紙と言う伝言方を使用するというのは、何か重大な話があるからだとしか思えない。
単なる気まぐれだとしても、タイミングに違和感がある。
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