造花の開く頃に

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12月16日

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[12月16日、金曜日]
 数日が経過した。譲葉の¨風邪¨は思うように回復せず、頭痛に苛まれている場面や辛そうにしている姿をよく見掛けた。
 半分残っていた調理は、早朝を利用して月裏が行った。
 譲葉の不調に、月裏も落ち込み葛藤し感情を揺らす。
 一つ気付いた点からも、目を逸らしたり向かい合おうとしたりしながら日々を過ごした。

 正直、いっぱいいっぱいだ。
 譲葉が辛そうにする度、言葉に詰まってしまう。言葉に詰まる度、自己嫌悪してしまう。
 無駄な悪循環に悩み、勝手に苦しくなってゆく。

「……月裏さん大丈夫か?」
「だ、大丈夫だよ。お茶飲みに来たの? 淹れようか?」

 それでも演技は続けたが。

「……すまな……」

 譲葉が、眉を顰めて目頭を押さえる。また頭痛だ。
 反射で駆け寄り隣に付いた物の、慰める一言が言えず黙り込んでしまう。
 すると譲葉が左手で、か弱く腕もとの布を掴んだ。訴えとも取れそうな行動に動けなくなる。

 ――暫くして、袖は解放された。譲葉はふう、と一息ついて顔をあげる。譲葉の目の下には隈があり、深刻な不調を悟らせた。

「…………ねぇ譲葉くん、病院行かない?」

 ついには、数日の間止めていた言葉まで溢れ出す。実は譲葉が頭痛を起こす度、ずっと考えていた。

「…………まだ大丈夫だ……」

 ただ、気付いた点を認めたくなくて、避けている部分もあったが。
 診断結果は、風邪じゃないかもしれない。
 顔色の悪い譲葉を見ていると、確信しそうになる。けれど、譲葉の言葉が真であると信じて風邪だと思い込む――そう、努める。

 倒れた日、何かがあって、引き摺ったまま苦しんでいるだなんて認めたくなかった。
 救い方が分からない今は、認めたくなかった。

 仕事中、上の空が酷くなってしまう。日に日に重なる疲れが、膜のようになって現実を遠ざけてゆく。
 数日の間、いや譲葉を病院に迎えに行った日から、ずっと恐怖が収まらない。
 次はいつ発作を起こすのか。起こしたら息も出来ないほど苦しがるのか。気を失ってしまうのか。怖くて怖くて仕方がない。

 いっそ心中して楽になりたい。
 願望が何気なく浮かび、月裏は唖然となる。
 しかし数秒で我に返って、自分が怖くなった。
 実行は有り得ない。あってはいけない。本当は思ってさえもいけないのに。勝手に陥る不安定な気持ちに、譲葉を巻き込むなど言語道断だ。
 まだ何かが起こると決まってもいない未来を恐れて、死まで思い描くなんて本当に自分は気色の悪い人間だ。駄目な人間、屑みたいな人間――。

 月裏は、想像の中で譲葉に手を掛ける自分を見てしまい、体が無意識の内に乗っ取られないか強く慄いた。

 玄関を開けても明かりは無かった。リビングからも光は無く、奥の部屋だろうと予想する。

「…………譲葉くんただいま……」

 部屋は、豆電球の明かりだけが点っていた。
 視線を落とすと、静かな寝息を立てる譲葉が見えた。相変わらず見えるのは背中だけだが。
 黒い髪と黒い服の間の、真っ白な肌が目立って見える。髪の隙間から見える首筋が美しい。

「…………譲葉くん……」

 そっと距離を詰め手を伸ばすと、寝返りを打った譲葉が薄く瞼を開いた。

「…………月裏さんおかえり」
「……もしかして起きてた?」
「……気配がしたから」
「……そっか」
「……悪いな、出迎えできなくて」
「……ううん、大丈夫。辛くない?」
「……大丈夫だ」
「そっか良かった、じゃあ僕着替えてくるね、。起こしてごめん、おやすみ」
「…………おやすみ」

 別空間に居たような感覚がある。上辺だけの言葉を作り出し、ぽんぽん並べてゆく知らない自分。
 気持ちが悪い。吐きたい。怖い――――死にたい。

 月裏は隣の部屋に入らずに、足音を殺しリビングへ向かった。

 真っ先に立ったのは戸棚の前だった。調理意外で中身を見るのは何時ぶりだろうか。
 銀色の刃が、少し濁ったきらめきを放っている。
 死ねば全部分からないんだ。譲葉が裏切りに悲嘆する姿も、祖母が無く姿も。
 だから怖がる事はない。きっと死ねる。今回こそきっと死んでみせる。
 助かってしまったら、それこそ譲葉に向ける顔が無い。だから、絶対に成功を収めなければならない。
 心残りや後悔、懺悔は数多く堆積していようとも。

 月裏は小さめの包丁を手首に宛がい、まず深めに刃を沈めた。肉に食い込んで、今にも傷が出来そうだ。
 後は、横に引けば引けば逃げられる。
 月裏は呼吸を止め、刃の食い込んだ左手を強く握った。
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