造花の開く頃に

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12月4日

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[12月4日、金曜日]
一週ぶりの休日が来た。昨日も一昨日も、感染しないように、譲葉とは出来るだけ距離を置いて過ごした。
 遠ざけているようで心苦しくも思ったが、譲葉も理解はしているのか、接触を控えている様子が伺えた。

「じゃあ、行って来るね」
「行ってらっしゃい」

 潜伏期間である今日も、扉の隙間から挨拶だ。譲葉は上体だけ起こして見送ってくれる。
 月裏は笑顔で、ひらひら手を振り扉を閉めた。
 階段を下った先、以前作った雪だるまを見ると、形が歪になっていた。

 先週に続いての、一人での買い物だ。先週は体調ばかりに気を取られていて感じなかったが、今日は空気に懐かしさを感じる。
 一人で暮らしていた頃の方が共に暮らし始めてからよりも随分と長いのに、毎日一緒にいるとその頃が懐かしくなる。

 人の居ないスーパーは商品だけが綺麗に詰まれて、まるで華やかに歓迎しているみたいだ。
 月裏は、出入り口に開設された特設売り場の林檎を見て、病人である譲葉を浮かべた。

「ただいまー」

 譲葉が隣に居ない買い物は、随分短い時間で終了する。
 別コーナーに立ち寄らない事も要因の一つだが、歩幅の考慮がなかったり即決できたりと、他の理由もあってのことだ。
 譲葉が睡眠中だったらと考え、月裏はそのままキッチンへ曲がり調理を開始した。

 背後が無人の状態で、料理するのも久しぶりだ。
 視線が無い分気を張る事は無いが、寂しさがある。BGMとして流れる、緩やかなメロディーが耳を通ってゆく。
 この空虚感は、母親を失った時と少し似ている。

 奥の部屋へと行けば譲葉は居ると、ちゃんと認識しているから寂しさは少しだけで済むが、もし居なくなってしまったら。
 譲葉が居なくなる時なんて、想像もつかないけれど。
 月裏は音楽に耳を傾け、旋律を意識して捉えながらも手際よく調理を進めた。

「譲葉くん、起きてるー?」

 静寂を裂かないほどの小声で呼び、譲葉を見ると、布団の中で本を読んでいる最中だった。
 直ぐ反応して、本の紐を挟み閉じる。

「起きてる」

 譲葉は用件を理解して、本を持ちながらベッドから出た。扉へ向かう際に、棚に収納して。

「食べれそう?」
「あぁ、全然大丈夫だ」
「そっか、良かった。今日はおかずスープなるものを作ってみたよ」
「変わった料理だな」

 話していても、注意が背中に向く。視線こそ注がないようにしているが、どうしても気持ちが向かってしまう。
 理由が知りたい訳では無い。記憶がないならそれでもいいと思っている。寧ろ、中途半端に思い出して苦しい思いをするくらいなら、完全に消え去ったままでいてほしいと願ってしまう。

 知りたいのは、譲葉が背中の傷をどう受け止めているのかについてだ。自分自身、傷を人一倍気にしているからこそ疑問になるのかもしれない。
 勿論、聞けないが。

 ところで譲葉は、高熱で気絶した夜の事を覚えているのだろうか。
 譲葉の口から始めて出た単語の数々は、はっきりとした意識から取り出されたものだったのだろうか。
 それか予想通り、混乱状態から生み出された声だったのだろうか。
 普段通り、綺麗な姿勢で食事する譲葉を見ていると分からなくなってくる。

「そう言えば、おばあちゃんの話って何だったの?」

 急に蘇った疑問を、今更提示してみたりする。祖母からは特別な話を聞かなかったから、多分大事な用件では無いとは思うが念の為だ。
 もしかしたら、譲葉の用事かもしれないし。
 譲葉は少しの間箸を止めてから、

「……あぁ……えっと、ばあちゃんが月裏さんの声を聞いてないから聞きたいなって言ってたって伝えたくて……ただそれだけだ……すまない……」

 思い出したように零した。
 謝罪は、火傷の件に対してされたと解釈した。

「え、あ、いや、ううん、分かった、ありがとう……」

 起こった災難について掘りたくなくて、月裏は尋ねておいて自分から蓋をした。
 聡い譲葉は会話終了を読み取り、食事を開始した。とは言え、もう直ぐ皿は綺麗になる。
 月裏は見兼ねて席を立った。

「そうだ、今日は変わったものも買ってみたんだよ」
「……変わったもの?」

 上を向いた瞳が、月裏の移動と共に動く。
 月裏は冷蔵庫を開くと、目前の食材を幾つか手に取った。

「冬にどうかとは思ったんだけどね」

 久しぶりに購入した、珍しい物というのは果物の事だ。
 風邪の時は果物を食べると良い、との勝手な概念が働き、見た瞬間手に取っていた。
 譲葉の好き嫌いを考え、三種類買った。

「果物とか食べる?」
「……あぁ、好きだ」
「あ、好きなんだ」

 肯定だけに留まらない答えに、月裏はまた己への嫌疑を抱いた。もっと早く気付きたかったと嘆く。

「そう言えば、月裏さんは好きなものとかあるのか?」
「え……好きなもの……」

 だが、譲葉に攻める気がない事に気付き、すぐ否定感情を押し退けた。
 何の気もない言葉に傷つき、勝手に自己嫌悪していてはそれこそ譲葉に申し訳が立たない。なんて、勝手にこじつけてみた。

「……そうだね、和食は普通に好きかな。後普段食べない物なら甘いものとか……」 

 手に取った果物を譲葉の前まで持ってきて、食後のデザートを選んでもらう。
 譲葉は迷っている様子だ。視線が三種の果物を何度も行き来している。

「……甘いものか、ばあちゃんも好きだったな」
「譲葉くんは、好きなもの何?」
「……そうだな……強いて言うならか……難しいな……でも、これは結構好きだ」

 譲葉が手に取ったのは林檎だった。赤々しく色付いていて、甘酸っぱい林檎特有の香りが仄かに漂う。

「…………そっか、じゃあまた買ってくるね、林檎」
「……ありがとう」

 すまない、じゃなかった。
 月裏は、一瞬にして想定した続く言葉が、違えていた事に驚いてしまった。
 譲葉ならここで、謝罪を持ってくると思ったのに。

「……こちらこそ、好きなもの教えてくれて有り難う。もっと色々聞かせてくれると嬉しいな」

 自然な流れで出来た会話は、月裏に達成感を与えた。
 肝心の答えは聞けていないが、それでも気持ちは前向きになれた。

「……譲葉くんも僕に聞きたい事あったら聞いてね。答えられる事なら答えるようにするから……」

 他二種類の果物を冷蔵庫へ戻し、林檎だけを調理台へ移動させる。
 自ら打ち明ける事が出来ないなら、答えなくてはならない状況を作ればいい、と咄嗟に言い放ったが、言った後で少し後悔した。
 しかし、奮った勇気は良い結果を齎すと信じて、後悔は全て奥底へと落とすよう努めた。

 譲葉は何も質問してこなかった。疑問自体が無かったのか、遠慮しているのか定かでは無いが。
 無言で果物を食べる譲葉の顔が心なしか嬉しそうに見えて、月裏は無意識の内に一笑していた。
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