造花の開く頃に

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11月29日

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[11月29日、火曜日]
 だが勇気は固まらず、しかもチャンスは塗り潰されてしまった。

「……譲葉くん大丈夫?」

 譲葉は風邪を引いていた。以前くしゃみをしていた事を思い出して、また気分を落とす。もしかしたら新たな風邪かもしれないが、以前の物が悪化した結果かもしれない。

「……大丈夫だ、よくある事だから気にするな……」
「……ごめん」

 譲葉が我慢していた可能性を思うと、辛くなった。
 今は、重要な件を話す時では無いように思える。

「……今日は一日寝ている、だから構わず行ってくれ」

 潤んだ瞳が、自分を見詰めてくる事に我慢できず、月裏は逃亡するかのごとく部屋を出た。
 勿論、笑顔の演技は忘れなかったが。

 服を着替える際、若干赤みの残る手首の傷が気になった。いつも見ている、横に何本か刻まれた深い痕も。
 譲葉にこれ以上、要らない心配をさせるのも躊躇われる。
 また揺れだした指針は、問題となって心に留まった。

 暗い道が、真情を映すかのようだ。上手く行かない自分自身に対しての無力感に似た闇色。
 昨日、祖母と電話した地点に差し掛かり、気持ちはもっと闇を深める。

 解決が先送りになってしまい、祖母に電話が出来ない。
 多分祖母は、無事解決したという報告を心待ちにしているだろう。それも、出来るだけ早い報告を、だ。
 それなのに、想像した結末に迎える目処さえ立っていないなんて。
 月裏は、板ばさみになり焦りを覚えつつも、体が向かう道を歩き続けた。

 仕事中は除き、休憩中や帰路についてからも、譲葉で頭がいっぱいだった。
 譲葉の体調について巡らしたり、繋がって精神状態も考慮したり、ただ、それら全てに悲観が付き纏ったが。
 ポストを開く頃には足は重くなり、階段の一段一段が辛く感じられた。
 二階に着いた時地上を見下ろして、何時もの良からぬ気持ちが動いたが直ぐに打ち消した。

 玄関扉を開き、暗い廊下を電気も点けずに歩く。
 奥の部屋に辿り着き、扉を浅く開いたが灯りは着けられていなかった。豆電球でさえ点いていない事から、昼間からずっと消されたままであると予想した。
 思考に飲み込まれそうに立ち尽くしたその時、苦しげな息遣いが耳に届いた。
 直ぐに起こさないように近付いて、紐を使い豆電球のみ点す。

 譲葉を見ると、ベッドの中で辛そうに眠っていた。
 髪を優しく掻き分けて額に触れると、明らかな高熱が伝わってきた。それに、じとりと濡れてもいる。
 ただの風邪とは思えない症状に、些か困惑してしまう。

「……ゆ、譲葉くん、譲葉くん……」

 温かな頬を軽く叩くと、譲葉は薄く瞳を開いた。潤んでいて見るからに辛そうだ。 

「……譲葉くん、病院行こうか」
「…………月裏、さん……月裏さん……!」

 譲葉は突然起き上がり、体に腕を回して強い力を込めた。伝わる温度とは対照的に、譲葉の体は震えている。

「ゆ、譲葉くん、どうしたの」
「……助けて……、怖い……俺、殺される……」
「ゆ、譲葉くん、落ち着いて」

 譲葉の混乱は、手に取るように分かった。
 高熱で魘されて、悪夢でも見たのかもしれない。現実と混ざって恐怖しているのかもしれない。
 経験した事は無いが、高熱で幻覚が見える場合もあるという。もしかするとそれかもしれない。

「……苦しい、死にたくない……」

 月裏は、弱弱しい声を聞きながらも、譲葉の背中を抱きしめた。汗が湿らせた服は、生温さを保持している。

「だ、大丈夫、怖くないよ、怖くない」

 言い聞かせている内に、譲葉の腕の力は緩まっていって、最終的に意識まで失ってしまった。
 月裏は咄嗟の判断で、救急車を要請した。

 待っている間、出来る処置を考えてみたが、月裏はそれを躊躇ってしまった。
 なぜなら、考え付いた方法が濡れた服を着替えさせる事で、イコール体を見てしまう事になりかねないからだ。
 譲葉にも傷があるのは知っている。自分と同じく、見られたくないかもしれない。
 悩み悩んだ末の結末は、呼び鈴の音が決めた。

 急速に事は進み、月裏は診察結果を医師から聞かされた。有り触れた名に、安堵と罪悪感が同時に生まれる。

「………インフルエンザ、ですか……」
「それと脱水症状も起こしていたみたいですね」
「………そう、ですか……」

 朝から、いや夜中からだろうか。譲葉はずっと、高熱やその他の不調に耐えていたのだろう。

「責めている訳では有りませんから、そんなに落ち込まないで下さい。ですが次は、気付いたら早めに病院に連れてきて頂けると宜しいかと」

 医師が、責任をかけようとして言っている訳では無いと理解はしていたが、軽い言葉として受け止める事は月裏には出来なかった。

「……そうですね……すみません……」

 また無理させてしまったと、己を責めた。

 譲葉は用意された個人部屋で、点滴を施されていた。
 露出された腕は傷だらけで、見ていて痛々しい。もしや先ほど魘されるように呟いた言葉と、何か関係しているのだろうか。

 ふと、以前病院に運ばれた日の事を思い出した。
 あの時は点滴をされている現場に立ち会わず、すっかり視野から外れていたが、もしかしたらあの時点で腕を見られていたのでは無いだろうか。

 だとしても、どうだったか定かでは無いのだ。やはり、直接話さなくてはならないとの気に狩られる。
 こうして傷を、まじまじ見てしまった訳だし。譲葉ばかり、無理をさせて不安にさせてしまったし。

「…………譲葉くん、ごめん……」

 月裏は瞼をぎゅっと締めて、譲葉の手を握った。
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