造花の開く頃に

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11月28日【1】

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[11月28日、月曜日]
 また、新たな一週間が始まってしまった。
 不調は今朝になり一段と回復していて、出勤自体に問題はない。その点においては良かったのだが、やはり何時もの仕事場に対する拒否感は変わらなかった。

 昨日譲葉が拵えてくれた、大胆な男の料理を目にしながら、月裏は祖母の顔を思い出した。
 そう言えば、電話をしようと思いつつ全然していない。
 夜、気力が残っていたら掛けてみようか。譲葉の脚について、曖昧に終わった部分を訊ねてみようか。

 月裏は、始まる長い時間から目を背けるように、越えた先の予定を置いた。

「……おはよう」
「おはよう譲葉くん」

 現れた譲葉は、眠そうに目を擦っている。隈も張っているように見える。
 多分、疲れているのだろう。

「……眠かったら寝てきても良いんだよ……?」
「……月裏さんが出かけたらにする」
「……そう。……えっと、お茶入れようか?」
「……あぁ、頂きたい」

 月裏は肯定とほぼ同時に立ち上がり、薬缶に二人分のお湯を目分量で入れた。そして火にかける。
 背後の譲葉は、どこを見ているのか斜めを向いていて何だかぼんやりとしている。やはり眠いのだろう。

 そんな譲葉から出る優しさは、彼にとっては自然体で、意識して勤めている訳では無いかもしれない。
 しかしそれでも、気遣いすぎて疲れさせているのでは無いか、とのネガティブ思考が張り付いてしまっている。

 祖母といた時はどうだったのだろう。祖母はどう思いながら過ごしていたのだろう。
 確りしすぎていて、寧ろ気にかかる譲葉の事をどう見ていたのだろう。
 聞きたい事がたくさんある。しかし、譲葉の居ない所で密かに訊ねても良いものだろうか。

 考えていると、薬缶が音を立てだした。用意した急須へと湯を移動すべく、取っ手を握り傾ける。

「………あ、そうだ月裏さん、この間ばあちゃんが」
「えっ……あ……つっ……」

 抜群のタイミングで出されたワードに驚いて、湯の軌道がずれる。結果、左手の平から手首にかけての狭い範囲にだが、熱いお湯がかかってしまった。

「え、つ、月裏さん、大丈夫か」
「……だ、大丈夫、何でもない」

 月裏は冷静を装い、やかんをガスコンロの上へ戻した。
 そうして何とかやかんを落とさずには済んだが、手首が炎症でも起こしているのか、早速ひりひりとしている。
 火傷をしたら応急処置として、第一に患部を冷やさなければならない。

 知識だけは即出てきたが、月裏は行動に移す事が出来なかった。
 なぜなら、背後に譲葉が居たからだ。
 手首部分を露出すれば、傷を見られてしまうかもしれない。それは嫌だが、明らかに負傷していて処置しないのも可笑しいだろう。
 どうすればいいのか分からなくて、混乱してしまう。

「月裏さん、冷やさなきゃ……!」

 そう言った譲葉が立ち上がり傍に来て、焦った様子で月裏の腕へと手を伸ばす。

「触らないで!」

 譲葉の咄嗟の判断が月裏には怖くて、つい大声を放っていた。行動に対しての対処法を思いつくよりも先に、心が反応してしまったのだ。
 言い切ってしまってから譲葉の驚く顔を見て、真っ先に後悔に取り付かれる。

「……ご、ごめん……あの……えっと、違うんだ、これは……」

 これまた先に、言い訳一つ見つからないまま、声だけが先に出る。

「……すまない……」

 譲葉の視線が、床に落ちた。
 彼なりの優しさを勢いだけで退けてしまったという現実に、またも押し潰されそうになる。
 火傷箇所が、じんじんと痛む。

「……驚かせてしまったな……火傷をしたらまず冷やすと良いと聞いたから……」

 自分の所為で戸惑う、譲葉に対しての罪悪感が降る。また自分を責めていると思うと居た堪れない。

「……ちが、違うんだ……ただ、あの……」

 リストカット痕があるから、見られたくなかった。
 脳内で並んだ正直な理由を、一文字でさえ声に出来ない。

「……水冷たいけど取り合えず冷やせ……悪化したら大変だろ……」

 譲葉は蛇口を捻り、水を放出した。そして配慮か気まずさか、部屋を出て行ってしまった。
 追いかける事も呼びとめる事も出来ず、自己に対しての失望感に狩られながら流れ出る冷水を袖ごと浴びせた。

 気持ちが重くなるのと比例して体が行動を拒み、月裏は水気を拭くだけして着替えずに出勤した。
 濡れた部分が冷気に晒され冷え、火傷を冷やし続ける。しかし、それでも尚痛く感じた。

 コートとスーツ、シャツの下の遠い傷跡。深く刻まれたリストカット痕が見なくとも見える。
 譲葉に、どう言って謝れば良いんだろう。
 月裏は、最後に見た譲葉の萎んだ背中を思い出し、苦しくなる心から意識を背ける為、火傷部分を強く握った。

「おい朝日奈! お前またぼけっとして! 仕事しに来てんだろ!?」

 急に切られた火蓋にはっと顔を上げると、鬼の顔をした上司がこちらを睨んでいた。

「仕事に来るからには中途半端に働くのは止めろ! そんなんならいっそ仕事自体辞めろ! お前みたいなやつがいるから仕事の効率が悪くなるんだ!」
「……す、すみません……」

 いつぞやの出来事が嘘みたいに、上司は何時も通りだ。心無い言葉を即座に組み立てて、改変一つ無しに落としてゆく。
 まるで、言葉の数々が予め組み込まれたロボットのように、淡々と並べてゆく。

「仕事が嫌ならいっそ止めてしまえ、やる気が無いなら合うところに行けば良いんだ」
「………すみません」

 つらつら羅列される、今まで何度も聞いた罵倒の類の言葉に、月裏は必死に頭を下げ続けた。
 勝手に働く自殺したい気持ちと、譲葉の約束を交互にしながら、何時間も心をすり減らし続けた。
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