造花の開く頃に

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11月22日【1】

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[11月22日、火曜日]
 気掛かりの所為で眠れなかった月裏は、目覚めて早々ソファを抜け出た。
 まだ外には星があって、時間も起床予定時刻より2時間ほど早い。
 一通りの準備を早々に済ませてしまった月裏は、昨夜からずっと貼りついている疑問を解消に導く為、携帯の電源を入れた。

 キッチンの灯りだけが照らすリビングは、薄暗く不気味だ。目前の携帯の方が、眩しいくらい弱い。
 月裏は、譲葉には申し訳ないと思いながらも、検索ツールを使い、とあるワードで検索をかけていた。

 まず、どうにか憶えていた、譲葉の住んでいた町の名前を一番目に、そして¨日向¨の苗字を二番目に、最後に死亡事故のワードをつけて、検索ボタンをタップする。
 事故の詳細等、知っても何にもならないだろう。しかし、気になって仕方がないのだ。
 譲葉に何があったのか。どのような事故を経験し、どのくらい深い傷を負っているのか。
 譲葉の前で使わない方がいいワードはあるか、どのように寄り添えば良いのか。

 事故の情報を正確に知っているのと居ないのとでは、やはり構えの度合いも変わってくる。
 知らないで探り探り対処するのは、怖くて不安だ。
 まぁ、知っても怖くて不安だが。

 ページが変わって、検索ワードに引っかかった記事が幾つも出てきた。勿論、全ての記事が3つのワードを含み構成されている筈もなく、中には全く関係のなさそうな記事までもが並んでいる。
 月裏は副見出しや少しだけ見える情報から、該当しそうな物を選びタップした。

 暫く集中して記事を読んでいたが、突然扉が隙間を見せた。チラついた動きに何気なく顔を上げると、譲葉の姿も見えた。
 急いで携帯の画面をホーム画面に戻し、時刻を見ると、まだ一時間ほどしか経過していない事が分かった。

「あれ、早いね……」

 譲葉は、時刻を知った上で起床してきているのか、全くうろたえる様子は無い。

「水が飲みたくなって来た」

 一瞬、部屋にいない自分を心配して来たのかとも思ったが、そうでもないらしい。

「そう、温かいお茶でも入れようか?」
「……いや、水で良い」
「そう、ちょっと待っててね」

 月裏は携帯を机に置いたままで、コップを棚から出すため立ち上がった。

 結局、有力な情報は掴めなかった。
 名前を覚えていれば直ぐにでも分かりそうなのだが、生憎譲葉の両親の名までは覚えていなかった。
 一家三人を巻き込んだ大事故についての記事は該当せず、どこかの誰かに起こった悲しい現実を見知ってしまっただけになった。

 事故とは悲惨だ。現場を目の当たりにした経験が無く、想像の中だけに留まってしまうが、写真や報道だけでも十分分かる。
 祖母は何か、知っているのだろうか――。

 考え事に思いを奪われていた月裏は、コップが手の内から擦り抜けた所で我に返った。
 落下シーンを見ながらも反応できず、コップは床に叩きつけられる。ガラス製のコップは、鋭い音を立てて盛大に割れた。
 一瞬、驚いて硬直してしまう。だが、直ぐに硬直は解け、苦笑いして譲葉を見る。

「……ご、ごめん、びっくりさせた……ね……?」

 譲葉の表情が、明らかに変化していた。
 左手の平を口元に、右手の平を胸元に宛がい、呼吸を乱している。

「譲葉、くん……?」

 月裏は唯事では無いと一瞬で悟り、割れたコップはそのままに譲葉に駆け寄った。
 苦しげな顔をして、肩で呼吸する譲葉の背に手を当てる。その体は大きく震えていた。

「だ、大丈夫? どうしたの、譲葉くん」

 見るからに可笑しい。何かトラウマでも引き出してしまったとしか思えない。

「……病院……救急車……」

 月裏は焦りながらも、机の携帯に手を伸ばす。だが、譲葉の体から力が抜け、椅子から落ちそうになるのを阻止する為、直ぐ体勢を戻した。細い体を受け止める。
 譲葉は気絶していた。触れた服越しにでも分かるくらい、鼓動がうるさく音を立てていた。

 譲葉の事で病院に来るのは2回目だ。
 前にやってきた時も酷い不安感はあったが、今回も全く変わらず、心が怖いと嘆いている。
 譲葉の苦しそうな顔も、息遣いも、鼓動の早さも、全て恐怖を煽って止まない。

「朝日奈さん」
「先生……!」

 処置室の前で待機していたが、名を呼ばれ慌てて部屋へと入る。
 部屋では、譲葉が点滴を受けて眠っていた。

「……譲葉くん大丈夫ですか……」
「大丈夫ですよ、安心してください」

 医師は、自分の座る席の向かいの丸椅子を指差して、着席するように薦めて来た。その為、促されるまま会釈して座る。

「…………あの、どうして倒れたんでしょうか……」
「……うーん、体には何の異常もありませんでした。なのではっきりした事は言えませんね……。倒れた時どういう状況でしたか?」
「……そうですね……」

 月裏は状況を思い出して、手が震えだすのが分かった。
 譲葉が目の前で気絶するのは2度目だ。しかもたった数日前に起こったばかりである。

 しかしその時は兆候があった。その時も急な展開に恐れ戦いたが、今回は一切の口も利けないほどに苦しみ、気を失ってしまった。
 月裏は、溢れそうになる涙を飲み込み、必死に状況の説明をした。

 説明中、声が横入りした。

「…………月裏さん………仕事の時間……だろ……」

 はっとなり顔を上げると、譲葉が寝転がったまま月裏を見ていた。
 慌てて備え付けの時計を見て、出勤時間間近になっている事に気付く。

「……そうだ、仕事……行かなきゃ……」

 医師の視線を潜り忙しく立ち上がったその時、とある思いが強く心に刺さった。
 ここで置いていったら前と同じだ。また巻き戻って、何も無かったかのようになってしまう。
 それでは意味が無い。何も出来ない、何も変えられない。

「…………ううん……今日は休むよ」
「……えっ」
「……電話だけしてくるね」

 月裏は、驚く譲葉から逃げるように、廊下へと出た。

 ドキドキと鼓動がなる。薄明かりの下、携帯の灯りが眩しく顔面を照らす。
 以前受け取った、¨具合が悪いならちゃんと言え¨との上司の言葉を思い出して、必死に言い聞かせる。

 大丈夫、怖くない。
 休めばその分負担も大きくなるけれど、今は逃げてはいけないと心が叫んでいる。
 嘘を吐く事になるけれど、これは今必要な嘘だ。
 今は譲葉と向き合え。譲葉の為に生きてゆくと決めたのだから、少しでも楽にしてあげなければ。

 月裏は会社へと、震える声で連絡した。

「戻ったよ」
「……月裏さん……」

 点滴を外された譲葉は、ベッドに座り込む形へと体勢を変えていた。

「今日は傍にいるよ」

 譲葉は、僅かに驚いた様子で絶句した。だが、何も否定らしき物はせず斜め下を見遣ると、

「…………ありがとう」

 と、ぽつり言った。
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