造花の開く頃に

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11月21日

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[11月21日、月曜日]
 日を経て、月裏の体調は回復へ向かっていた。
 しかし体が重いのも心が沈んでいるのもいつもの事なので、それ自体が消えた訳では無い。
 動けるまでに、無理できるまでに回復したと言うだけの話だ。

 だが月裏の心は、無理を前向きに捉えていた。誰にも言わないが、頑張ろうと密かに意気込む。
 昨日、譲葉と何でもない一日を過ごした。
 飲み込みが早いのか、元々腕が良かったのか、譲葉の料理は美味しかった。その他の家事も、手際よくこなしていた。
 ただ時々、脚の状態が気になったくらいだ。

 月裏は電車に揺られながら、必死に会社から思いを逸らそうと試みていた。
 会社の事を考えると、また気持ちが必要以上に沈んでしまうそうだった為、わざと目を向けないように努めているのだ。

 譲葉の為に生きる。譲葉を悲しませないように生きる。
 生活する上で悲しませたり苦しませたりする事は、これから先もまた何度もあるだろう。
 だけどそれでも、辛くなっても生きる。
 死ぬなと言われたから。
 言うなれば理由は、たったのそれだけだ。しかしその重みは計り知れない。
 譲葉が「死んでも良い」と言うまで、堪えてやる。

 月裏は、耳慣れたアナウンスにて降車駅の名前を耳にし、鞄を手にそっと立ち上がった。

 その頃譲葉は、携帯に収められた写真を見ていた。懐かしい家族写真には、切り取られた両親の顔がある。
 両親の死を知った日を思い出し、同時に別の悲劇も思い出した。

 両親は優しい人だった。自分の無力さの所為でよく困らせてしまったけど。悲しい顔をさせたどころか、色々と奔走させてしまったけれど。

 強く根付いた、悪人面が浮かぶ。思い出すだけで震えが起こる位、記憶に深々と焼きついた人間達。
 教科書、上靴、お弁当、倉庫、文房具、桜の下、窓。
 次々と、懐かしくも感覚的には繊細な記憶が蘇ってくる。

「………うぅ……」

 最終局面にて澱む世界に、譲葉はまた頭痛を覚えた。

 今日も、長々と苦痛の内に続く仕事を終え、月裏はふらふらと闇の中を歩いていた。
 だが途中、遠くでピカピカ光る幾つもの光を見つけて立ち止まる。真っ暗な世界に、しきりに点滅する光だ。

 近付くにつれて、それが車のライトであると分かった。
 幾つもある光は、事故の為停車した2台の車と、事故対応する為駆けつけたパトカーによる光だった。
 月裏は¨事故¨に、息を呑む。繋がった空想に、冷や汗が流れ出す。

 今目の前で処理されてゆく事故は、大して大きな事故ではなく、多分軽く衝突した程度の軽いものだろう。
 月裏が息を呑んだのは、事故によって譲葉を思い出してしまったからだ。
 巻き込まれた事故について詳しく聞いたことは無いが、死亡事故なのだ、悲惨であったに違いない。

 それこそ車が大破したり、辺りに血が飛び散ったり、見るに耐えない現場だっただろう。
 いやそれか、事故が原因で重傷を負い、死に繋がったのだろうか。
 なんにせよ、酷かった事には変わりないはずだ。

 昨日一昨日と見た譲葉の様子には、珍しく感情があった。普段表情や語気の変化がない分、気持ちの揺れが強く影響していたのだと考えずとも分かった。
 推測に過ぎないが、事故で両親を失った時心に負った傷が、感情の動きに深く関係しているに違いない。

 どんな事故だったのだろう。どれくらい、悲惨な物だったのだろう。
 はっきりと知りたいが、譲葉には聞けない。
 月裏はちらりと鞄の中の携帯を見遣りながら、事故現場の横を背中を窄め通り過ぎた。

 事故について、脳内で巡らせながら扉を開け、指先がスイッチに辿り着く前に電気が点いた。

「お疲れ様、月裏さん」

 廊下の向こう側、反対側にもある廊下のスイッチに指先をつけたまま、玄関を真っ直ぐ見る譲葉が居る。

「あっ、ただいま譲葉くん……」

 壁に手を宛てながら、ゆっくりと距離を縮め始めた。
 月裏は月裏で、急いで靴を脱ぎ駆け寄る。
 少し玄関寄りで合流して、譲葉が顔を上げた。

「大丈夫だったか?」
「あ、うん、大丈夫だったよ」

 無意識に零れた嘘の上に、にっこりと柔和な笑顔も重ねてみる。
 事故現場を見て考えてしまってから、譲葉に対しての慈悲心が深まり、また弱みを見せてはならないとの結論を手繰っていた。
 今自分に出来る事は、これ以上譲葉を不快にしない事だ。
 だから出来るだけ、元気な素振りを見せよう。

「……もう大丈夫だから、ありがとう」

 月裏は、安心させる為の言葉を作り出し、放っていた。
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