造花の開く頃に

有箱

文字の大きさ
上 下
29 / 122

10月17日

しおりを挟む
[10月17日、月曜日]
 月裏は3時頃、目を覚ましていた。悪夢を見た訳ではないが、正体不明の恐怖感に駆られて目覚めてしまったのだ。
 時々起こるこうした得体の知れない恐怖感に、やっぱり自分自身困惑してしまう。

 気持ちを落ち着かせる為、取り敢えず起き上がり深呼吸してみるが、仄暗い部屋は不安感を煽るだけだった。
 死にたい。消えたい。何も考えたくない。脳裏に過ぎるのは、そんな思いばかりだ。
 死んでしまえば楽になれるのに、それが中々叶わない。
 ぽたぽたと、雫がシーツに落ちだした。

「………どうした…?」
「えっ?」

 急に声が聞こえて目を上げると、譲葉がこちらを見ていた。咄嗟に笑顔を作る。

「あっ、ごめん、起こしちゃったね。何でもないんだ、ちょっと起きちゃっただけだから」
「そうか…」

 嗚咽は無意識に堪えていた。しかも薄暗い部屋の下では、顔もよく見えないだろう。だから、まだ涙している事は悟られていないはずだ。

「うん、だから直ぐに寝なおすよ、譲葉君もおやすみ」
「…おやすみ」

 譲葉は納得したのか、直ぐ背を向けた。
 再度布団の中に潜り込んだ月裏は、必死に息を殺し、感情を内側に留めた。

 譲葉の前で、不安にさせるような姿を見せてはならない。愛情を、それだけを伝えなくてはならない。
 心を閉ざしてしまわないように。気持ちを、少しでも楽にしてもらえるように。今は、頑張らなくてはならないんだ。
 目を閉じ、何度も何度も言い聞かせた。

 電車内は、とても静かだ。時々欠伸している人間がいる位には、退屈な静寂が流れている。
 今朝、起きてきた譲葉に変化は無かった。泣き顔に気付かれていなかった、と取っても良いだろう。
 月裏は無事に遣り過ごせていたと確信し、安堵感を浮かべ窓の外を見詰めた。

 現実の厳しさは、全く変化を見せない。
 仕事場では何時もの険悪な空気が流れ、同僚達は皆、仕事し辛そうに働いている。
 怒り浸透している上司にも快感は無いらしく、嫌な顔で仕事していて、空気が酷く澱んでいる。
 月裏は胸の不快感を覚えながらも、堪えて必死に業務をこなして行った。

 それでも帰宅する前には、上手い事表情を切り替えてみせる。
 譲葉の為だと考えると、どれだけ疲れていても笑顔で居なくてはならないと、一人の時は出来なかった無理が簡単に出来てしまった。
 勿論気持ちは辛いが、自然と出来てしまった。

「ただいま」
「おかえり、お疲れ様」

 普段通り挨拶をくれた譲葉の手には、この間買った雑誌が抱えられていた。画材は無い。

「……あれ?今日は本だったんだね?」
「あぁ」
「面白い?」
「面白い」

 譲葉の持っている雑誌は、一般から投稿された詩などの文を集めた物で、今思えば10代の青年が読むには少し大人びている気がする。

「……どんなのが好きなの?漫画とか読む?読むなら今度買ってくるよ」

 申し訳なさを塗り替えようと勢いで零した質問に対し、譲葉は少し戸惑い気味に答える。

「…漫画はあまり……そうだな、活字が好きだ」

 月裏は、抱いた申し訳なさが必要なかった事に気付き、安心感を抱いた。
 そして成り行きではあるが、譲葉の事をまた一つ知れて少し嬉しくなった。

「…そっか、じゃあ小説とかも好きかな?」
「…あぁ」
「……良かった、今度買うね」

 ふわりと零された笑顔の意味が、譲葉には理解できなかったのか、少しきょとんとしていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

ナースコール

wawabubu
青春
腹膜炎で緊急手術になったおれ。若い看護師さんに剃毛されるが…

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

借金した女(SМ小説です)

浅野浩二
現代文学
ヤミ金融に借金した女のSМ小説です。

若奥様は緑の手 ~ お世話した花壇が聖域化してました。嫁入り先でめいっぱい役立てます!

古森真朝
恋愛
意地悪な遠縁のおばの邸で暮らすユーフェミアは、ある日いきなり『明後日に輿入れが決まったから荷物をまとめろ』と言い渡される。いろいろ思うところはありつつ、これは邸から出て自立するチャンス!と大急ぎで支度して出立することに。嫁入り道具兼手土産として、唯一の財産でもある裏庭の花壇(四畳サイズ)を『持参』したのだが――実はこのプチ庭園、長年手塩にかけた彼女の魔力によって、神域霊域レベルのレア植物生息地となっていた。 そうとは知らないまま、輿入れ初日にボロボロになって帰ってきた結婚相手・クライヴを救ったのを皮切りに、彼の実家エヴァンス邸、勤め先である王城、さらにお世話になっている賢者様が司る大神殿と、次々に起こる事件を『あ、それならありますよ!』とプチ庭園でしれっと解決していくユーフェミア。果たして嫁ぎ先で平穏を手に入れられるのか。そして根っから世話好きで、何くれとなく構ってくれるクライヴVS自立したい甘えベタの若奥様の勝負の行方は? *カクヨム様で先行掲載しております

あなたのサイコパス度が分かる話(短編まとめ)

ミィタソ
ホラー
簡単にサイコパス診断をしてみましょう

【完結】極貧イケメン学生は体を売らない。【番外編あります】

紫紺
BL
貧乏学生をスパダリが救済!?代償は『恋人のフリ』だった。 相模原涼(さがみはらりょう)は法学部の大学2年生。 超がつく貧乏学生なのに、突然居酒屋のバイトをクビになってしまった。 失意に沈む涼の前に現れたのは、ブランドスーツに身を包んだイケメン、大手法律事務所の副所長 城南晄矢(じょうなんみつや)。 彼は涼にバイトしないかと誘うのだが……。 ※番外編を公開しました(10/21) 生活に追われて恋とは無縁の極貧イケメンの涼と、何もかもに恵まれた晄矢のラブコメBL。二人の気持ちはどっちに向いていくのか。 ※本作品中の公判、判例、事件等は全て架空のものです。完全なフィクションであり、参考にした事件等もございません。拙い表現や現実との乖離はどうぞご容赦ください。 ※4月18日、完結しました。ありがとうございました。

処理中です...