造花の開く頃に

有箱

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10月9日

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[10月9日、日曜日]
 朝、目を覚ますとベッドの中に居た。左斜め上に視線をやると、譲葉と視線が合った。雨音は消えている。

 昨夜の記憶が、曖昧だ。
 確か謝罪して、その後何らかの流れがあってベッドに移動したと思ったのだが、その間にある筈の、譲葉の反応だけが一切思い出せない。
 そもそも反応があったのかさえ、記憶に残っていない。

「…大丈夫か?」

 昨晩の記憶を手繰っていたが、譲葉の気配りにすぐさま切り替える。

「うん、ありがとう、大丈夫だよ、昨日はごめんね」

 譲葉は首を横に振ると、気まずくなったのか、無言で窓の方を見詰め始めた。

「何か、出来る事はないか」

 唐突に零された要求に付いてゆけず、一瞬絶句する。

「…どうしたの?気にしなくて良いんだよ?」

 まず、どうしてそこに至ったかの経緯が不明だ。

「何もせずに置いてもらうのはやっぱり気が引ける、だから何か」

 淡々と落とされた内容が月裏の中で引っかかったが、考えて悶々とするのも嫌だった為、放り出す。
 それに自分も、同じ立場なら、同じ気持ちになってもおかしくは無い。
 月裏は、譲葉が無理なく出来る事を、生活の中から探った。
 それは本日の日課を巡らせた結果、すぐに辿り着いた。

「………じゃあ、一緒にご飯作ってくれる?」

 譲葉は想定外だったのか、軽く首を傾げる。

「…………それでいいのか?」
「うん、まずは買い物だね」

 月裏は、重い体を持ち上げて上体を起こす。反射的にか、譲葉が体を支えた。

「立てるか、大丈夫か」
「大丈夫大丈夫、取りあえずシャワー浴びてきて良い?」
「…ああ」

 月裏は、些か戸惑いらしきものを見せる譲葉を振り切るように、足を地に付けてシャワールームへと急いだ。

 昨日、食事もまともに摂らずに胃の中の物を全て吐き出したからか、体がまだ辛いと言っている。
 いつもの倦怠感に、風邪に似た症状が重なっている。
 しかし、日課を変更して譲葉に無駄な心配をさせたくなかった為、月裏は通常通りの日課を送ってしまおうと決めた。

 引き続き譲葉もシャワーを浴び、予定していた通り二人はスーパーに来ていた。

 向かっている途中もスーパーの中でも、譲葉は必死になって、まるで記憶に焼き付けるようにして物を捉えている。
 野菜コーナーで、嫌いな食材を籠に入れたらしき母親に、子供が駄々を捏ねている。その光景を微笑ましく見ながら、月裏は気付いた。

「……そう言えば野菜って何でも食べれるの?」

 今まで、様々な食材を駆使し作った料理は全て食べてくれていたが、よく考えたら、好き嫌いの一つや二つあっても可笑しくないだろう。

「ああ」
「……そう」

 しかし、尋ねる必要は無かったらしく、早々に会話は終わりを告げた。

 今日は体調が思わしくない事もあり、衣類品売り場には立ち寄らなかった。
 本当は、譲葉のコートを探そうと予定していたが、次回に持ち越しだ。
 食料品だけを回り、レジを通ってスーパーを出た。

 通常よりも少しばかり寝過ごしていたらしく、丁度今からスーパーに向かうらしき人間がちらほらと見える。
 譲葉は人が苦手なのか、擦れ違いかけると浅く俯き、月裏側に僅かに身を寄せて歩いた。

 約束通り、キッチンに二人して横並ぶ。
 譲葉に、調理器具の在り処等簡単に教えてから、調理を開始する。

「じゃあ、僕切るから炒めてくれる?」

 危険を考慮し、月裏は自ら包丁を握った。
 譲葉は早速フライパンと菜箸を棚から取り出すと、スタンバイ完了と言わんばかりに、フライパンをコンロに置き、菜箸を手にする。

 ――――何か会話を。と思いながらも、簡単に思いつく筈も無く、調理中静かな空気が流れた。
 譲葉は、熱により小さくなってゆく野菜と、月裏の手元で細かくされてゆく食材を交互に見ている。

 途中交わされる会話と言えば指示と確認だけで、月裏は思わず譲葉の心情を伺ってしまった。窮屈になっていないか、考えてしまった。
 横目で様子を窺いつつ見ていると、手際よく、空気を含ませるようにして玉子を混ぜる譲葉の姿に、素朴な疑問が浮かぶ。
 会話の切欠を手に入れ、月裏はすぐに切り出した。

「……もしかしてご飯作った事ある?」
「よくばぁちゃんと作ってた、懐かしい」

 譲葉の解答に、懐かしい顔が浮かぶ。声は半月前、譲葉の一件で聞いたが、顔はもう随分と見ていない。

「そうなんだ、おばあちゃんのご飯美味しいよね。最近は全然食べてないけど、それは覚えてるよ」

 生活が一変する前の平和な時期に、大好きでよく遊びに行っていた事も思い出す。
 その時に出してくれる食事が毎度ながら豪盛で、行く度に、制作する工程からずっと眺めていた。魔法みたいだと楽しく眺めた感覚が、まだ記憶として残っている。

「美味しい、月裏さんの味と似てる」
「えっ、そうなの?」
「でもばぁちゃんの料理の方が、切り方とか大胆だった」

 確かに、手伝った事はなかったが、潔い作り方だったのは印象的だ。
対照的に、性格からか、月裏は細かい料理が多い。

「確かにそうだったね」

 譲葉の口から出てきた、祖母の存在に思う。

「…おばあちゃん、好き?」
「好きだ」
「僕もだよ」

 おばあちゃんと、もう一回住みたい?
 口から零れそうになった質問を、月裏は反射的に呑んだ。
 祖母が施設から出られる位元気になって、譲葉ともう一度住める保障は無いのだ。
 譲葉の家は、今はここなのだから。
 いや、これからずっと、この場所が譲葉の家になるかもしれないのだから。

「…大丈夫か?」
「え、あ、うん大丈夫、ごめん」

 月裏は指摘されて漸く、上の空になっていたと自覚する。すぐに取り繕って、また笑ってみせた。

 食事中も、静かだった。譲葉は相変わらず、姿勢正しく綺麗な姿で食事する。
 それは多分祖母からではなく、譲葉の両親の教えの賜物だろう。
 両親がどんな人だったか些か気になったが、事故死していると知っていた為、発言を躊躇ってしまい、終始口頭に上る事はなかった。

 食後、体調の悪さが気持ちを支配するまでになっていた為、譲葉に一言告げ眠る事にした。

 途中、目覚めながらも眠り、漸くはっきりと目が覚めたところで、暗い部屋の中携帯の電源を入れると、画面に8時29分と表示された。
 目に映った景色の暗さに夜の訪れを覚悟はしたが、想像以上の長時間眠っていた事に気付き、すぐに飛び起きて譲葉を探す。

 部屋から出た所で廊下を照らす灯りが目に付き、すぐに譲葉の姿も捉える事が出来た。
 譲葉は、真剣に造花を描写していたが、物音に反応しゆっくりと顔を上げた。

「月裏さん、起きたのか」

 月裏は譲葉の横に近付き、スケッチブックを横目で見たが、角度上見えなかった。

「……長い時間ごめんね、ご飯食べた?」
「冷蔵庫に入れといてくれたやつを貰った」
「そっか、良かった」

 月裏が現れたからか、ページは閉じられた。譲葉は外装を見ながら、ぽつりと声を落とす。

「もう大丈夫か?」
「…うん大丈夫。よくあるんだ、気にしないで」

 敢えて、情緒不安定が原因にあって、と告げるのはやめた。一般的にも、慢性体調不良はポピュラーになりつつある現代だ、よくあるとの発言に対し、違和感は無いはずだ。

「そうか、辛い時は無理するなよ」
「…うん、ありがとう」

 譲葉を騙しているようで少し心苦しかったが、正直の所、精神障害があると見下される方が怖いのだ。
 心を病んでいるからと、無理に気遣われるのは、もっと心苦しいのだ。
 だから、¨よく体調を崩す体の弱い大人¨くらいの認識をしてくれれば楽だな、なんて月裏は思った。
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