造花の開く頃に

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9月17日

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[9月17日、土曜日]
 設定しっ放しのアラームに目覚めると、直ぐに日課通りの日々を歩み出す。
 今日は土曜だが、仕事である。常に忙しく仕事が溢れている為、土曜も出勤が求められているのだ。
 明確な理由も無く落ち込む心を無視して、準備を続ける。
 いつも通り外に出て軽く辺りを見回してみたが、写真で見た譲葉の姿はなかった。

 今日は昨日、一昨日よりは早く、10時10分頃に自宅に辿り着いた。階段を上り、自宅へと入る。
 ベッドに潜り込む前にポケットの携帯を出そうとして、バイブレーターが作動しているのに気付いた。遅い時間の着信に眉を顰めつつも、

<おばあちゃん>

 相手先に驚き、即座にボタンにて受話器を上げた。

「も、もしもし、どうしたの?」
≪つくちゃん久しぶりねー、元気してた?≫

 変わらない声に安堵しつつ、脳内に浮かぶのは手紙の件だ。しかし、まずは答えるのが先決だ。

「あ、うん元気だよ、おばあちゃんは?」
≪元気よー心はねー、体はもうよぼよぼよー≫

 軽快な笑声と共に冗談交じりに落とされて、内面に変化がない事を悟った。一安心だ。

「そう、大変だったね、ごめんね全然いけなくて」
≪あっ、それは良いの。手紙届いた?≫
「あっ、うん」

 気にしていた内容へと話題が切り替えられ、つい構えてしまう。

≪そう言えば¨さっき送り出した¨って書くのを忘れていたのに今更気付いて、ゆずちゃんそろそろ着いたかしら?≫
「………ん?」

 祖母の発言を、脳内で整理する。
 手紙を書いた時点での先程というと、それは数日前を意味する。
 月裏の中に、一気に焦りが生まれた。

「……まだ、だけど?」
≪あら?そうなの?とっくに着いていても良い頃だと思うんだけど、迷子かしら…≫
「…道はちゃんと知ってるの?」
≪描いた地図と、印刷した地図と、口頭の説明をしたから大丈夫だと思ってたんだけど…心配ねぇ…≫

 この地方は入り組んだ道などもあり、分かり辛い地形になっている部分もある。故に、迷子になっても可笑しくは無い。
 比較的治安の悪い町ではないが、それでも子どもが一人で外にいる行為自体が危険だろう。
 月裏と裏腹に、冷静な祖母が静かに切り出す。

≪ちょっと電話してみるわ≫
「あ、うん、僕もちょっと周辺探してみるから、何か分かったら連絡頂戴」

 感化され冷静になった月裏は、通話を切ると、身体の疲労を持ちながら立ち上がった。

 普段歩かない、暗い街はどこと無く不気味だ。付近でありながらよく把握していない道の作りや、様々な方向から聞こえる幾種もの音が、得体の知れない恐怖を運んでくる。
 その内月裏は、その場に蹲り動けなくなっていた。

 本来の目的が脳内から追い遣られてゆき、恐怖だけが心の中を支配する。形の無い不安が悪夢のように心を貪り、不安定な色をして攻め立ててくる。
 その内呼吸も速くなってきて、自宅に戻る意志だけが月裏を動かし始めた。
 だが、携帯電話が制止をかけた。

≪もしもしつくちゃん?≫
「…おばあちゃん」

 月裏は、繋がりを感じる事で安堵感を得ようと、ぎゅっと携帯電話を握り締める。

≪…ゆずちゃんね、今公園に居るって言ってたわ。どこか分かる?≫

 駅までの道に、一箇所だけあったと記憶している。小さすぎて、公園と呼べるような場所では無かったが。

「うん多分、行ってみるね」
≪宜しくね、本当にごめんねつくちゃん≫
「ううん心配しないで、大丈夫」

 月裏は、渦巻く感情とは全く逆の台詞を返した。大好きな祖母を傷つけたくないという本物の感情が、また別の感情に食って掛かり、月裏を苦しめた。

 小さな小さな公園の、子供用のブランコに青年はいた。写真で見た時は映っていなかったが、その手には杖がある。物珍しい小物に、直ぐ目が引かれた。
 どうやら彼は、足が悪いようだ。

「……譲葉、君?」
「……お前が月裏か?」

 闇の下、暗い瞳を向けられて怖気づいてしまう。美しい瞳の形をしながらも、見詰めてくる眼差しは鋭く威圧的だ。
 ふわりと、柔らかく乱れた黒髪が揺れた。譲葉が立ち上がったのだ。杖のコツン、という音と共に。

「これから世話になる、迷惑はかけないつもりだ、けど邪魔になったらいつでも追い出してくれて構わない」
「……え?あ、うん、分かった」

 テキパキとした物言いに、月裏は唖然とする。追い出すつもりなど毛頭無かったが、勢いで頷いてしまう。

「探させて悪かった」
「ううん、迷子怖かったでしょ?」
「怖くない、平気だ」

 毅然とした態度から、本心だろうと憶測する。暗闇があまり好きではない月裏にとって、それは尊敬に値する。

「…そう」

 そして、自分より遥かに年下の青年の強さに、情けなさも抱いた。

「あれ?荷物は?」

 よくよく見ると、杖以外の荷物が無い。家を出るのに、鞄一つ無いなんてありえないだろう。

「重くて持てなかったから置いて来た」

 あまりにも端的に話すものだから、月裏の追及は加速しなかった。

「そう」

 自宅に辿り着くと譲葉は早速、玄関に飾られた花に目を奪われていた。靴も脱がず言葉一つ零さず、ただ立ち止まって見詰める。

「…おかしいでしょ、花なんて」
「別に」

 月裏の家には、たくさんの造花がある。勿論、趣味で集めたものだ。だが、それは月裏が始めたのではなく、今は亡き母親が収集を始めた第一人者だった。
 何時の間にか枯れない美しさに魅了され、月裏も自主的に集め、飾るようになった。

 しかし、男なのに花が好きな事を恥じている一面もあり、自分から誰かに話した事は無かった。隠している訳でもないが。
 譲葉は杖を靴入れに立てかけると、壁伝いにゆっくりと歩き出す。月裏は無意識に、その体を支えた。

「いい、歩ける」
「ごめん」

 しかし、拒否された為、直ぐに離す。

「…足大丈夫?怪我?」

 包帯も巻かれていなければ傷を負っている気配すらないが、杖を使用するという事は何か負ってはいるのだろう。

「そうだ、昔事故でな、ずっとこのままらしい」

 横にいる月裏に視線一つ向けずに、真直ぐに突き当たりの部屋に向かってゆく。その瞳は、相変わらず深く暗い。
 譲葉の足は現在治療中ではなく、既に完治し後遺症を抱えた足であった事に月裏は心を痛めた。事故の原因が何であれ、心にも傷は残っているだろう。

 入室して見た掛け時計は、いつしか12時を回ろうとしていた。
 いざ必要な行動も無く対面すると、何をして良いか分からず硬直してしまう。しかし緊張は、譲葉の方が大きいはずだ。
 見知らぬ土地、見知らぬ家、そして見知らぬ男と突然共に暮らせと言われたのだから。

「お風呂どうする?明日にする?」
「いつもどうしてる?」

 明らかな配慮を解いてあげたいと思いながらも、月裏は返答外の言葉を表せなかった。

「……朝風呂かな」
「じゃあそうする」
「あ、そこ使って良いよ、眠いでしょ」

 立ち尽くしている譲葉に気付き、月裏は焦って譲葉の脇のベッドを指差す。
 譲葉は、乱れたままのベッドを見詰めた。

「…えっと、ごめん、汚いね…」

 月裏は直ぐに、ベッドメイキングに取り掛かる。その姿を、立ったままの譲葉は数秒見て、

「いや、違う、お前はどうするんだと思っただけだ」

 平坦な声色で、落とした。
 落ちてきた声に些か安堵して、月裏は向かいの壁に寄り添い配置されたソファを指差す。

「僕はそこで良い」
「…そうか悪いな…、じゃあ借りよう」

 シーツや枕が軽く整えられたのを見兼ね、譲葉はゆっくりと腰を落とす。そして、そのまま横になった。

「電気消すね」

 尋ねたい事などまだ色々とあったが、急な眠気を意識した月裏は、ひとまず明日まで持ち越す事に決めた。

「……おやすみ」

 豆電球の灯りだけを部屋に残し、月裏は着替える為別の部屋へと向かった。
 そして直ぐに戻り、ソファに横になる。本日に限り、掛け布団の変わりに上着を羽織る事にした。

 しかしそれから一時間経っても、月裏はまともに眠る事が出来なかった。
 眠気は高まり、今にも眠りに落ちてしまいそうなのに、意識が切れたと思ったら直ぐにハッと目覚めてしまう。
 その理由を、月裏自身はっきりと理解していた。譲葉が、人が隣にいるからだ。
 警戒心が人一倍強い月裏は、熟睡する事は愚か眠りに付く事すら出来なかった。

 月裏は日頃から、不眠症に悩まされていた。はっきりとした原因は無いが、心因から来る物だとはよく知っている。
 改めて、自分の性格や癖など客観的に思い巡らして、今更、上手くやって行けるだろうか。なんて不安に駆られた。
 先程まで正直いっぱいいっぱいで、考える事が叶わず半分忘れていたが、自分は相当な問題体質なのだ。

 譲葉へと視線を向けてみたが、見えたのは背で、表情一つ読み取る事が出来なかった。
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