4 / 7
4
しおりを挟む
青年は基本的に、一日中家にいるらしい。一緒にパンをかじり、体を洗われ、星を見たり、優しく撫ででもらったり。そんなことの繰り返しで時間は紡がれた。
時々、食料の調達や散歩に出たりもした。今ではすっかり、固いパンも食べられる。足の痛みも随分緩和し、今はゆっくりだが横を歩けるようになった。
お日様が笑う時間帯なのに、ここはいつだって暗い。ゾンネは太陽を避けるように生きていた。短い道を一本抜けた先、明るい世界があっても影を選んだ。
一本道の向こうから、誘うように光が線を描いている。
「そっちに行きたいのか? 行ってもいいぞ。もう歩けるんだから」
「……行けないよ。酷い目に遭うのは怖い」
人間に僕らの声は届かない。ゾンネも例外ではなく、何も答えてはくれなかった。
ゾンネが光から体を背ける。瞬間、二つの声が聞こえた。恐らく、明るい国から聞こえているのだろう。男の声には圧が、女の声からは恐れや拒絶が感じ取れた。
喧嘩でもしているのかな――探るより早くゾンネが翻り、駆け出した。光の方へと迷いなく突き進んでゆく。驚いたものの、見失わないよう追いかけた。
ゾンネが止まったのは、道を出てすぐのところだ。若い女性が、ボロボロの男に手を捕まれている。しかも、男は二人組だった。
「何やってんの?」
あの時と同じ低音が響く。場がピリリと凍りつき、弾けた。男二人が、容赦なく飛びかかってくる。
「人殺しのゾンネだ! やっちまえ!」
二対一では分が悪かったのだろう。ゾンネは激しく殴られ、血を流していた。僕も一度は男に飛びかかったが、はね除けられ死角に隠れてしまった。出会いの日を思いだし、体が強く震えた。
*
痛々しい姿で帰宅する。満足行くまで殴られていたゾンネは、全身を傷だらけにしていた。そのくらい懸命に戦ったのに、気づいたら女性も消えていた。
「びっくりしただろ、ごめんな。でも、逃げずにいてくれたんだな」
涙を含む声に横顔を伺う。当然顔色は悪かったが、瞳は乾いたままだった。
「俺さ、一回だけ人を殺してるんだ。随分と若かった頃にね。今じゃ強く後悔してんだけど、そんなのは誰も知らない。俺は他者から見て殺人鬼でしかないんだ。だから俺になら何してもいいし、何なら殺してもいいと思ってるらしい。向こうの奴らも、ここの奴だって皆そうだ。どうやら一度血で染まったら、一生取れないようだぜ」
ゾンネは自らの手のひらを睨む。温かで優しい手のひらに、何が見えるのか僕には分からなかった。
「でも、お前は違うもんな」
瞳が僅かに持ち上がり、僕を捉える。
「お前、黒猫じゃないんだろ。汚れか何かで黒くなってるだけなんだろ」
瞳から赤い気配は消え、青黒い悲しみが宿っていた。溢れる苦痛を和らげたくて、そっとすり寄る。喉を鳴らすと、少しだけ色が澄んだ。
「今日も洗うか。それから飯にしよう……固いパンしかないけど」
苦笑したゾンネは、いつかちゃんとしたのを食いてえな、と冗談半分に呟いた。
時々、食料の調達や散歩に出たりもした。今ではすっかり、固いパンも食べられる。足の痛みも随分緩和し、今はゆっくりだが横を歩けるようになった。
お日様が笑う時間帯なのに、ここはいつだって暗い。ゾンネは太陽を避けるように生きていた。短い道を一本抜けた先、明るい世界があっても影を選んだ。
一本道の向こうから、誘うように光が線を描いている。
「そっちに行きたいのか? 行ってもいいぞ。もう歩けるんだから」
「……行けないよ。酷い目に遭うのは怖い」
人間に僕らの声は届かない。ゾンネも例外ではなく、何も答えてはくれなかった。
ゾンネが光から体を背ける。瞬間、二つの声が聞こえた。恐らく、明るい国から聞こえているのだろう。男の声には圧が、女の声からは恐れや拒絶が感じ取れた。
喧嘩でもしているのかな――探るより早くゾンネが翻り、駆け出した。光の方へと迷いなく突き進んでゆく。驚いたものの、見失わないよう追いかけた。
ゾンネが止まったのは、道を出てすぐのところだ。若い女性が、ボロボロの男に手を捕まれている。しかも、男は二人組だった。
「何やってんの?」
あの時と同じ低音が響く。場がピリリと凍りつき、弾けた。男二人が、容赦なく飛びかかってくる。
「人殺しのゾンネだ! やっちまえ!」
二対一では分が悪かったのだろう。ゾンネは激しく殴られ、血を流していた。僕も一度は男に飛びかかったが、はね除けられ死角に隠れてしまった。出会いの日を思いだし、体が強く震えた。
*
痛々しい姿で帰宅する。満足行くまで殴られていたゾンネは、全身を傷だらけにしていた。そのくらい懸命に戦ったのに、気づいたら女性も消えていた。
「びっくりしただろ、ごめんな。でも、逃げずにいてくれたんだな」
涙を含む声に横顔を伺う。当然顔色は悪かったが、瞳は乾いたままだった。
「俺さ、一回だけ人を殺してるんだ。随分と若かった頃にね。今じゃ強く後悔してんだけど、そんなのは誰も知らない。俺は他者から見て殺人鬼でしかないんだ。だから俺になら何してもいいし、何なら殺してもいいと思ってるらしい。向こうの奴らも、ここの奴だって皆そうだ。どうやら一度血で染まったら、一生取れないようだぜ」
ゾンネは自らの手のひらを睨む。温かで優しい手のひらに、何が見えるのか僕には分からなかった。
「でも、お前は違うもんな」
瞳が僅かに持ち上がり、僕を捉える。
「お前、黒猫じゃないんだろ。汚れか何かで黒くなってるだけなんだろ」
瞳から赤い気配は消え、青黒い悲しみが宿っていた。溢れる苦痛を和らげたくて、そっとすり寄る。喉を鳴らすと、少しだけ色が澄んだ。
「今日も洗うか。それから飯にしよう……固いパンしかないけど」
苦笑したゾンネは、いつかちゃんとしたのを食いてえな、と冗談半分に呟いた。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる