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最初で最後の恋をする

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 それから数日、眠れない夜を過ごした。
 眠りに就こうとする度、死のイメージが過ぎり目覚めてしまうのだ。そうして、何の為に生まれ落ち、生きてきたのか延々と追求してしまった。
 
 そんな日々を過ごしていたある夜中、聞き慣れない足音が耳を突いた。大人が子を追いかけているような、二つのテンポが小さく響く。

「そんなに走られてはお体に触ります」
「少しくらい良いじゃないの」

 追いかけに会話が重なった。空間が静かなせいで、小声でも内容がはっきりと分かる。
 少女と男のやり取りは、まるで架空の物語のようだ。会話からも、完全な部外者だと分かった。

 珍しい掛け合いに、意識が引き付けられる。内容はもちろん、足音が二つしかないことも奇妙だった。
 普通ならば、部外者の立ち入りは看守が同行する。なのに、その分の音はなく、本当に二人分の存在しか悟れないのだ。

「この人が"提供者"なのね……」

 足音が、鉄格子の前で止まった。と同時に、落とされた台詞で悟る。
 この声の主は――彼女は、臓器の提供相手の一人だ。

 気付いた途端、心臓が騒ぎだした。改めて実感を得て、間近に見えた死を全身が拒否し始める。

「この人が、私を助けてくれるのね!」

 だが、彼女の放った言葉が、恐怖を一瞬塞き止めた。好意的な台詞が意外で、つい視線を向けてしまう。

 年齢にして十四、十五才くらいだろうか。格子を隔てた先にいたのは、あどけない少女だった。
 長くてサラサラの髪に、円い瞳。少し大きめのパジャマは薄桃色で、とても可愛らしい印象を与える。

 再び心臓が騒いだ。しかし、騒ぎ方が先程とは全く違う。初めての感覚に動揺しつつも、少女から目を離せなかった。
 
 この日、僕は彼女に恋をした。



 結局、一睡もできず徹夜してしまった。脳内を踊るは彼女の顔と声ばかりで、職務にも全く集中出来なかった。

 再会を願えば可能性の低さに絶望し、彼女の身分を想像しては格差に打ちのめされる。思考したところで変わることはないのに、溢れて止まなかった。
 お嬢様と呼ばれる立場でありながら、システムを利用する理由も、気になって仕方がなかった。

 結果、上の空だと叱られ、当たりの強い看守に攻撃される散々な一日を過ごした。
 
 精神的にも肉体的にも疲弊し、眠りにつく。やっと空っぽになれると思いきや、夢の中にまで彼女が現れた。

 にこやかに笑う少女が、鉄格子を隔てて僕の前に立つ。僕は彼女に手を伸ばそうとして引っ込める。それだけの夢だ。

 胸が締まる感覚に苦しんでいると、少女の声が聞こえた。

「良いじゃない、少しくらい。あのことお父さまに言うわよ」

 本物の声で鼓膜を叩かれ、反射的に飛び起きる。唖然としつつも、視線は確りと少女を捉えていた。昨夜と同じ姿で立っている。
 少女は少し驚いた顔をしていたが、怯えは見えなかった。寧ろ、夢と同じような微笑みを飾った。

「はじめまして」
「お嬢様、言葉を交わしては……!」
「少し下がってくれる?」

 付き人と思われる男を、少女は睨む。弱味でも握られているのか、男は不服そうに退いた。
 少女は場に立ったまま、唐突に自らの話を始めた。

『ひっそり抜け出して、人には秘密で来てるの』『小さい頃から心臓が悪くて、体力作りに必死だったのよ』『血液型が特殊だったから、ずっと待っていて……』

 面識のない相手に対し、無邪気に語る姿は異様に映る。
 警戒心と言うものが薄いのか、ただ純粋なのか。病人なのに元気なのも妙で、僕の心は戸惑うばかりだった――とは言え、どちらかと言えば喜びに傾いていたが。

 なぜなら、今までこんな風に笑い掛けられたことがなかったからだ。

「これはきっと、神さまが巡り合わせたのね」

 少女が輝く瞳で、しかしどこかに静かな憂いを宿して溢す。ずっと聞き手に徹していたが、その呟きにだけは思わず回答していた。

「……神なんていないですよ」

 少女は、丸い瞳を更に丸くする。しかし、嫌な気分にはならなかったらしい。

「また明日も来るわね!」

 そう告げ、手を振られて、次は僕がキョトンとしてしまった。
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