僕をお金にして下さい!

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最終話:僕は家族を愛してる

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 とんとん拍子で事は進み、気付けば見慣れぬ場所に着いていた。服装も、建物も、僕のいた町と何もかも違う。
 人売りの男に誘導されるがまま歩いていたが、異様な様子を醸しているはずの僕らを、止める者は誰もいなかった。
 寧ろ、普通の光景として受け止めているようにも見える。いや、多分この国で人身売買は珍しくないのだろう。
 もちろん、目が合えば逸らされるし、蔑んだ目を向ける者も中にはいる。それらに直面する度、自分が落ちぶれた気がして気分が悪くなった。
 先には絶望しかない。一筋の光すら見えない。お金を求めすぎた余り、自分が金で動く存在になるとは思っても見なかった。思いたくもなかった。
 店舗が並ぶ商店街の一角、僕らは綺麗に並ばされた。それから直ぐ、男が大声を上げ始めた為、商売が始まったのだと察知した。
 正直、怖かった。怖くて俯いた。履いていた靴は、船に乗る前よりボロボロになっていた。
 早々から何人かの金持ちが立ち寄り、何人かの少年少女が連れ去られる。
 誰かが呪文のような言語で主人に話しかける度、額や首に冷や汗が伝った。
 行く先に寄っては、毎日暴力を振るわれるかもしれない。優しくされたとしても、働き詰めにはされるだろう。
 エマとお父さんの笑顔が見たい。裕福な生活は要らないから、二人と一緒に過ごしたい。
「――い、聞いてるのか!」
 怒声が近くで響き、ハッと顔を上げる。目の前に人売りがおり、そこで自分が呼ばれていたことに気付いた。
「な、なんですか……」
「買い手が決まった」
 そう言いながら、首に掛かっていた値札を素早く取る。そうして、早く行けと帽子の男を指差した。
 唐突な事態に、心が凍りつく。分かっていたのに足が震える。しかし、立ち止まる事も出来ず、買い手という男の元へ向かった。

***

 男は一人だった。帽子を深々と被っており、顔は見えない。迎えやお付きの人間はいないらしく、無言のまま道を歩いていく。
 大きなキャリーバックが恐ろしかった。
 何も言われないまま着いてゆくと、豪邸の立ち並ぶ集落に出た。
 人を買えるほどのお金を持っているのだ。恐らく、この辺りに家があるのだろう。
「ここが私の家だ、入りなさい」
「えっ」
 男から出た優しい声に、酷く驚いてしまった。正直、もっと惨い扱いをされると思っていた。
 男の口元に笑みはなかったが、指先が玄関を指し示す仕草で優しい人なのだろうとは分かった。
「し、失礼します……」
 豪邸に踏み入ると、あの日の出来事を思い出す。
 体を売ったおじ様が、銃で撃ち殺された日の事だ。そして、人売りに売られた日の事。
 たった数日前の出来事が、随分前の事のように思える。
 豪邸は、外観も豪華だったが内装も豪華だった。お手伝いさんの存在はなく、人は一人もいない。男は着替えにでも行ったのか、家に入った途端に居なくなった。
 涙が出そうになった。これから先、何があるのか一ミリも予想できなくて怖い。
 この家でどう暮らしていくのか。言語も分からない土地で何をさせられるのか。
 分からない事だらけだ。唯一分かるのは、もう家族に会えないことくらいだろうか。
「お待たせ」
 後方から声を掛けられ、反射的に翻った。体を強張らせ、露になった顔を確認する。
「えっ……」
「やぁ少年、いつ振りかな?」
 淡くだが記憶に残る顔に、驚愕が隠せない。そこに居たのは、物売りをしていた時に出会った外国人旅行者だった。
 自作の家具を買ってくれた人だ。本当にお金持ちだったとは吃驚だ。
「な、何で貴方が……!?」
「いやー、偶然商店街に立ち寄ったら君が居たから。私も吃驚したよ」
 男はニコニコしながら、目の前で服を広げた。少し大きめの服を掲げられ、困惑する。
「着替えたらお茶にしよう。こうなった経緯を聞かせてくれるかな」
 声と同時に涙が零れた。優遇の所為で、続けていた我慢が切れたのだ。
「あ、ありがとうございます……」
 持って来てくれた服は、柔らかかった。

***

 ここは男の別荘らしい。この国に立ち寄った時に帰る為の家だとか。男は旅人で、国中を転々としているそうだ。
 家を複数持つとの概念がない僕には、信じられない話だった。
 男の話を軽く聞いたところで、僕も自分の話をした。数瞬迷った物の、隠し事をするべきでは無いと細かい所まで全て話した。
 家族の事も、手をつけた仕事の事も、殺人に手を染めた事も、全て。
 反応を恐れながら話していたが。男は全てを相槌と共に聞いてくれた。
「それは大変だったな」
「……はい。自分が駄目だったって分かってるんですけど、でもこういう風になるとは思ってなくて……」
「なるほど」
 男は、顎に手を当て何かを考え始める。彼にも考えがあるのだろう、真剣な眼差しは鋭かった。
「私は一週間ほど、ここに滞在する積もりだ」
「は、はい」
 唐突な宣言に、戸惑いつつ返事する。意図を汲み取ろうと努めたものの、難しかった。
「その間、家事を手伝ったり話し相手をして貰っても?」
「も、もちろんです」
 男が何を考えているのかが分からず、内心ビクビクした。何を考えていても、僕に許されるのは受け入れる事だけなのだが。
「そしたら、そのお礼に君を家に送り届けてあげよう」
「え……?」
 諦めが浮上した矢先の助けに、言葉が消えた。目を大きく見開き、その場で硬直してしまう。
「どうだ? 良い話だろう?」
 もう、会えないと思っていたのに。一生、家族に会えないと思っていたのに。
「あっ、うっ、ありがとうございます……!」
 大粒の涙が頬を滑り落ちた。男は、ニコニコしながら頭を撫でてくれた。

***

 彼は本当に良い人だった。たった一つの巡り会わせが、こんな幸運を生むなんて思ってもみなかった。稼ぎはじめての、唯一の幸運と行ってもいいだろう。
 男は、とても気さくな人で、困っている人間は放っておけない。そんな性格のようだ。隣で過ごしてみて分かった。
 だから、たった一度接しただけの僕を助けてくれたのだろう。彼には感謝しかなかった。

 約束の一週間が経ち、男と僕は国を旅立った。初めて飛行機に乗り、初めて上から地上を見た。
 初めてだらけの一週間は、とても新鮮で、そしてとても考えることの多い一週間だった。
 お金を欲した日から今に至るまでの出来事を、何度も回顧し反省した。そして誓った。

「じゃあ、気をつけて行くんだよ」
 男は、飛行場から家のある地域まで、共に付き添ってくれた。見慣れた町並みが見えた時は、本当に感動した。感動して、また泣いてしまった。
 夜明けがこんなに綺麗だと思ったのは、今日が初めてかもしれない。
「はい、本当にありがとうございました……! お礼はいつか必ずします!」
「はは、それは楽しみだ。君が大人になって、立派な人になった時にでもお願いしよう」
 男は最後まで気さくで、約束を曲げる事はしなかった。ただ話をして、一緒に家事をしただけで、家へと送り届けてくれた。
「僕、もう絶対に悪い事しません。誓います」
「約束だ。では、いつかまた会おう、ヘンリー」
「はい!」

 男と分かれた直後、身体が勝手に動き出した。足は自然と速くなり、家への道をテンポ良く走り出す。
 一秒でも早く、家族の待つ家へ。大好きで、大切な、家族の居る家へ――。

 もう、危ない方法でお金を稼いだりしない。少しずつでも、着実に頑張っていく。
 それが自分の為で、そして家族の為なのだから。
 大切なのは、お金じゃなくて家族だ。
 長い長い月日を経て、やっと気付いた。知っていたと思っていたことに、やっと気付いた。
 再び出会えることに感謝して、僕は今度こそ真っ直ぐ生きていくよ。

 久しぶりに見た自宅は、相変わらずボロボロだ。けれど、温かさは他のどの家にも負けない。
 取っ手を引けば、二人が居る。
 僕の、大切で大好きな人たちが。

「お父さん、エマ、ただいま!」 
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