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斜め45度の空【後編】
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――そして、その日は突然やって来た。連絡を受けたお兄ちゃんが、一週間後に海外へ戻ることになったのだ。
私は、初めて泣きじゃくった。自分以外の誰かのため、涙を流した。最初は帰れと言っていたくせに、行かないでとも訴えた。何度も訴えた。お兄ちゃんも、残りたいと話していた覚えがある。
それでも決定は覆せなかったらしく、別れは確定した。
しばらくしたら戻ってくるから、と両親は言っていた。しかし、私は離れるという現実を受け容れられず、必死に抗議を続けたものだ。あの行動は、今でも間違っていなかったと思う。
寧ろ、もっと全力で抗議して、お兄ちゃんを本当に引き止めれば良かったとさえ思っている。
しかし、それは今だから思えることだ。当時は当時なりに一生懸命で、全力でぶつかってはいただろう。それでも現実は厳しく、二日前には渋々別れを受け容れた。
そして、最後に私が考えたのは、お兄ちゃんへのサプライズだった。
*
お兄ちゃんへのサプライズ内容。それは、私の人生で最大のイベントであり、初の試みでもあった。
何度も考え直したが、お兄ちゃんの驚く顔と、喜ぶ顔を焼き付けておきたかったのだ。
幼い私が決死の覚悟で用意したサプライズ、それは前髪の断髪だった。物心付いた頃から長かった髪を、目の上まで切ろうと決めたのだ。
恥ずかしくて両親に言おうにも言えず、初めてであるのに関わらず私はセルフカットを試みた。
もちろん結果は散々で、長さ調節は失敗――髪は眉上くらいの短さになってしまった。正直、直後は恥ずかしさで泣きそうになったものだ。
だが、最後の最後に面会を避ける訳にも行かず、私はその髪でお兄ちゃんの前に立った。
あの時のお兄ちゃんの顔は、今でもよく覚えている。その驚きようと言ったら、思い出す度に笑えて仕様がない。恥ずかしさに嬉しさが勝ってしまうほどに、お兄ちゃんは喜んでいた。
色々な事があった三年間の最終日、あの日の出来事や会話も、今だ鮮明に覚えている。
前髪を切ったばかりの私に、お兄ちゃんは空を見に行こうと誘ってきた。唯でさえ恥ずかしいのに誰かに見られたら……と躊躇ったが、やはり最終日との現実は強く、私は誘いに応じた。
*
いつもの廊下、いつもの玄関、何一つ変わらない風景。履きなれた靴、聞きなれた靴音、お兄ちゃんの笑顔。その先で、扉を開けば待っている風景は、いつも色々な顔をしていて。
「わぁ……!」
その時ほど感動した記憶は、後にも先にもない。
そこに広がっていた空は、今まで見ていたどんな空より鮮やかだった。その時になって初めて、いつかに語った言葉の意味を知った気がした。
本当に、世界が変わった気がした。
「綺麗でしょう?」
お兄ちゃんの笑顔は、青空のように眩しかった。
「……綺麗! 私、空がこんなに綺麗だって知らなかった!」
そんなお兄ちゃんが、大好きだった。
「良かったよ、分かってくれて。髪、切ってくれてありがとうね」
離れたくなかった。もっと傍にいて欲しかった。
「……ううん。ねぇお兄ちゃん、やっぱり行っちゃうの?」
俯いてばかりだった私に、寄り添ってくれたお兄ちゃん。
「うん、仕方がないことだからね。でも、時間が出来たらまた会いに来るよ」
いつも優しくて、私がどんなに嫌な事をしても、怒らなかったお兄ちゃん。
「……そうだよね……」
空が、大好きだったお兄ちゃん――。
「多分さ、俺、向こうに行っても空ばっかり見てると思う」
「……?」
「大丈夫、どんなに遠くにいても世界は繋がっているよ。もしも寂しくなったら、見上げて思い出して。俺も、会いたくなったら見上げるから。見上げて、頑張ってるところ想像するから……って、言いたくて……」
「ふふ、そうだね。私もそうする。お兄ちゃんに会いたくなったら、空を見てお兄ちゃんのことを考える。楽しかった日々も思い出す。離れ離れは寂しいけれど、世界は繋がってるもんね」
「うん、だからお互いに胸を張れるくらい頑張ろう!」
「うん! 私、頑張る!」
私は、本当にお兄ちゃんが大好きでした。ううん、今でも大好きだよ。
*
お兄ちゃんが去った日から、私は努力を始めた。簡単にとは行かなかったが、考え方や性格を自ら修正した。
髪も、前の長さに戻らないよう切り続けた。明るい人になれるよう、頑張った。
次にあった時、胸を張れるように。再会した時、恥ずかしい自分にはならないように。寂しい時は空を見上げて、前に前に歩き続けた。
けれど、その後お兄ちゃんが帰ってくる事はなかった。
*
知らされたのは中学二年の時だ。電話で連絡を受けた母から、お兄ちゃんの訃報を知らされた。滞在先の国で、事件に巻き込まれ命を落としたらしい。
本当にショックだった。今までの努力が、無駄だと思えそうなほど心が抉れた。
ダメージは顕著に現れ、数日間は食事も出来ず、外にも出られなかった。けれど、そんな時でさえ、窓から見える空は青々としていて、あの日々を次々と蘇らせた。
楽しかった日々を、嬉しかった出来事を、私を変えたあの存在を。あの言葉を。
どんなに遠くにいても、繋がっていると言った彼の言葉を――。
*
四年の月日がたった今でも、空を見上げる度に思い出す。場所は変わってしまったが、この空の続く先にお兄ちゃんは居るのだろう。
会えなくても、青いフィルターを通して私達は繋がっている。
いつまでも、繋がっている。
私は、初めて泣きじゃくった。自分以外の誰かのため、涙を流した。最初は帰れと言っていたくせに、行かないでとも訴えた。何度も訴えた。お兄ちゃんも、残りたいと話していた覚えがある。
それでも決定は覆せなかったらしく、別れは確定した。
しばらくしたら戻ってくるから、と両親は言っていた。しかし、私は離れるという現実を受け容れられず、必死に抗議を続けたものだ。あの行動は、今でも間違っていなかったと思う。
寧ろ、もっと全力で抗議して、お兄ちゃんを本当に引き止めれば良かったとさえ思っている。
しかし、それは今だから思えることだ。当時は当時なりに一生懸命で、全力でぶつかってはいただろう。それでも現実は厳しく、二日前には渋々別れを受け容れた。
そして、最後に私が考えたのは、お兄ちゃんへのサプライズだった。
*
お兄ちゃんへのサプライズ内容。それは、私の人生で最大のイベントであり、初の試みでもあった。
何度も考え直したが、お兄ちゃんの驚く顔と、喜ぶ顔を焼き付けておきたかったのだ。
幼い私が決死の覚悟で用意したサプライズ、それは前髪の断髪だった。物心付いた頃から長かった髪を、目の上まで切ろうと決めたのだ。
恥ずかしくて両親に言おうにも言えず、初めてであるのに関わらず私はセルフカットを試みた。
もちろん結果は散々で、長さ調節は失敗――髪は眉上くらいの短さになってしまった。正直、直後は恥ずかしさで泣きそうになったものだ。
だが、最後の最後に面会を避ける訳にも行かず、私はその髪でお兄ちゃんの前に立った。
あの時のお兄ちゃんの顔は、今でもよく覚えている。その驚きようと言ったら、思い出す度に笑えて仕様がない。恥ずかしさに嬉しさが勝ってしまうほどに、お兄ちゃんは喜んでいた。
色々な事があった三年間の最終日、あの日の出来事や会話も、今だ鮮明に覚えている。
前髪を切ったばかりの私に、お兄ちゃんは空を見に行こうと誘ってきた。唯でさえ恥ずかしいのに誰かに見られたら……と躊躇ったが、やはり最終日との現実は強く、私は誘いに応じた。
*
いつもの廊下、いつもの玄関、何一つ変わらない風景。履きなれた靴、聞きなれた靴音、お兄ちゃんの笑顔。その先で、扉を開けば待っている風景は、いつも色々な顔をしていて。
「わぁ……!」
その時ほど感動した記憶は、後にも先にもない。
そこに広がっていた空は、今まで見ていたどんな空より鮮やかだった。その時になって初めて、いつかに語った言葉の意味を知った気がした。
本当に、世界が変わった気がした。
「綺麗でしょう?」
お兄ちゃんの笑顔は、青空のように眩しかった。
「……綺麗! 私、空がこんなに綺麗だって知らなかった!」
そんなお兄ちゃんが、大好きだった。
「良かったよ、分かってくれて。髪、切ってくれてありがとうね」
離れたくなかった。もっと傍にいて欲しかった。
「……ううん。ねぇお兄ちゃん、やっぱり行っちゃうの?」
俯いてばかりだった私に、寄り添ってくれたお兄ちゃん。
「うん、仕方がないことだからね。でも、時間が出来たらまた会いに来るよ」
いつも優しくて、私がどんなに嫌な事をしても、怒らなかったお兄ちゃん。
「……そうだよね……」
空が、大好きだったお兄ちゃん――。
「多分さ、俺、向こうに行っても空ばっかり見てると思う」
「……?」
「大丈夫、どんなに遠くにいても世界は繋がっているよ。もしも寂しくなったら、見上げて思い出して。俺も、会いたくなったら見上げるから。見上げて、頑張ってるところ想像するから……って、言いたくて……」
「ふふ、そうだね。私もそうする。お兄ちゃんに会いたくなったら、空を見てお兄ちゃんのことを考える。楽しかった日々も思い出す。離れ離れは寂しいけれど、世界は繋がってるもんね」
「うん、だからお互いに胸を張れるくらい頑張ろう!」
「うん! 私、頑張る!」
私は、本当にお兄ちゃんが大好きでした。ううん、今でも大好きだよ。
*
お兄ちゃんが去った日から、私は努力を始めた。簡単にとは行かなかったが、考え方や性格を自ら修正した。
髪も、前の長さに戻らないよう切り続けた。明るい人になれるよう、頑張った。
次にあった時、胸を張れるように。再会した時、恥ずかしい自分にはならないように。寂しい時は空を見上げて、前に前に歩き続けた。
けれど、その後お兄ちゃんが帰ってくる事はなかった。
*
知らされたのは中学二年の時だ。電話で連絡を受けた母から、お兄ちゃんの訃報を知らされた。滞在先の国で、事件に巻き込まれ命を落としたらしい。
本当にショックだった。今までの努力が、無駄だと思えそうなほど心が抉れた。
ダメージは顕著に現れ、数日間は食事も出来ず、外にも出られなかった。けれど、そんな時でさえ、窓から見える空は青々としていて、あの日々を次々と蘇らせた。
楽しかった日々を、嬉しかった出来事を、私を変えたあの存在を。あの言葉を。
どんなに遠くにいても、繋がっていると言った彼の言葉を――。
*
四年の月日がたった今でも、空を見上げる度に思い出す。場所は変わってしまったが、この空の続く先にお兄ちゃんは居るのだろう。
会えなくても、青いフィルターを通して私達は繋がっている。
いつまでも、繋がっている。
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