君に咲く花

有箱

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 夏がやってきた。何一つ変わらない夏だ。
 熱くて茹だりそうな日も、カーテン越しでも光が分かる午後も、二人は寄り添い続けた。

 そうして二人の望み通り、変化の無い時間は巡り、気付けば秋が訪れていた。



「そんな顔しないでよー」
「…あ、はい、すみません」

 カノンは、憂鬱そうな顔をしながら聴診するエルを見て、笑顔で放っていた。 

 1シーズン前のあの日を境に、エルは二人きりになると少し気まずそうな顔をするようになってしまった。
 原因は明白だった為、カノンはあえて知らない振りをし続けている。

 ベッドに横たわりながら見る世界は、以前と何ら変わらない。少しぼやけるようになったくらいだ。

「輸血しますね」
「お願いします」

 エルの見詰めるカルテの文字を想像しながらも、カノンはそこから目を背け、袋の中の血を見ていた。



「診察終わったので帰りますね」

 扉が隙間程度だけ開き、エルの声が聞こえた。そうして直ぐに扉は閉まる。
 エルとは、回を重ねる内に、カノンの容態が悪くなる内に、あまり話さなくなってしまった。

 エルが心を押し殺しているのに気付きながらも、意思を変化させることは出来なかった。



 部屋に行くと、シンは直ぐにベッドに入った。カノンの横は予め空けられていて、場所には困らない。

「…最近また寒くなったね」
「うん」

 カノンは、白い髪を揺らしてシンに抱きつく。白いシャツには、今日も血が付いている。
 シンは血の色を、目に焼き付けてゆく。暫く見詰めていると、蕩けそうに瞼を落とすカノンに気付いた。

「寝ようか」
「…うん」

 今は真昼だ。しかし最近は、常に貧血に見舞われているカノンを配慮し、気付き次第こうして積極的に体を休めるように促している。
 その中においても、傷つける行為だけはそのままだ。

 ――――横からの、か細い寝息を聞きながら、シンはそっと瞼を開く。
 その美しい顔立ちに見惚れながら、髪を掬い、撫でた。



 翌朝、午前6時頃、シンが薄く目を開く。
 いつも通りのぬくもりに横を見ると、隣には白く儚げなカノンが眠っていた。まだ、目覚める気配が無い。

 秋の朝は、少し冷える。
 シンは首元までかかっていたカノン側のシーツをそっと摘み、上げると、そこに残された血跡に目をとめた。

 少しだけ溶けた不安感の上に新たな不安が乗るのを感じながらも、シンは朝食を作りにキッチンへと立った。



 エルは自己制作したカルテを見詰め、無意識に溜め息を漏らしていた。
 少しずつ、少しずつではあるが、感じていた通り、予想していた通り、悪くなっていっている。
 このままでは、暗鬱とした未来は本物になってしまう。

 けれど二人が選んだ答えに、第三者である自分が口出しはできない。
 幾らカノンが好きでも。カノンはシンを愛しているから。形はなんであろうと、恐らくはシンも。

 エルは、自分の中で湧き上がる全てを、強制的に抑制した。



「ご飯作ったよ、起きれる?」
「うん、起きる」

 カノンの動きを読み取り、シンはすぐさま支えに入った。

「ありがとう」

 カノンは常にふらふらしていて、見ていても危なっかしい。前からあった事とは言え、その頻度にシンも気付いている。
 しかし以前のまま、知らないふり、だ。



「やっぱり、シンの作るご飯は美味しいね」
「どうも」

 皿の上には極少量の、しかし彩り良い料理が乗っている。
 それを少しずつ、少しずつ運んでは、味わって飲み込んでゆく。この味は前からずっと変わらずに、舌を楽しませてくれる。

 カノンは、食後の日程について何気なく巡らせていたのだが、ある事に気付いた。

「あ、そうだ、薬」

 切れ掛かっていたのを今思い出した。当時シンは別の部屋に赴いていて、戻ってきたら申告しよう、と決めながら忘れてしまったのだ。

「買って来た」
「え?」
「置いてある」
「……そう、ありがとう」

 何気なくシンの顔色を伺ってみたが、何も変わらない。不安要素も見えなければ、隠している様子もない。
 カノンは不思議に思いながらも、深く考える事を止めて、再度食事に目を向けた。



 最近、自分でも分かるくらい、眠っている時間が長い。疲れや倦怠感が抜けなくて、柔らかいベッドの上を求めてしまう。
 その分、シンの行動に耳を澄ます事も減った。
 だから昨日、買い物に出かけていた事にも気付かなかったのだ。

 いや、何時もならば音に気付かなくとも、買い物の後にシンが部屋にやってくるから、それで知る事が出来たのに。
 一体彼はどうしたのだろう。

 血を流す行為は以前と変わらずにあるし、ここは素直にトラウマが薄くなったと考えるべきなのだろうか。
 辻褄としては自然だが、どうしても納得がいかない。

 カノンは悶々と巡らせつつも次第に眠くなり、柔らかなシーツを手繰り寄せると直ぐに眠ってしまった。



 シンは、洗った皿を片付けていた。
 カノンは責任を意識してか、家事を行おうとはするのだが、直ぐに疲れて途中で止めてしまう事が増えた。
 最近は諦めを覚えたのか、始めからお願いして来る日も多い。

 目の前で起こっている異変は、徐々に色を濃くしていく。一年前と比較すれば、その変化は一目瞭然だ。
 この先もしも、カノンが目覚めない日が来てしまったら。

 脳裏に過ぎった未来を反映するように、気付けば皿が足元に落ち破片を散らした。
 耳を劈いた音に、だんだん鼓動が高まりだす。皿が擦り抜け、不自然な形を作ったままの手の平が震えている。

「カノン」

 シンは爪先をカノンの部屋に向けたが、踏み止まり、その場で思いっきり破片を踏みつけた。



 夢の中でも、まだ死に顔が霞まない。母親の痩せた顔も父親の生気を失った顔も、カノンを見つめてきて離さない。
 目は開いていないのに、捕らえて、心を縛り付けて離してくれないのだ。

¨どうして助けられなかったんだろう¨

 カノンは、夢の中でずっと叫び続けていた。
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