君に咲く花

有箱

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 互いに一言も発さないまま、傷は完璧に塞がれた。厳重に包帯が巻かれた腕は、赤色を消し白く戻されている。

 エルは、どこか物憂げに見えるシンの空ろな瞳を見ながらも、容赦なく視界に入ってくる服に付いた血に息を呑む。

 実はエルは、シンが自傷行為をしているのを、直接見た事が無かった。
 カノンや、ずっと前に本人から、そして傷跡を見て知ってはいたが。
 それでも、想像以上の凄まじさに何も言えない。

 カノンがどうして自分を犠牲にしているのか、知っていたはずなのに、今漸くちゃんと分かった気がした。

 優しいカノンならきっと、途轍もなく心を痛めるはずだから。だから肩代わりしてでも、止めたいと考えたのだろう。
 なぜシンがそれを許したかは、まだよく分からないが。

「……エルさん、死にたい…」

 不意に落とされた呟きに、エルは思わず目を見開いてしまった。
 顔を上げシンを見ると、シンは唯々、暗い瞳を目の前に向けているだけだった。

「……………やめて下さい」
「………でも、俺がいるとカノンが死ぬ…」

 瞳に色を灯さないままされた発言は、エルを酷く戸惑わせる。
 二人の間に入り、互いの事情を知ってしまった今、エルは何が二人にとっての最善策なのか分からなくなってしまった。

 勿論、カノンを傷つける行為が無くなり、シンも自傷を止めればそれが一番だ。
 カノンは、シンの自傷行為が見たくなくて自分を差し出し、シンはカノンの死を恐れて、自分を傷つけ始めたのだから。
 互いに大事な存在と化している、何よりの証拠だ。

「……それでも、やめて下さい…」

 エルの内側では、泣いているカノンの顔が浮かんでいた。

「……取りあえず直ぐに着替えてください、廊下の血は私が拭きますので」

 浅く頷いたのを見て、エルは直ぐに廊下へと出た。

 今は取りあえず解決策を見出すのを後回しにし、現状を乗り切る方を優先した。
 カノンに心配をかけないようにと、選んた。



 エルの計らいのお陰で、次に二人が面会した時、目に映る違和感は何も無かった。

「……シンあの…、ごめん…僕…」

 カノンはベッドに横になりながら、不安げな表情を浮かべている。

「………良い、大丈夫?」
「……え、あ、うん、大丈夫」

 カノンは、想像が空振りした事に、些か困惑する。
 シンの様子からもっと悲惨な事態を思い描いたのに、そこにいるのはいつものシンだ。

「…ご飯作る、食べれる?」

 だが、変化が無いのは良い事だ。煩う必要は今は無しとしよう。
 カノンは、無理矢理見出した結論を抱き、心からの笑顔を作って見せた。

「うん、ありがとう」



 エルは病院に戻ってからも、忙しく働きながらずっと考えていた。
 二人のためになる方法を、だ。

 処置に当たっていた時は、いっぱいいっぱいだったからか思いつかなかったが、今は簡単に辿り着き、自分自身を納得させる。

 二人を両方病院に連れて行って、体を、心を治せば良い。

 しかし決行するには、二人の意見も必要になる。
 エルは、明日の朝にでも電話で尋ねてみようと決めた。



 夜、カノンは、毎日の日課を実行する為に、箪笥へと手を伸ばしていた。

「…今日は良い、寝れる気がするから…」

 先にシーツに潜り込んだシンから、そんな前向きな台詞が聞こえてきてカノンはその場で固まる。

「…う、うん…分かった…」

 しかし折角の決意を、不審な動きで揺らがせてはいけないと無意識の内に考え、変わらない表情を意識し笑って見せた。

 シンが、傷を作らせない為態と拒否したのだと、薄く分かりながらも、発言が本物であるとの希望を寄せて、カノンはゆっくり目を閉じた。
 いつもの痛みが無い事に、形のない不安も湧かせながら。



 目の前には、小さな頃、毎日見ていた顔がある。その形相は冷酷で、ただ怒り狂っている人間よりも恐ろしい雰囲気を醸している。

 向こう側、違う部屋にいる人間も、こちらの存在を無視するかのようにテレビに夢中になっている。
 今居る部屋からじゃ、景色は見えない。

 窓が開けられないように、鍵の部分がチェーンで更に施錠され、その上を黒いカーテンが確りと覆いつくして光ごと消している。

¨お前は、本当は居てはならない人間なんだ¨

 冷たい言葉と共に投げられた皿が体に傷を作り砕けるのを、唯々怯えながら見ていた。



 シンは激しい恐怖感に、はっと目を覚ました。体が金縛りにあっているように、動かない。
 隣のカノンは気付いていないのか、静かな寝息を立てて眠っている。


 暫くして体の自由を手に入れたシンは、そっとベッドを抜け出すとそのままキッチンへと直行した。

 体中を包み込む不安感から、逃げたくて逃げたくて、そっとカノンの常用している薬を手に取る。
 流し台で水道水をコップに汲み、置くと、使用限度を知りながらも、それ以上に多くの錠剤を調理台へと落として行く。

 カラカラと音を立て、狭い範囲で散ばる錠剤を一つに集めて手に取ると、シンは水の勢いを頼りに次々と飲み込んだ。
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