君に咲く花

有箱

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 あれから一週間、二人は、以前と変わらない一日を繰り返している。その変化のなさは、安心感を呼んでいた。
 しかし、その安心感が大きければ大きいほど、気付いた時の不安感が甚大だ。



 靄々するほど、気分が悪くなる。葛藤するほど、比例して血が見たくなる。
 結果招くのは、悪循環だ。

 それは日に日に増して行き、月日を追うごとに強くなってゆく。
 駄目だと分かりながらも、強くなってゆく。

「ここ、傷つけていい?」
「いいよ」

 カノンは、指差された箇所がどこであるかなど、一切気にせず今日も頷いていた。
 体調の悪さを自覚しながらも、いつしか¨存在意義¨になっていた行為を、自分から断る事は絶対にしなかった。

 美しかった、桜の花びらは散った。
 残っているのは、枝だけになった樹と水の入ったコップだけだ。



 深夜カノンは、急な息苦しさに目を開けた。
 景色は何だかぼんやりしていて、色がはっきりとしない。音も歪んでいる。

「…シン…シン…」

 カノンは怖くなり、隣にある、はっきりと確認できる温度を手繰り寄せていた。

「…どうした…?」
「…なんか、変…」

 恐怖を自覚するほどに、息苦しさも度を増してゆく。シンは状況を簡単にだが読み取り、直ぐに判断にかかる。

「…エルさん」
「待って!行かないで!」

 携帯を取ろうと動いただけだが、その動きごと抑制されて、シンは僅かに驚いた。
 昨晩眠る前に切った傷から、血が滲み出している。

「…行かない、電話す」

 言い切る前に、カノンの腕から力が消えるのを感じ、シンは声を失った。



「貧血ですね」
「それだけ?」
「それでも、重症です」

 エルの的確な処置のお陰で、目の前で輸血されながら眠るカノンは、落ち着きを取り戻している。
 見詰めるエルの目つきは、何を睨んでいるのか鋭い。

「病院、連れて行っても良いですか?」
「…そんなに悪いの」

 ここ最近も、倒れる事や、失神する事は時折あった。
 それでも当たり前に日々は戻っていたため、それほど深く緊迫感を持ってはいなかったのが事実だ。

「………またこんなに傷を作って…」

 エルは悲しげに、手首の傷に触れる。昨日作ったばかりの生傷だ。

「………正直に言っても良いですか?」
「…うん」
「……私、カノンくんに傷が増えるのをもう見たくないです、こうして弱るのを見たくない」

 エルの嘆きが、真直ぐにシンへと入り込む。葛藤が呼び覚まされて、混乱が招かれてゆく。
 シンは部屋から逃げてしまおうと、よろりと立ち上がった。



 大きな物音に意識を取り戻したカノンは、ゆっくりと瞼を開いていた。
 頭が、ぼんやりする。
 しかし、直後はっきりと聞こえた名称に、カノンは現実を取り戻した。

「シンくん!シンくん!」
「……エル、さん?」

 カノンは、光景の全体を捉える為ゆっくりと起き上がる。後ろ姿のエルに声をかけると、エルは直ぐに振り向いた。

「カ、カノンくん」

 そのエルの向こう側には、自らの首に手をかけ、苦しげに息するシンがいた。辺りには、水が散っている。

「…シン、大丈夫?」

 カノンはゆっくりとベッドを伝う形で下り、床に横たわるシンの前、エルの横に位置した。

「何があったの?」
「さ、さぁ?急に…」

 エルは当惑している様子だ。今まで一度も無いといえば嘘になるが、ここまで酷い物は恐らく初見だろう。

「シン、シン」

 肩に振れ揺すると、シンは薄く目を開く。

「…カノ…ン…」

 更に向こう側、割れたコップが目に付いた。カノンは直ぐに、原因を悟る。

「ちょっと待ってて」

 そう言って箪笥へ向かおうとした、カノンの腕が引かれた。その為、力のないカノンは引き寄せられ、尻餅をつく。弾みで倒れそうになったのを、エルが支えた。

「カノンくん…!」
「…血、見せてあげなきゃ…」
「何で、カノンくんがする必要は」
「僕がしたいんだ」

 目を見開くエルを他所に、カノンは掴まれたまま、届く範囲に物を探す。直ぐに、ガラスの破片が目に映った。
 しかし、手に宛がい引こうとした瞬間、声が行動をとどめた。

「……良い…」
「…えっ」

 見詰めた先のシンは、拒否を見せ付けるようにきゅっと瞼を閉じていた。
 カノンははじめて、直接的に否定されて困惑する。

「…大丈夫ですよカノンくん、どうにかします」

 エルは対処を試みようと、シンへと柔らかな声色で慰めをかけて行く。

 生憎、精神苦痛を和らげる薬を、エルは持っていなかった。病院にはあるが、戻った所で、専門外だからと持ち出すことも出来ないのが現実だ。

 カノンはもどかしい気持ちに苛まれながら、唯々見ている事しか出来なかった。

 ――結局、カノンもエルも何もできず、シンが気絶するまでその姿を見続けた。



 エルは業務中に出てきている身であった為、何度か振り返りつつも、仕方がなく病院へと帰っていった。
 何かあったらいつでも連絡を寄越して欲しい、と残して。



 一騒動してシンは、床の上で布団を被せられ眠っていた。先程の顔色を忘れてしまうほど、安らかな寝顔をしている。
 カノンはシンの目覚めを待ちながら、ガラスの破片を集める作業に入った。

 シンは、物音にとても敏感だ。
 家庭内で自然と出る音や、どこからか当然のように聞こえる人々の怒り声など、トラウマはどこにでも転がっているらしく、よく怖がるのを見る。

 その度に、血を使い宥めていたのだが、今日は行為自体拒否されてしまった。
 やはりシンの中で、何かが変化したとしか思えない。
 自分の体の事やこれからの未来の事を考えれば、良い傾向にあると言えるのかもしれないが。

 けれど、カノンは悲しかった。血を流さなくても良かった事を、純粋に喜べなかった。

「…っ…!」

 考え事に夢中になっていたのか、不注意で手を切ってしまう。直ぐに指先から、赤い血が溢れ出した。

 少し見詰めてから銜えて、血を唾液に溶かす。意外にも盛大に切っていたらしく、口の中でもまだ、じわりと溢れてきた。
 血を意識してか、視線は勝手にシンへと向かう。

 喜ぶ事のできない理由について、カノンは薄々気付き始めていた。
 大きなきっかけはなかったが、日々を追う度自然に分かっていった。
 そして今日、確信した。

「………シン…好き…」

 カノンは銜えていた指を離すと、その唇をそっとシンの物と重ね合わせた。
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