君に咲く花

有箱

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 冬は長い。暦の上では他と変わらないのに、秋や春と比べて随分と長く感じる。

「久しぶりに、外に行きたいなぁ」

 カーテンの隙間、灰色の空が姿を見せている。落ちる雫は大粒で、音からも威力が分かる位強い。

「雨降ってるよ」

 窓ではなく、カノンの手の甲に付いた傷を見詰めて、上の空でシンが言う。

「春になったらだよ。そうだな、桜を見に行こうよ」

 無言になるシンの心情を、読み取ったつもりでカノンは笑った。
 舌の先が、甲を伝い刺激する。

「…もちろん、誰も居ない所にね」

 シンは、人嫌いだ。それは病院に居る頃からで、明らかに人目を避けているのが、遠くから見ていた当時からでも分かった。
 理由は分からない。しかし、知る気もない。

「うん」

 誰しも、隠しておきたい事の一つや二つあるだろう。暗い過去を引き摺るなら、尚更だ。
 自分がそれに、当て嵌まるように。



「お早うカノン」
「…お早う…よく眠れた…?」

 今朝方は、シンが先に起床した。振動で目覚めるカノンに気付き、挨拶したところだ。

「寝れたよ」

 カノンの右腕には、血がべったりと付いている。袖は捲くられていたが、流れた血が確りと付着していた。

「………良かった」
「調子、悪い?」
「ちょっとね」

 シンはカノンの顔色が悪い事に、朝一で気付いていた。
 勿論、原因は分かっている。
 カノンは少し身震いすると、何度か咳をした。

「…風邪引いちゃったかな」

 弱った笑顔で、再度咳をしたカノンを数秒見詰めて、シンは徐に首元に手を当てて体温を測る。同時に、自分の首にももう片方の手の平を当てた。

「熱ある、エルさん呼ぶ?」

 変化の無い表情の中の心配を見抜いて、カノンは嬉しさにまた微笑んだ。

「良いよ、大丈夫」
「お粥作る、食べれる?」
「うーん、まだ寝たいかな」
「…分かった」

 シンはカノンの意向を受け容れると、生まれた感情の元一人キッチンへと向かった。



 シンは入ってすぐ戸棚の前に直行し、上から3段目の引き出しに手をかけていた。キーと少し高い音を立てて、中身を現す。
 そこにはナイフやフォーク、スプーン等が、規則正しく並んでいた。

 シンは、袖を肩の辺りまで巻くし上げてから、その中のナイフにそっと手を伸ばす。
 刃先は鋭く、煌びやかな輝きを見せ付けてくる。

 丁度関節よりも少し上辺りに、ナイフを寝かせる形で添え、その部分を凝視したまま、シンはゆっくりと刃を――――引こうとして止めた。
 カノンが駄目だと止めていた時の声を、思い出したのだ。

 得体の知れない不安感に襲われながらも、シンは必死に、揺れるナイフの先をこれ以上動かさないように留めた。



 カノンは少しだけ眠ったが、咳の所為で目覚めてしまっていた。横になったままで、また何度か噎せ返り呼吸を乱す。

 頭がくらくらする。何だか視界も霞んでいて、耳鳴りもする。貧血状態にあると自覚できるくらい、体が重い。

「シンー…」

 薬が必要だと感じたカノンは、シンを呼ぼうと努める。だが、声量が出ない。
 仕方がなく、自分で向かおうと体を持ち上げたが、直ぐにその場で倒れてしまった。

「……カノン?」

 近くにいたのか、直ぐにやってきたシンの声が聞こえた。しかし、なんだかくぐもって聞こえる。

「大丈夫か?」
「……シン、薬…」

 短時間で重くなった症状を見て、シンも動揺を隠せないのか数秒間絶句する。
 いや、朝の時点で重いと分かってはいたが、いつもの事だと流していた。

 やはり最近、カノンが可笑しい。

 シンは、何気なくも変化している現実に、僅かに冷や汗を浮かべた。

「持って来る」

 そこから逃げるように直ぐさま立ち上がり、リビングへと踵を返した。



 その後、薬のお陰で熱は引いたが、体調が万全と言えないまま数日が経過した。

「風邪を引いていたなら、どうして呼んで下さらないんですか…」

 目の前ベッドに座り込み、服を上げていたカノンの胸元に聴診器を宛がいながら、愁いを帯びた瞳でエルが見詰めている。
 聴診器を下げたのを見計らい、カノンはゆっくりと服を下げた。

「でも大丈夫だよ、もう元気だし」
「ですがね、何かあったらどうするんです」
「何もないよ、いつもの事だって」
「それはそうですがね」

 エルの声色は、怒りというより悲しみを強く含んでいる。表情からも、よく分かる。

「傷もまた増えてる」

 指摘内容からカノンは、数日の間で感じていた異変を口頭に上らせる。

「そうだ、そう言えば最近シンが素っ気無いんだよ」
「素っ気無い?」
「…うん、なんと言うか…なんだろう、分からないけど、変わらないって言えばそうかもしれないんだけど、前よりも距離取る事が増えたって言うか…」

 エルは、そう思わせるシンの行動の原因が何と無く分かった気になって、正直の所嬉しくなってしまった。
 アドバイスを、受け容れてくれているのかもしれない。
 その割りに、傷の減りは見えないが。

「無理してないか心配になるよ」
「それで良いんですよ、今は自分を大切にしてください」

 エルの視線は、新たな傷跡に向けられている。まだ新しく、一日も経過していない傷だ。

「エルさんからは、いつも通りに見える?」

 点滴セットを手際よく準備する、エルの背中を見詰める。
 エルは振り返らず、変わらない声量のまま答えた。

「私には、変わりないように見えますよ」
「…なら大丈夫か」
「腕、良いですか」

 求められて、カノンは細く傷だらけの腕を差し出した。
 針を見ながらも脳内に浮かぶのは、シンばかりだった。


 シンはリビングにて、罪悪感を募らせていた。
 癖になってしまい、傷つける行為が一向に止められない。
 かといって自分を傷つければ、カノンが悲しい顔をするのは目に見えている。

 血の色が足りない。精神が、安定しない。
 ――目覚めながら、悪夢の日々が蘇ってくる。

 シンは自身の体の異変を感じながらも、気持ちだけでどうにか押さえつけた。



「診察、終わりましたよ」
「……どう?」

 振り向いたシンの表情は変わらず単調で、エルにはカノンの言う変化がよく分からなかった。
 取りあえず、診察の結果について報告する。

「……正直、今回はあまり良くないです、ひとまず病院に行く事をお薦めしたいですね」
「カノンには?」
「言いましたが、笑顔で拒否されました」

 輸血後、提案してみたが、拒否されていた。その理由がいつもと同じ、シンを一人にしたくないとの物で、エルはつい苦笑ってしまった。

「まぁ、よくある事なので、今回も大丈夫だとは思うのですが」

 シンの無表情とは対照的な明らかな悄然に、シンは目を向けながら何も言わなかった。 

 カノンが具合を悪くするのは、生活の中にすっかり溶け込んだ日常の一つだ。
 それゆえ、過剰な心配をする必要は無いと、エルも心では分かっているつもりだ。しかし、それでも心配してしまうのだ。

「……また来ます」

 部屋を出て行ったエルが、玄関の扉を潜る音を耳で聞き取ると、我慢できず、シンは直ぐにカノンの部屋へと向かった。

「あっ、シン、見てこれ、エルさんが本…」

 直ぐに抱きすくめられてカノンは、その背に本を持ったまま腕を回した。

「どうしたのー」

 その体は冷たくなり、酷く震えている。

「……傷、付けさせて」
「どうぞ」

 カノンは、首筋を襲った痛みに目を瞑りながらも、¨やっぱりいつものシンだ¨と、口元に柔らかな笑顔も浮かべていた。
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