存在抹消ボタン《episode0》

有箱

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第五話

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「ついにここまで来ましたね」

 研究室横の広い部屋の中央、立派に佇むマシンを見詰めるのは新藤だ。感慨深そうな面持ちである。

「そうだな、君も私も随分と年老いてしまったが、ついに終わりが見えたな」

 開始当初若かった新藤も、重役を担い、頼りにされる存在になった。しかし、乱れた食生活の所為かすっかり貫禄豊かになってしまい、姿形は若い頃と比べ見る影もない。
 しかし、ここまで共に歩んでくれた数少ない仲間として、私は今の新藤を気に入っている。良い友だったと、最期には伝えよう。

 ――明日、最終試験に入る。ついに、存在抹消マシンが試運転されるのだ。
 もちろん、第一号の役目は私自身が務めるつもりだ。

「ところで博士、実験の件ですが」

 新藤の目は、コンピューターに表示される幾つものグラフを見詰めていた。それら全ては、存在をこの世から消去してしまう為のプログラムだ。一箇所たりとも、狂ってはいないと言いきれる。

「なんだね新藤くん?」
「私に一人目をやらせていただけませんか?」

 向けられた横目は、真剣さを醸していた。老いた男が見せるような目つきではない。
 内にある物が読み取れないのは相変わらずだ。しかし、それでも新藤が冗談を言う奴では無いと、付き合ってきてよく分かっていた。

「……君が? 自らの存在を消したかったとは驚きだな」
「…………まぁ。それでどうです?」

 すっかりその気でいた矢先の提案に、少しばかり悩む。しかし、順序が狂った所で変わるものなど無いように思えた。

「よし、良いだろう。しかし、本当に良いのかね? これが成功すれば君は生まれなかった事になるのだが?」
「良いのです。参加した時からその積もりでしたから」

 今更の暴露に、驚きは無かった。ただ、少しだけ寂しさは覚えた。

「なるほど、そうだったのか。いやはや、全く気が付かなかったな」
「博士は、そういうのが苦手ですからね」

 ははは、と二人して小さな笑みを落とした時、彼女が脳内に姿を現した。
 結局、これだけの長い月日を経ても、彼女の死の真相は何一つ掴めなかった。多分、それは一生――存在が消え失せて尚、分からないままなのだろう。

 けれど既に、気に病む必要は無いと割り切っている。消えれば全て終わりだと分かっているからか、今とても安らかなのだ。長い年月が、落ち着きを与えたのかもしれない。
 長い事悩んでいたのに、悔やんでいたのに、実に不思議な気分である。

 全ては成功の上に成り立つのだが、ほぼほぼ失敗はないだろう。確信できるほど、綿密に制作したつもりだ。

「彼女が生きている時に、これを作っていれば良かったなぁ」

 そうすれば、悲しみも愛しさもなく過ごせていただろう。思い出して、少しだけ辛くなった。



「MR、帰ったよ。MR390?」

 扉を開き、いつもの様に挨拶したが、返答どころか音さえしなかった。だが、最近同じような事が増えていたため焦りはしない。

 恐らくまた、唐突に故障したのだろう。何処かで停止しているに違いないと、適当に辺りを見回した。
 すると偶然にも、視界の中にMR390は居た。歩き途中という不自然な動作で停止している。

「君も随分脆くなったもんだ」

 原因を探す為、工具を取り螺子を回し、その場で解体を始めた。

 これが最後の修理になるかもしれない。
 そんな思いが過ぎり、自然と手が止まった。外されたパーツが足元に並ぶのを見ながら、無意識に彼女との日々を思い出す。

 あの時は、今と違い綺麗な部品ばかりが並んでいた。一つ一つ手で切り、削って形を整えて作った。発明は得意だが工作に慣れていなかった私達は、失敗を重ね、苦労して作り上げていった。とても楽しかった。

「MR、私は今、不思議な気分だよ。私が消えた後の世界に君は居るのだろうか。彼女は君を作るだろうか、こうして修理をするだろうか、そんな戯言ばかりが浮かぶよ」

 新藤が消えた後、結果の報告書だけ書き残して自分自身も乗り込むつもりだ。そうして世界からオサラバ、というのが明日の予定である。
 唯一、その後の世界が見られないのが惜しい。

 未来先読みシステムはまだ未完であり、現時点ではシュミレーションすら出来ない。反対派の意見で搭載が考慮されてはいたが、完成に追いつかず取り敢えず保留になった。

「彼女が居たら、喜んでくれていただろうか……」

 見えない未来を――考えても意味のない未来を思い、溜め息が落ちた。

 それから数時間、修理に臨んだがMR390は復活しなかった。まるで、別れの瞬間に居たくないと拒絶でもしているかのようだった。



 翌日、実験数時間前、私は別室に来ていた。もちろん用あっての事である。
 用というのは、彼――新藤に呼び出されたからだ。

「突然すみません博士、やはり一つ話しておきたいことがありまして」
「なんだね? もしかして理由かね?」
「いいえ、理由は良いのです。取るに足りないことですから」

 取るに足りないことでも、存在抹消を望む人間が居るとは興味深い――なんて無意味な所感を抱きつつも新藤を見る。すると、彼は憂いを帯びた顔をしていた。
 そんな顔でする¨消えたい理由以上にしておきたい話¨に、少しだけ興味が湧いた。

「ではどうした? 衝撃の真実という奴かね?」
「まぁ、そうですね。……奥様の事で一つ、お話しておきたい事が」

 切り出された話題に、驚愕は無かった。彼女と新藤は研究所の同僚という繋がりがある。故に、彼の口からその根衣装が出ようと可笑しくはないのだ。

 とは言え、微塵も驚かなかった訳ではない。
 存在抹消の数時間前という、このタイミングだ。重篤な話であろうとは予測が付く。

「なんだね?」
「……実は、生前の奥様から言伝を預かっています」
「言伝?」
「あっ、でも偶然が重なって成り行きで預かる事になったというか!」

 新藤が狼狽する理由を何と無く悟りながらも、怒る気など湧かなかった。嫉妬も、揺さ振られるほどの激情もなく、あるのは言伝への関心だけだった。
 愛しい人からの、メッセージなのだ。

「経緯はよい。彼女が君に託したのにもそれなりの理由があるのだろう。それでなんだね?」

 繰り返すと、腹を括ったのか新藤は語りだした。その内容は、実に有り触れた物語のようだった。
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