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第二話
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研究室には、彼女との思い出が膨大に佇んでいる。そこに行くという事は、大切な思い出に浸りに行くのと同じだ。
大切な思い出、それはほろ苦く、有痛性のあるものに変化してしまった。温もりも記憶も、思い出せば思い出すほど私を追い詰めてゆくだろう。
改めて言おう。それほどに彼女を愛していたのだ。
「MR、私はどうしたら良いだろう?」
MR390の背中に寄りかかって、そっと疑問を委ねてみる。MR390は機械音を立てて、解答を探りだす。
数秒後、ウィーンという音が鳴り止んで、漸く発声を始めた。
『何を、迷って、いるの、ですか? 博士の、思う、まま、に。したい、通り、に』
検索時間が長かっただけあって、解答も珍しく長かった。とは言え、決定までしてはくれなかったが。
「私の思うままに、か。君の意見を聞きたかったんだがなぁ」
一人ごとだと感知したのか、機械音さえならなかった。密接する背中は、固くて温かみの欠片もない。
「MR。MR390、答えてくれないか」
『はい、なんで、しょう、博士』
声だけは、そっくりそのまま彼女なのに。
「君はどうして欲しい? 私にどうしてほしい? 開発に戻って欲しいか?」
『はい、打ち込む、博士が、大好き、です』
一切の間を開けず発された音声は、断言をしていた。プログラムの中から判断したに過ぎないのに、心が動いて個人的な意見を発したと勘違いしてしまいそうだった。
「……そうか、ありがとう」
お遊びで入れた語句だった筈なのに、なぜだが涙が誘発された。
私は単純だ。彼女の好きだった自分に戻りたい。そう自覚した瞬間、痛みの待つ部屋に帰ろうと思った。
あの研究室に戻ろう。そうして、彼女の好きだった自分を取り戻そう。
決意した後にMR390の顔を見ると、明らかに動いていないのに、なぜか微笑んでいるように見えた。
*
僅かな躊躇いはあったものの、一度決めた決意は簡単には曲げない性格だ。故に、たった2日後の朝、私は研究所へと踏み入っていた。新規研究員と古株研究員たちが、瞳を丸くしてこちらを見ている。
「……お早う、久しぶりだね」
思い出が散ばる部屋は、最後に見た日から随分と変化していた。その時の研究内容に従い、片付けたり、配置を換えたりはよくある事だ。基本的に、頻繁に使用する機器が前面に出ているようになっている。
以前働いている時も、模様替えは高頻度で行われていた。当然であり、日常的なことなのだ。
けれど、やはり寂しかった。彼女と過ごした時間が失われてしまったかのようで寂しかった。
「博士! お久しぶりです! 戻って来て下さったのですね!?」
共に勤しんでいた一人の研究員が口火を切った瞬間、他の研究員の口も順に開き始めた。それらの大半は歓迎を示す声だった。
彼女の話題を出さないのは、恐らく配慮からだろう。常識的な考えとして何と無く分かる。しかし、逆に彼女を避けているようで、私にとっては悲しかった。
彼女の所為で、私は歪んでしまったのかもしれない。いや、歪んでしまった。
辺りを見渡すほどに、声が連なるたびに、彼女の消えた事実が胸に刺さる。出来た傷をどうにか埋めようと、私は敢えて思考を別件に浸そうと試みた。
「今は何を発明しているのかね?」
「空間移動システムです。それぞれ担当を決めて進めています。と言ってもまだ調査段階ですが」
「うむ、興味深いな。現段階での調査結果を見せてくれ」
皆の目付きが変化し、研究員としての真剣さを醸し出す。それぞれが一斉に散ばり、担当領域にある資料をかき集め始めた。
立ち尽くす私を見て、一人の研究員が空席へ案内してくれた。
「前任の方が最近辞めてしまって……片付けが途中で申し訳がないのですが、暫くはここをご使用下さい」
机には、膨大な量の資料が置かれたままだ。机上の状態から、突然辞めざるを得なくなったとの事情が窺える。
一先ず選別や整頓も兼ねて、それらの資料に目を通してみる事にした。
*
『おかえり、なさい、博士。良い事は、ありましたか』
扉の前で待機していたMR390が、目が合うなり零す。愛しい彼女の声に、癒されつつも当然のように寂しさが付き纏った。
「良い事と呼べるかは不明だが、まぁ気分転換にはなったよ」
正直な話、色々な変化や他者との交流により疲労している。しかし、長らく自宅で引き篭もっていた自分にとって、外出し、好きだった事柄に関わるというのは随分良い刺激になった。
『研究は、進んで、いますか』
今更だが、MR390は自分達の為に作ったロボットだ。故に、外出イコール研究室との解釈となり、こういった解答が導き出されるのである。そのように、所々一般人向けではない回答プログラムとなっている筈だ。
「今日はしていないんだ。ずっと残された資料を読んでいたよ」
『面白かった、ですか』
「面白かった……そうだな、面白かったな。まだ途中なのだがね、実に興味を掻き立てる内容となっていたよ。そうだな、内容の一部をあげるとすれば――」
本日読んだ資料には、未来を先読むシステムについて様々な論文が銘記されていた。
とは言え、生い立ちや性格、周囲の人物像など、全てを把握した上で幾つものルートを編み出す。その中で可能性の高い物を選び取る。という単純な物でしか無かったが。
人の思考パターンは未知数だ。しかし、似たような人生を送る人間が相当数に上る事も否めない。その事実を前提に置き、研究は進められていた。
パターンをデータ化し、条件に該当した物を当て嵌めてゆけば、完全とまで行かずとも――――……
内容を思い返す途中で、MR390に話しても仕方がない事だ、と改まった。
未来先読みシステムがあれば、この状況も回避出来ただろうか。疑問が浮かんだが、問いかけはしなかった。
大切な思い出、それはほろ苦く、有痛性のあるものに変化してしまった。温もりも記憶も、思い出せば思い出すほど私を追い詰めてゆくだろう。
改めて言おう。それほどに彼女を愛していたのだ。
「MR、私はどうしたら良いだろう?」
MR390の背中に寄りかかって、そっと疑問を委ねてみる。MR390は機械音を立てて、解答を探りだす。
数秒後、ウィーンという音が鳴り止んで、漸く発声を始めた。
『何を、迷って、いるの、ですか? 博士の、思う、まま、に。したい、通り、に』
検索時間が長かっただけあって、解答も珍しく長かった。とは言え、決定までしてはくれなかったが。
「私の思うままに、か。君の意見を聞きたかったんだがなぁ」
一人ごとだと感知したのか、機械音さえならなかった。密接する背中は、固くて温かみの欠片もない。
「MR。MR390、答えてくれないか」
『はい、なんで、しょう、博士』
声だけは、そっくりそのまま彼女なのに。
「君はどうして欲しい? 私にどうしてほしい? 開発に戻って欲しいか?」
『はい、打ち込む、博士が、大好き、です』
一切の間を開けず発された音声は、断言をしていた。プログラムの中から判断したに過ぎないのに、心が動いて個人的な意見を発したと勘違いしてしまいそうだった。
「……そうか、ありがとう」
お遊びで入れた語句だった筈なのに、なぜだが涙が誘発された。
私は単純だ。彼女の好きだった自分に戻りたい。そう自覚した瞬間、痛みの待つ部屋に帰ろうと思った。
あの研究室に戻ろう。そうして、彼女の好きだった自分を取り戻そう。
決意した後にMR390の顔を見ると、明らかに動いていないのに、なぜか微笑んでいるように見えた。
*
僅かな躊躇いはあったものの、一度決めた決意は簡単には曲げない性格だ。故に、たった2日後の朝、私は研究所へと踏み入っていた。新規研究員と古株研究員たちが、瞳を丸くしてこちらを見ている。
「……お早う、久しぶりだね」
思い出が散ばる部屋は、最後に見た日から随分と変化していた。その時の研究内容に従い、片付けたり、配置を換えたりはよくある事だ。基本的に、頻繁に使用する機器が前面に出ているようになっている。
以前働いている時も、模様替えは高頻度で行われていた。当然であり、日常的なことなのだ。
けれど、やはり寂しかった。彼女と過ごした時間が失われてしまったかのようで寂しかった。
「博士! お久しぶりです! 戻って来て下さったのですね!?」
共に勤しんでいた一人の研究員が口火を切った瞬間、他の研究員の口も順に開き始めた。それらの大半は歓迎を示す声だった。
彼女の話題を出さないのは、恐らく配慮からだろう。常識的な考えとして何と無く分かる。しかし、逆に彼女を避けているようで、私にとっては悲しかった。
彼女の所為で、私は歪んでしまったのかもしれない。いや、歪んでしまった。
辺りを見渡すほどに、声が連なるたびに、彼女の消えた事実が胸に刺さる。出来た傷をどうにか埋めようと、私は敢えて思考を別件に浸そうと試みた。
「今は何を発明しているのかね?」
「空間移動システムです。それぞれ担当を決めて進めています。と言ってもまだ調査段階ですが」
「うむ、興味深いな。現段階での調査結果を見せてくれ」
皆の目付きが変化し、研究員としての真剣さを醸し出す。それぞれが一斉に散ばり、担当領域にある資料をかき集め始めた。
立ち尽くす私を見て、一人の研究員が空席へ案内してくれた。
「前任の方が最近辞めてしまって……片付けが途中で申し訳がないのですが、暫くはここをご使用下さい」
机には、膨大な量の資料が置かれたままだ。机上の状態から、突然辞めざるを得なくなったとの事情が窺える。
一先ず選別や整頓も兼ねて、それらの資料に目を通してみる事にした。
*
『おかえり、なさい、博士。良い事は、ありましたか』
扉の前で待機していたMR390が、目が合うなり零す。愛しい彼女の声に、癒されつつも当然のように寂しさが付き纏った。
「良い事と呼べるかは不明だが、まぁ気分転換にはなったよ」
正直な話、色々な変化や他者との交流により疲労している。しかし、長らく自宅で引き篭もっていた自分にとって、外出し、好きだった事柄に関わるというのは随分良い刺激になった。
『研究は、進んで、いますか』
今更だが、MR390は自分達の為に作ったロボットだ。故に、外出イコール研究室との解釈となり、こういった解答が導き出されるのである。そのように、所々一般人向けではない回答プログラムとなっている筈だ。
「今日はしていないんだ。ずっと残された資料を読んでいたよ」
『面白かった、ですか』
「面白かった……そうだな、面白かったな。まだ途中なのだがね、実に興味を掻き立てる内容となっていたよ。そうだな、内容の一部をあげるとすれば――」
本日読んだ資料には、未来を先読むシステムについて様々な論文が銘記されていた。
とは言え、生い立ちや性格、周囲の人物像など、全てを把握した上で幾つものルートを編み出す。その中で可能性の高い物を選び取る。という単純な物でしか無かったが。
人の思考パターンは未知数だ。しかし、似たような人生を送る人間が相当数に上る事も否めない。その事実を前提に置き、研究は進められていた。
パターンをデータ化し、条件に該当した物を当て嵌めてゆけば、完全とまで行かずとも――――……
内容を思い返す途中で、MR390に話しても仕方がない事だ、と改まった。
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