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第十六章・成都

第十六章第第十四節(乱闘2)

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                 十四

 部屋から引っ張り出された巡査と田中は、隣の部屋の前まで流された。すると、あろうことか、巡査は田中の手を振りほどいて独り逃げ去った。

 階段に差し掛かったところで誰かが顔面へ向けて懐中電灯をパッと照らした。
 不意の光に目がくらんだ田中へ、殴打の連続が容赦なく降りかかった。土砂降りの雨の中を駆け抜けるように、三階から二階へ、二階から一階へと走った。
 二階へ降りたとき、階上で一人死闘を続ける渡邉洸三郎のうめきともつかない叫び声が聞こえた。その間も、暴徒は次から次と現れ、身に覚えのない災難から必死に逃れようとした。

 途中で誰かが「こいつを縛り上げろ」と叫ぶのが聞こえた。田中にはもはや抵抗の意志はなく、自ら進んで両腕を後ろに回すと小学生らしき子供が二人、どこからか電気コードを持ってきて田中を縛り上げた。
 その間、大人たちは先を争って上着のポケットの中のものや腕に巻いた時計を奪い、しまいに上着やシャツを脱がせて持ち去った。奪った万年筆を自分のポケットに差し、満足そうにニヤリを笑って一発殴りつけてきた者もいた。

(このままではなぶり殺しだ……。とにかく外へ出なければ)--。
 群衆に向かって突進した瀬戸の髪を、誰かが引っ張った。引っ張られたが、とにかく突進するしかなかった--。
 旅館の中は真っ暗だ。真っ暗闇の中をとにかく必死に駆けた。走るそばから殴る蹴るの雨あられが飛んできた。
(ほかの人たちはどうしたろう)--。
 仲間を気遣っている場合ではなかったが、あまりの状況に、ひょっとしたらこんな災難に巻き込まれているのは自分だけなのではなかろうかなどという疑念すら浮かんだ。

 ようやく旅館の外へ出たが、屋外もやはり真っ暗だった。
 分厚い雲が空を覆い、いつも間にやら霧雨がしとしと降っていた。暗闇を上塗りするように、黒山の人だかりが覆った。四方八方どこを見ても群衆がひしめき合っている。どちらへ逃げてもどうせ助からないと思ったが、月明かりを目指す昆虫の本能よろしく電灯の明かりがほのかに浮かぶ左の方角を目指して駆け出した。

 五、六人の暴徒が後を追ってきたが、入り組んだ裏通りを右へ左へと折れ曲がり、追っ手を巻こうと疾走した。ところが、無数の群衆は旅館を何重にも取り巻いていたようで、行けども行けども、暴徒の姿は絶えなかった。
そして初対面にもかかわらず、日本人と見るや「打倒!」と叫んで殴りかかってきた。

 すでに数え切れないほど角を曲がったが、さらに一つ角を折れたところで小学生らしき一団と出くわした。
 相手が子どもということもあり少し気を緩めると、彼らは瀬戸を取り囲んで口々に「やっちまえ!」と叫びながら殴りかかってきた。剣道の心得がある瀬戸は、自分の急所を打たせないよう身をかわし、攻撃を背中や肩でやり過ごすようにしてさらに走った。

 その先の角から現れた群衆が、今度は「金をよこせ!」と迫って来た。瀬戸は時間稼ぎに有り金全部を投げつけてやると、群衆の関心はそちらへ移った。
 そうしてさらに二十分ほど走ったところで、やっと屯兵所とんぺいじょのぼんやりと灯った明かりを見つけて飛び込んだ。
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