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第十六章・成都

第十六章第十二節(暴徒)

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                 十二

 陽が傾きかけた頃には旅館の表ばかりか中庭や裏の空き地にも群衆が群がった。
 それぞれの場所に怒号が飛び交い、激烈な言葉で演説するのが聞こえた。アジテーターの扇動に群衆が応え、一斉に拍手を送る。するとまた別の場所で演説がはじまり、ワーっと歓喜に沸いた--。
 その度に集まった人々が熱くなっていくのが、部屋の中まで伝わってきた。その気勢は大変なもので、四人にはどうしようもなかった。

 四人の日本人の願いもむなしく、騒ぎは収まるどころか益々大きくなっていった。
 身の危険を感じた彼らは警備の巡査を呼んで、「この旅館にいては危険だと思うから、すぐどこか安全なところへ避難させてくれ」と頼んだ。だが公安局員は、「今この部屋から出てはかえって危険だから、このままじっとしている方がよろしい」と言って、四人を部屋へとどまらせた。
 四人は仕方なしに三階の部屋にこもり、群衆の解散を祈りつつ窓ガラス越しに階下の光景を見守った。

 午後五時ごろだ。
 突如として一階のあたりにものすごい破壊音が響き渡った。ガラス窓の壊れる音、扉をたたき破る音--。それに群衆の叫喚!とうとう彼らは凶悪な暴徒と化した。

 殺気だった暴徒の一団は旅館の中を手当たり次第に叩き壊し、一階から二階へ、二階から三階へと、叫び声と荒々しい音を立てながらゆっくり上ってきた。そして午後六時ごろ、ついに日本人らの部屋の前に殺到した。
 四人は部屋の二つの扉に鍵をかけ、椅子やテーブルでバリケードをつくった。しかし部屋の中の調度類では扉の下半分しか覆えなかった。暴徒は棍棒を振るって扉の上半分を打ち破り、そこからからだを乗り出して何かを叫んだ。
 さらに奇声を上げながら四人を目掛けて手当たり次第に物を投げつけた。その先頭を切ったのは、先刻ビラ貼りをやっていた中学生の一団であった。

 四人は部屋の隅へ避難したものの、身を隠すものとて何もない。暴徒の器物投げ込みは一層ひどくなったが、反撃のしようもなかった。無駄とは知りつつ、手に手に「護照ごしょう」を掲げ、「僕らはただの旅行者だ!岩井総領事代理とは何の関係もない!」と叫んだ。

 すると“捨てる神あれば拾う神あり”か--。
 先頭の学生が後に控える群衆に向かって何かを叫んだ。しかもなお部屋に押しかけようとする人々をなだめて押し戻しはじめたのだ。
 その隙に田中が戸口に立つ学生の許へ駆け寄って、自分たちの身分と旅行の目的を説明した。すると学生は納得した表情を浮かべ、すごすご引き揚げた。
 
 これでことは収まった--。
 ほっと一息ついたのも束の間、いったん火のついた群衆、暴徒と化した群衆はもはや手に負えないほど興奮していた。学生が引き揚げた後も二階、三階に充満していた群衆は、口々に「打倒!打倒!」と連呼し、拳を振り上げ足を踏み鳴らす仕草を続けた。旅館の外は相変わらず演説と拍手と叫喚の渦だ。

 制御を失った群衆は、ついに雪崩を打って四人の部屋へ入り込んできた。四人を取り囲んだ彼らは、口々に「殴ってしまえ」とか、「殴ることはない」とか仲間同士で叫び合った。そうする間もどさくさに紛れて室内の物品を掠奪する者までいて、とにかく緊張の糸がピンと張った。

 そこへおっとり刀で駆け付けた公安局巡査が割って入り、寸でのところで暴徒は引き揚げていった。
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