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第十五章リース=ロスの幣制改革
第十五章第四十八節(抜き打ち)
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四十八
「あまりに抜き打ちではないかっ!」
有吉明大使は四日午後、孔祥熙のところへ怒鳴り込んだ。
「二日前、張公権を通じて貴職が新幣制の施行を打診してきた際、我々は明確に反対したはずです。それが時を移さずに強行されるとは、あまりに当方を軽んじていやしませんか」
ものすごい剣幕の有吉を前に、孔祥熙は悪びれる様子もなくこう返した。
「その日、南京から戻ってみると、中央銀行に対して相当額の兌換要求があったそうです。民国の銀行家たちも『このまま放置していたのでは、金融恐慌は避けられない』と危惧しました。今回の措置は、民国が“生きるか死ぬか”の瀬戸際に迫られて実施したものです」
隣国が困っているときに助け船も出さないくせに、横合いから難癖ばかりつけてくる--。
孔祥熙の心境を表すならば、それに尽きるだろう。だが今回のような局面は過去に何度も経験し、その都度“煮え湯”を飲まされてきた--。
有吉の心境を代弁するならば、それに尽きる。
「日華の関係は政治情勢を抜きにして、“経済”のみでは成り立ちません。貴職が今回の新制度を英国側とのみ協議の上、抜き打ちで行ったという事実に対し、日本の国民感情は深刻な打撃を受けるに違いない」
すると孔は、「解せない」という表情で応戦した。
「貴大使は幣制改革に反対のご意向ですが、改革は貴国の高橋蔵相にもご指導いただいた“自力更生”の趣旨に沿った内容となっているはずです」
そう言われると心許なくなった有吉は、幣制改革がリース=ロスの借款に基づいて行われたのかを探ったが、孔は「借款は今のところ成立していない」という。
まるで煙に巻かれたようだったが、「とにかく、幣制改革により銀行および日本人が不当な権利侵害を被らないよう、細心の注意を払ってもらいたい」と要望して会談を終えた。
「みんなアイツのせいだっ!」
孔祥熙を相手に取り付く島もなかった有吉の怒りの矛先は、当然、リース=ロスへと向かった。ところが意外や、目の前に現れた英国人は「驚いたのはこちらの方だ」といった顔つきをしているではないか。
「小職の考えでは、先ず民国の各銀行の内情を十分に調査し、中央銀行の組織を改善するとともに、本位制など原理論をよく研究した上で提言をまとめようとしていたのです。それには少なくともあと三週間は要すると踏んでいました」
鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした有吉に、英国人は肩をすくめてこう続けた。
「それが……、先週末の金融市場が酷くひっ迫したため、早急に何とかしなければならないとのことで、孔祥熙らがゴリ押ししたもののようです。自分も事後になって財政部顧問アーサー=ヤングからそう聞かされ、驚いた次第です」--。
これが「リース=ロスの幣制改革」と言われる中華民国の通貨制度近代化の顛末となる。
状況証拠から見るならば、彼が予告していた通りのプランが実行された。だがこの言葉を“額面通り”に受け取るならば、改革を主導したのが果たしてリース=ロス自身なのか、疑わしくなる。
あるいは彼自身も結局は、孔祥熙らに一杯食わされたのかもしれない。
ただ歴史においてこの一事が重要なのは、通貨制度改革そのものではなくこのことを通じて日英関係が決定的に決裂し、以降、修復できなかったということにある。
「あまりに抜き打ちではないかっ!」
有吉明大使は四日午後、孔祥熙のところへ怒鳴り込んだ。
「二日前、張公権を通じて貴職が新幣制の施行を打診してきた際、我々は明確に反対したはずです。それが時を移さずに強行されるとは、あまりに当方を軽んじていやしませんか」
ものすごい剣幕の有吉を前に、孔祥熙は悪びれる様子もなくこう返した。
「その日、南京から戻ってみると、中央銀行に対して相当額の兌換要求があったそうです。民国の銀行家たちも『このまま放置していたのでは、金融恐慌は避けられない』と危惧しました。今回の措置は、民国が“生きるか死ぬか”の瀬戸際に迫られて実施したものです」
隣国が困っているときに助け船も出さないくせに、横合いから難癖ばかりつけてくる--。
孔祥熙の心境を表すならば、それに尽きるだろう。だが今回のような局面は過去に何度も経験し、その都度“煮え湯”を飲まされてきた--。
有吉の心境を代弁するならば、それに尽きる。
「日華の関係は政治情勢を抜きにして、“経済”のみでは成り立ちません。貴職が今回の新制度を英国側とのみ協議の上、抜き打ちで行ったという事実に対し、日本の国民感情は深刻な打撃を受けるに違いない」
すると孔は、「解せない」という表情で応戦した。
「貴大使は幣制改革に反対のご意向ですが、改革は貴国の高橋蔵相にもご指導いただいた“自力更生”の趣旨に沿った内容となっているはずです」
そう言われると心許なくなった有吉は、幣制改革がリース=ロスの借款に基づいて行われたのかを探ったが、孔は「借款は今のところ成立していない」という。
まるで煙に巻かれたようだったが、「とにかく、幣制改革により銀行および日本人が不当な権利侵害を被らないよう、細心の注意を払ってもらいたい」と要望して会談を終えた。
「みんなアイツのせいだっ!」
孔祥熙を相手に取り付く島もなかった有吉の怒りの矛先は、当然、リース=ロスへと向かった。ところが意外や、目の前に現れた英国人は「驚いたのはこちらの方だ」といった顔つきをしているではないか。
「小職の考えでは、先ず民国の各銀行の内情を十分に調査し、中央銀行の組織を改善するとともに、本位制など原理論をよく研究した上で提言をまとめようとしていたのです。それには少なくともあと三週間は要すると踏んでいました」
鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした有吉に、英国人は肩をすくめてこう続けた。
「それが……、先週末の金融市場が酷くひっ迫したため、早急に何とかしなければならないとのことで、孔祥熙らがゴリ押ししたもののようです。自分も事後になって財政部顧問アーサー=ヤングからそう聞かされ、驚いた次第です」--。
これが「リース=ロスの幣制改革」と言われる中華民国の通貨制度近代化の顛末となる。
状況証拠から見るならば、彼が予告していた通りのプランが実行された。だがこの言葉を“額面通り”に受け取るならば、改革を主導したのが果たしてリース=ロス自身なのか、疑わしくなる。
あるいは彼自身も結局は、孔祥熙らに一杯食わされたのかもしれない。
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