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第十五章リース=ロスの幣制改革

第十五章第四十五節(政変)

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                四十五

 投機筋の活動はいよいよし激しくなり、対外為替の乱高下は当局の手に負えない状態へと至った。
 横浜正金よこはましょうきん銀行の矢吹敬一やぶきけいいち支店長は十月三十日、宋子文そうしぶんと会談する。そのときの宋の様子から、「近く南京政府は何らかの措置をとってくるだろう」との印象を深くした。

「民国政府は十一月四日を期して平価を一ドル=一シリング二ペンスないしは二ペンス半へ切下げるとの噂が広まっている」
 翌三十一日、朝鮮銀行の服部岱三はっとりたいぞう支店長は現地の金城銀行副支配人から内密の情報を仕入れてきた。英系のスタンダード・チャータード銀行支配人からも同様の噂を聞いていた服部は、「政府はついに為替の売り支えを放棄し、何らかの措置を講ずるに違いない」と確信した。

 上海の金融界が緊張の面持ちで事態の推移を見守っていた折も折の翌十一月一日、ショッキングな事件が起こった。
 南京で開催中の「国民党中央執行委員会第六次全体会議」で汪兆銘おうちょうめい行政委員長が狙撃され、重傷を負ったのだ。
 背後から放たれた凶弾は、三発が命中。汪は即死を免れたものの、行政委員長の職務から退くこととなった。そればかりか後継を託された臨時行政委員長には、汪兆銘と真逆の政策を志向する孔祥熙こうしょうき財政部長が指名されたのである。
 このことは、汪兆銘と蒋介石しょうかいせきの連立政府が志向してきた日華親善の「協和外交」が反転することを意味した。実際、これを境に日華両国には再び険悪な空気が漂うことになる。
 
 翌日、上海の各銀行には預金者が長蛇の列を作った。
「孔祥熙は強硬なインフレ政策を執る」との思惑が広がって債券市場は売り一色となり、立ち合いを一時中断せざるを得ない場面も出てきた。そんな混乱のさなか、孔の指示を受けた張公権ちょうこうけん有吉明ありよしあきら大使の許へやってきた。

 出し抜けに起こった政変を経てすっかりヒトの変わった張は、有吉へ「今年三月に公表した通り中央、中国、交通の三銀行へ紙幣発行権を集中し、三行が発行する紙幣を法定通貨とした上で銀との兌換を停止する」旨を通告してきた。しかも、「ついては外国銀行が保有する現銀を法貨により等価で買い上げたい」と言い、さらに「平衡税を引き上げることについて、日本側の賛成を得たい」と告げてきた。
 ことが専門的な内容だっただけに有吉は即答を避け、すぐさま正金銀へ矢吹支店長を呼びにやった。

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