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第十五章リース=ロスの幣制改革

第十五章第三十九節(耐久力)

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                三十九

 玄界灘げんかいなだを渡ったリース=ロスは九月二十三日、上海を素通りして南京へ入った。そこで休暇から戻った汪兆銘おうちょうめい委員長や孔祥熙こうしょうき財政部長ら政府要人の歓迎を受け、孔部長の別荘に落ち着いた。
 以後、彼はこの別荘を拠点に幣制改革に取り組む。

 満洲事変時のライヒマンにも同じことが言えるが、この辺りの欧米人の清廉せいれんさを欠いた振る舞いには理解に苦しむところがある。
 そもそも英国政府が派遣した特使なのだから、英国政府が住居を手配するのが本筋だろう。経済財政への救済策に関して“公正な判断”を下すと言いつつ財政部長の“私邸”に居候いそうろうするなど、まったく首をかしげざるを得ない。事実、ライヒマンは国際聯盟衛生部長という役職にありながら、完全に民国サイドに立った情報宣伝活動を繰り広げ、南京の欧米人社会からあからさまに後ろ指を指された次第である。
 俗に「人の振り見て我が振り直せ」と言うが、これを踏まえて英国政府は何も痛痒つうようを感じなかったのだろうか--?

 ともあれ、大使へ昇格したアレクサンダー・ガドガンがリース=ロスを伴って上海の有吉明ありよしあきら大使の許へ現れたのは、三日後の二十六日のことだ。
「民国経済の救済には何よりも政情の安定が大前提となります。この点で日本のご協力に多大なる期待を寄せています」
 経済活動が正常に行われるには、何より“治安の維持”が前提条件となる。だがこの頃、実際には前年から続いた河北方面での小競り合いに起因して、南京政府部内の権力争いはし烈化。政情はすでに不安定化している。加えて日本軍も満洲国を守るために長城以北へ「緩衝地帯」を設けようと暗躍しているとの世評がかまびすしい。
 東京での会談がよほど心外だったのだろう。リース=ロスは時候の挨拶に皮肉めいた言い方を織り交ぜた訳だ。

 有吉は一応の話を聞いた後、素人を諭すような口調でこう言った。
「大陸の経済は誠に摩訶不思議まかふしぎなもので、先進国で観測されてきた法則に沿って動くとは限りません。昨今の民国の財政は、あたかも今日破綻するとか、明日には経済恐慌をきたすなどと言われますが、そうしたことは本職が二十年以上前に上海へ駐在した頃からずっと言われ続けてきました。ところが未だに一度も“破綻”とやらを見たことがないのです」
(この人物もやはりそうなのか……)
 リース=ロスの脳裏を東京での不愉快な記憶がよぎった。

 それでも有吉は、「是非とも言っておかねばならない」という態度で言い足した。

「この国の経済は我々の感覚とは比較にならない、異常なほどの耐久力を持っているということを、是非ともお含みおきいただきたい」
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