風紋（Sand Ripples）～あの頃だってそうだった～

第十五章リース＝ロスの幣制改革

第十五章第三十四節（天皇謁見）

　　　　　　　　　　　　　　　　三十四

　「在華大使付き経済顧問」という肩書や、「あくまで民国の“通貨問題”を研究する」という本人の言辞に反して、リース＝ロスの極東訪問は “鳴り物入り”でことが進んだ。

　リース＝ロス本人が“不服”とした日本の新聞報道は、彼の通貨調整の目的が「民国の通貨をポンドにリンクさせるところにある」という内容だった。ロバート・クライブ駐日大使はこれを「事実無根」と否定したが、上海のアレクサンダー・カドガン大使が「リース＝ロスが到着するまで借款話は一切凍結する」と言い出したものだから、日華双方から「それ見ろ！」という声が上がった。
　
　日本と英国の間がザワつき始めたのを尻目に、南京政府の本音が那辺なへんにあるのかますます分からなくなってきた。
　孔祥熙こうしょうきは南京の須磨弥吉郎すまやきちろう総領事へ、銀の密輸出に関する日本側の取り締まり強化を感謝しつつ、「民国の要望にもかかわらず銀は主としてロンドンや香港から米国へ輸出されている」と不満を漏らしながらも、他方では英国へ借款ないしは「クレジット」のかたちで“信用”を与えるよう求め続けた。

　前述の通り、借款の担保の主なものは関税収入だが、昨今の民国は「輸入超過」の状態にある。安易な借款に注意を促す須磨に対して孔祥熙は、「貿易を改善させるためにも日華の紡績合弁化が不可欠」と詰め寄って来た。

　だが筆者が“鳴り物入り”と言うのは、この件ではない。
　英政府が一介の大蔵省“専門家”による昭和天皇への拝謁を求めてきたことである－－。
　この件は先ずロバート・クライブ駐日大使から外務本省へ打診してきた。さらに九月十二日、国王ジョージ五世の親書をもって正式に要請してきた。
　ちょうど一年前の「バーンビー使節団」のときは、一行の行く先が満洲であることに当時の駐日民国公使から猛抗議を受けたこともあって謁見は見送られたが、今回はそうした妨害もなくすんなり実現した。

　「平成」の終わりごろ、天皇の信任状奉呈式に“平服”でやってきた米国大使に何にも感ずるところのなかった現在の日本人にはあまりピンと来ないかもしれないが、いくら英国王の親書を携えてきたとは言え、一介の役人が天皇への謁見を求めてくるなどちょっと度を越していると思わざるを得ない。
　事前の新聞論調といい、彼の来日が関係者から決して“歓迎”を受けたものではないことだけは、確かなようだ。