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第十五章リース=ロスの幣制改革

第十五章第三十二節(旅程)

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                三十二

「大陸における日本の優位性は、誰も疑いを入れるものではありません」
 リース=ロス卿が初めて日本側に接触してきたのは七月一日のことだった。ロンドンの日本大使館へ松平を訪ねてきた。

「日華両国の諒解を取り付けずに英国単独で何もできないのは当然です。取り分け日本の協力を得られなければ、何事も前には進みません」
 そうやって初対面の挨拶を交わしたリース=ロスへ、松平は当たり障りのない探りを入れた。
「極東へはどのような経路で赴くおつもりで?」

「今のところ、直接日本へ行って、それから上海へ入るつもりですが、先般の新聞にはそれに先立ってワシントンへ行くと報じられました。恐らく米政府も今回のことについて相当の関心を寄せているのでしょう。自分の知らないところで“新聞人事”がささやかれている模様です」
 リース=ロスはそう言ってニヤリと笑った。
「フランス政府も同様に経済顧問を派遣する予定だそうです。日本におかれても、ぜひとも現地へ専門家を送られるよう希望します」

 初対面の挨拶からいきなり日英の共同歩調へと話を進めてきた。かなり性急な性格の持ち主のようだ--。
 相手のペースに釣られないよう、松平はサラリと身をかわして話を続けた。
「もしワシントンへ立ち寄ったとするならば、どのような旅程になりますか?」
「ワシントンからバンクーバーへ直行し、八月二十二日発のエンプレス・オブ・エシア号に乗って太平洋を渡ることになるでしょう。横浜へは九月六日に到着する予定です。東京には二、三日滞在するつもりですが、場合によっては一週間になるかも知れません」
 ここまで言い切るのだから、すでに旅程は確定しているのだろう。恐らく南京政府側ともある程度すり合わせが出来ているのかもしれない。

 むしろ不確定なのは、日英間の意思の疎通である。そこでいきなり日本大使館へ乗り込んできたという訳か--。慣れ親しんだ英国外務省とは相いれないやり方に、何となく反りの合わないものを感じて黙っていたら、自分で話の接ぎ穂を見つけてきた。

「自分の極東行きが取り沙汰されてから、日本の新聞報道に大きな誤解や疑惑の論調が目立ちます」
「ほう、誤解とおっしゃると?」
 彼が何を言わんとしているかは察せられたが、松平は意地悪く相手にそれを言わせた。
「本職の極東行は決して政治的な目的や役割を担うものではありません。ただあくまで、民国の“通貨問題”を研究し、どのような解決策が見いだせるかを考究しにいくのです」
 その言い方は、彼が抱えるもどかしさを如実に表していた。

「これは貴職の方がご専門でしょうが、通貨はくれぐれも慎重に取り扱わねばならないものです」--。
  “専門家”としてそんなことは百も承知だろうが、松平は目の前の人物のあまりの性急さに年長者としてつい戒めの言葉が口を伝った。
 その真意は果たして伝わったのか?
 相手はこう重ねた。

「ロンドンへ伝えられる情報を見る限り、民国の不況は極めて深刻です。このまま放置すれば、経済破綻をきたすのは目に見えています。もはや一刻の猶予もありません」
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