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第十五章リース=ロスの幣制改革

第十五章第二十六節(副作用)

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                二十六
 
 これまでも何度か繰り返したが、民国経済をただならぬ状態へと至らせた最大の原因は米国の銀買い上げ政策だ。
 そして三菱銀行上海支店の吉田政治支店長は、この政策に対する批判の急先鋒である。

 吉田と宋子文そうしぶんが急速に親交を結ぶようになった経緯にも、吉田のこの主張があった。
「当初は彼も乗り気だったのです。私は、浙江財閥せっこうざいばつ御曹司おんぞうしとして、彼単独でも十分に米国側と渡り合えるだろうと踏んでいたのですが、そのうち、『本当に日本は仲介役を務めてくれるのか』と気にするようになりました……」
 
 吉田に言われるまでもなく、南京政府は何度も米国へ政策の見直しを求めた。上海の銀行公会は三四年二月二十日付で、ルーズベルト大統領に宛て「急激な銀価格の上昇は民国経済に重大な打撃を与える」と電請し、その五日後には上海外人協会からも同様の電報を送っている。

 財政部長の孔祥熙こうしょうきは同年八月二十日、上海の米国領事館を通じて前年締結した「八カ国銀協定」の精神に準拠するよう訴えている。これに対して米政府は、自国の銀買上げ政策が協定に反するものではないと反論しつつ、同時に「民国側と協議するにはやぶさかでない」との回答を発信した。
 残念ながらこの回答は、電信の不具合によって到着が遅れたから、南京側は再度ワシントンの施肇基しちょうき大使を通じてコーデル・ハル国務長官宛へ、「銀価の高騰が民国経済を恐慌に陥れる恐れがある」と訴え、これ以上の銀流出を招くような行動を抑制するよう求めた。

 孔部長は十月にもハル長官宛てに米国の銀買い上げを制限するよう懇願したが、折り返しハル長官から返って来たのはこれまでと同じく、「米政府の銀政策は法令上避けられないものの、実行に際しては民国政府の意思をできるだけ考慮する」という毒にも薬にもならない空約束のみであった。さらに続けて、「貨幣本位問題に対しては、さらに友誼ゆうぎ的な対話をする余地がある」と言ってきたものの、民国側ではもはやこの種の言辞が外交的、儀礼的なものに過ぎず、何ら実行を伴わないものと諦めた。
 
 その後も何とかして銀の流出を抑えたい南京政府は九月八日、外国為替管理令を発し、思惑的な外国為替の売買と金業交易所における外貨決済を禁じた。
しかし同法令は治外法権を有する外国銀行や外人ブローカーへの拘束力が伴わず、実質的に二か月余りで有名無実化した。

 次いで政府は銀の輸出税を十パーセントへ引き上げ、ロンドの銀塊ぎんかい相場と中央銀行の公定為替相場に差がある場合は平衡税を課して銀の流出を止めようとした。これらの政策は国内の銀価格上昇を抑えるには有効だったが、海外の銀価格の騰貴には追い付かなかった。このため、却って銀の密輸出を増進させるという副作用を誘発してしまった。

 三四年の十一月に孔祥熙こうしょうき宋子文そうしぶんが香港上海銀行へ借款を打診するまでには、こうしたいきさつがあったのだった。
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