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第十四章上海事変

第十四章第四十九節(停戦)

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                四十九

 三月一日未明、荒天を衝いて上海へと渡った第十一師団主力は、さらに揚子江を遡上して呉淞の北北西にある七丫口チーヤコウへ上陸した。第十九路軍を背後から押し出す戦略だ。
 港湾鎮こうわんちんの第九師団も最後の力を振り絞って「第三次総攻撃」を敢行する。

 もしここで南京政府が追加の増援部隊を送り込んでいたら、日本軍はさらに苦戦を強いられだろう。戦闘は長期化、国際輿論の圧力を受けて撤退を余儀なくされたかもしれない。
 極東の大陸においては“力”こそが均衡の礎となる。もしここで軍がくじければ、その影響は居留民たちへ及ぶ。ひいてはこの土地に日本人は止まれなくなっただろう。大陸各地から日本軍全部隊、全日本人が追い出される結果を招いたに違いない。

 ここで問題となるのが、二月十二日に南京から駆け付けた蒋介石直属の八十七師と八十八師の役割だ。
 日本軍も果たしてこれら部隊がどのような任務を帯びてきたかに戸惑った。

 当初は第十九路軍への援軍と思われた彼らだが、二月四日に青帮チンパン杜張とちょうから「該軍隊は南京政府により早晩解決(散?)される運命にあり、どの道潰れるものならば、日本軍と一戦を交えて面目を保ちたいとの決意を持っている」との情報を得ていた。
 その後の偵察や間諜からの情報を総合すると、やはり十九路軍を監視する目的で派遣されたということが分かった。
 廟巷鎮びょうこうちんに混成第二十四旅団をくぎ付けにした第八十七師は、予想外の方面からやって来た日本軍と“鉢合わせ”になったことのようだ。
 
 味方の援助が受けられないと知った蔡廷鍇さいていかい軍長は午後八時、ついに総退却を決意した。そして二時間後の午後十一時を期して退却を開始するよう命令を発した。
 
 日付の変わった二日午前二時、休むことなく全戦線に響き渡ってきた銃砲声は途絶え、低く垂れこめた鈍色の雲とどんより重い静けさだけが荒廃した原野に残った。斥候たちはひとしく前方の敵陣から人影が消えたとの報告を上申した。
 同日午後二時、白川大将の声明が発せられた。
 
 「今や民国軍は帝国陸軍が当初要求した距離の外へ退却し、帝国臣民の安全と上海租界の平和は回復の兆しを認められるにいたった。これをもって本職は、民国軍に対しこれ以上の敵対行動をとらない限りしばらく軍を現在地に止め、戦闘行動を中止することにした」

 上海事変は終結した。

 植田師団長の「最後通牒」に「本軍は中華民国国民政府の統轄するところの軍隊にして、その一切の行動たるやことごとく国民政府の命令に従うものとなす」と返した蔡廷楷さいていかい軍長だが、彼らはその政府に切って捨てられたのだった。
 
 まさに土壇場の滑り込みだったが、聯盟総会前に停戦が実現したことで、対日経済制裁決議も見送られることとなった。
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