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第十四章上海事変

第十四章第四十七節(港湾鎮)

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                四十七

 上陸の第一陣を担った久留米第十二師団隷下の混成第二十四師団は二月七日、市街から遠く離れた呉淞ウースン鉄道桟橋さんばしに上陸した。
 黄浦江が揚子江へと注ぎ込む合流点が呉淞だ。二つの川が交差する中洲は上海の入り口として古くからの戦略的要地をなしてきた。十九世紀にはここに砲台が構築され。以来、黄浦江を遡上する船に睨みを利かせてきた。

 二月四日、日本の駆逐艦がこの砲台から砲撃を受けた。これをきっかけに日本軍は市街戦を闘う陸戦隊の支援と砲台の制圧という二正面作戦を取ることになる。
 これに助けられて十三日には金沢第九師団が黄浦江を遡上。虹口ホンキュウの日本郵船碼頭マートウへ上陸した。
 師団長の植田謙吉中将はすぐさま上陸部隊を上海市東部の楊樹浦へ集結させ、さらに呉淞方面へと展開。そこから閘北にいたる南北一線となって、第十九路軍を上海の西側へ押し出す作戦を立てた。

 植田師団長が発した「最後通牒」は結果的に第三国方面の対日批判を強め、敵軍の態度を一層硬化させた。かくして二十日午前七時、師団はついに戦闘行動を開始した。
 呉淞方面から上海市街へと進軍する上で戦略上の要所となったのが、上海北方約二十四キロにある港湾鎮こうわんちんとその北西にある廟巷鎮びょうこうちんという部落だ。

 陸戦隊と同様に陸軍もまた敵をあなどっていた。最大の理由は作戦開始前に偵察機がもたらした誤情報にある。偵察機は港湾鎮から流出する人馬の列を敵軍の退却と取り違え、これを真に受けた第九師団幕僚たちも作戦は容易に終わると高を括ってしまったのだ。
 実際のところ偵察機が見た人馬の列は、街を離れる避難民たちの姿であった。

 陣地構築は古くから華人の得意とするところだ。港湾鎮に立てこもった敵も何層もの塹壕を掘り、街全体をひとつの要塞に仕立てて待ち構えていた。彼らの装備は確かに貧弱だったが、上海特有の地形が彼らに加勢した。

 そもそも上海とは揚子江が運んできた泥濘が何千年もかけて堆積した末にできあがった陸地である。
 このため土壌はぬかるみ勝ちで、そこにクリークと呼ばれる河川がメロンの表皮のような網を織りなしている。クリークとは「小川」の意だが、その幅は普通で十メートルほど、大きなものでは百メートルにもおよぶ。水深は最低二メートルあって、水底の泥は深く徒歩での渡河はほぼ不可能だ。水の引いたクリークはそのまま深い溝となって残り、辺り一面に深さ三メートルほどの水壕が縦横無尽に広がっていた。

 こんな地形だったから、騎兵はおろか日本軍が誇る近代兵器もここではほとんど役に立たなかった。泥の中で戦車は足を取られ、航空機が投下する爆撃や大口径砲の砲弾も泥にめり込むばかりで満足な威力を発揮しなかった。

 これらに加え、日本軍の手許には全く不正確な地図しかなかった。未知の地形と敵情の不明、暗夜という三重苦のなかで第九師団は数々の悲劇に見舞われる。
 第十九路軍の抵抗は思いのほか強く、二月二十日から三日間の戦闘で第九師団側の損害は戦死二百十二人、負傷六百十一人、行方不明四人となった。

 廟巷鎮を攻めに行った混成第二十四旅団も、これとほぼ同様の“憂き目”にあった。後年、帝国陸軍に語り継がれる「肉弾三勇士」の戦場伝説は、この戦場で生まれた。
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