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第十四章上海事変

第十四章第四十五節(第二回報告書)

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                四十五

 ここへきてひとつ訂正せねばならないことがある--。

 日本を除く上海領事団からなる調査委員会の「第二回報告書」が二月十二日、ジュネーブで公表された。それによれば、日本の海軍機が閘北ざほくへ爆弾を投じたのは第二回目の停戦協議が物別れに終わった後のことで、二月一日だという。それまではあくまで偵察および“威嚇”が目的で、飛行機に爆弾は搭載していなかった。

 日本の総領事を除いた“欠席裁判”の状態で書かれた報告書にしてそうなのだ。
 では本章第十八節に引用した、一月二十九日付のアーベント記者の記事はいったい何だったのだろうか--? 

 ジュネーブからこれを報じたクラレンス・ストリート記者は、そんなことには一切触れずにしれっと「上海において戦端が開かれたのは(二月)三日のことだ」と書いた。
 図らずもこのことが立証したのは、空爆の始まる前から租界の輿論は「アンチ日本」に染まっていたということだ。
 そこで報告書は別の理由を引っ張り出した。

 「攻撃は完全に日本側から行われた。(中略)そもそも完全なる休戦協定は存在せず、かつ中立国のオブザーバーによる監視が行われていなかったから、協定破りの責任がどちら側に帰するかを判定するのは困難だ。
協定破棄後に状況は極めて悪化した。日本の陸戦隊と在郷軍人らに即決処刑など数知れない“行き過ぎ”があった。日本側に逮捕され、あるいは殺害されたと信じられる多数の華人が行方不明となっている。工部局は二月五日、領事団にこの件を日本側へ照会するよう求めた」
 
 上海の重光葵しげみつまもる公使は「攻撃が日本側から行われた」との記述に対し、「日本側は受けた攻撃に反撃しただけだ」と事実誤認を批判した。また行方不明者は二百七十人に上ると見積もられたが、「華人のことだからいち早く逃亡し、所在の分からなくなった者たちに違いない。仮に行方不明が本当だったにせよ、日本側がこれを殺害したり拘禁したなどと推測されるいわれはない」と反駁した。

 “便衣兵”の処刑は合法か違法か--?
 法律家肌の“天上人てんじょうびと”らによる議論が延々と闘わされ、「日本の残虐性」のみが喧伝された。だが何人なんぴとたりとも “便衣兵”が出没し、老若男女からなる義勇軍が建物の陰から狙撃してくることへの“恐怖”には思いを馳せなかった。
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