上 下
394 / 466
第十四章上海事変

第十四章第四十四節(広東派)

しおりを挟む
                                               四十四

 都合の悪いことには口をつぐむ--。
 これもまた“独善家”のひとつの習性である。

 「九カ国条約とグアム要塞との間には何らのバーターも存在しなかった」という日本側の指摘に取り合わず、スチムソン国務長官はまたまたユニークな発言でボロを出した。
 法律家の価値観はどこまでも書面の上を離れない。だから第九師団の植田師団長が第十九路軍へ「二〇キロ撤退するよう」迫ったことに、スチムソン長官は「自軍は退かずに相手方へのみ撤退を迫るのは、民国の主権を侵すものだ」といって憤慨した。アメリカの“平和主義者”や国際聯盟の理事たちも、これまで以上に険悪な視線を投げかけてきた。
 この議論がいかに滑稽であるかは、極東の大陸に起こる出来ごとはどこまでも俗人的だという“現実”に目を向けたときにはじめてわかる。

 第十九路軍は広東派の陳銘枢ちんめいすうが部下の蔡廷楷さいていかい蔣光鼐しょうこうがいに編成させた部隊で、将兵もみな広東出身だ。
 もとはと言えば陳は親蒋介石しょうかいせきで、本章第十四節に書いたように蒋介石に忠誠を誓う軍勢だった。だがそれはちょっと前までの話で、前年夏の「第三次囲剿いそう戦」が頓挫すると、陳は蒋介石の指導力に疑問を抱き反蒋派へ転じたのだった。

 その年の十月に南京政府と広東政府の和平交渉が進展すると、広東側は妥協の前提条件として第十九路軍の京滬けいこ※移駐を要求し、満洲事変の責任を問われて立場の危うくなっていた蒋介石もやむなくこれに応諾した。同年十一月上旬には移駐を完了している。
 ※京滬=現在この言葉は北京と上海という意味に使われるが、この当時は南京と上海を指した。「滬」は上海の意味。

 その後、満洲事変の詰め腹を切らされるかたちで蒋介石は下野し、年末には孫科そんかおよび陳友仁ちんゆうじんら広東派が南京政府乗っ取りに成功する。その間第十九路軍は終始、孫、陳等を武力的に支える支柱として京滬方面に居座り続けた。
 ところが孫も陳も南京政府を維持できず、政府は再び蒋介石派が実権を握る。下野した孫や陳等は対日融和策に偏りがちな蒋介石への“嫌がらせ”をする目的で、上海方面から盛んに対日絶交を唱えた。

 従って上海事変の背景となった排日排日貨に関しても、日本の朝野は「国民党の仕業」と叫んだが南京側は「広東派の策動だ」と言い続けた。だから北満の馬占山ばせんざん将軍のときとは異なって、南京政府は上海事変を「広東派が十九路軍を使嗾し惹起させたもの」と等閑視した。

 こうした素性と現状を踏まえ、第九師団は第十九路軍との「停戦交渉」は現実的でないと判断した。それ故に「租界及び居留邦人に対する緊急重大なる危険に顧み同軍の危険区域撤退を要求」したのだった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

鈍牛 

綿涙粉緒
歴史・時代
     浅草一体を取り仕切る目明かし大親分、藤五郎。  町内の民草はもちろん、十手持ちの役人ですら道を開けて頭をさげようかという男だ。    そんな男の二つ名は、鈍牛。    これは、鈍く光る角をたたえた、眼光鋭き牛の物語である。

局中法度

夢酔藤山
歴史・時代
局中法度は絶対の掟。 士道に叛く行ないの者が負う責め。 鉄の掟も、バレなきゃいいだろうという甘い考えを持つ者には意味を為さない。 新選組は甘えを決して見逃さぬというのに……。

大日本帝国、アラスカを購入して無双する

雨宮 徹
歴史・時代
1853年、ロシア帝国はクリミア戦争で敗戦し、財政難に悩んでいた。友好国アメリカにアラスカ購入を打診するも、失敗に終わる。1867年、すでに大日本帝国へと生まれ変わっていた日本がアラスカを購入すると金鉱や油田が発見されて……。 大日本帝国VS全世界、ここに開幕! ※架空の日本史・世界史です。 ※分かりやすくするように、領土や登場人物など世界情勢を大きく変えています。 ※ツッコミどころ満載ですが、ご勘弁を。

処理中です...