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第十四章上海事変

第十四章第三十八節(ボラーへの手紙)

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                三十八

 英米が主導して二月二日付の「四カ国共同声明」を発したものの、英国の保守党内閣は表立って日本と“こと”を構えたがらなかった。ジュネーブでは二月十二日、中華民国代表が「規約第十六条」に訴え出たのを受けて十二カ国委員会が招集されたが、ここでも敢えて“火中の栗”を拾いに行こうとする者はいなかった。
 片やワシントンの国務省は、遠からず日本の有権者も“熱病”から冷めるだろうと様子見を決め込んでいた。
 各国政府が優柔不断な態度を取り続けるなか、世界の公衆は日本への敵意を募らせ、「対日経済制裁」を声高に叫んだ。

 日増しに激しさを増す国内輿論に押され、また日本の総選挙結果を受けて、スチムソン長官もようやく重い腰を上げる。
 とは言っても、この度もすっかり彼の“十八番おはこ”となった「手紙外交」に打って出たのだった……。

 スチムソン長官は二月二十四日、ボラー外交委員長へ宛てた手紙という体裁で、日本および英・仏・伊など中華大陸に密接な関係を有する諸国へ向けた声明を発表した。それはこれまでの「覚書」とは比較にならないほど長文だったが、要点をまとめると次の四つになる。

 「一、合衆国政府は日本の中華大陸における軍事行動に対し、我が国が列国との間で結んだ厳粛なる条約に違反するものであると見なす。
  二、英国の現与党である保守党に対しては、米国のフーバー政権と呼応して日本に『門戸開放政策』を再確認するよう促す。
  三、日本が『九カ国条約』の見直しを図る会議を提唱しようが、上海における武力行動によってこれを破棄しようが、同条約は合衆国が太平洋における海軍の軍縮および要塞建設を犠牲にして締結したものであることを注意喚起する。
  四、来る三月三日の聯盟総会に出席する各国へは合衆国政府と足並みを揃え、世界の言論の力によって日本にその無法者ぶりを倫理的に覚らせるよう働きかける。それによって中華民国の奪われた主権を旧態へ復さしめる」

 するとすぐさま、日本の外務省スポークスマンがこれに噛みついた。

 「一九二一、二二年のワシントン軍縮会議において、海軍軍縮と九カ国条約の間にはいかなるバーターも存在しなかった」
 
 第十三章第四十三節に書いた通り、合衆国海軍がグアムとフィリピンに建設中だった要塞は、当時日本領だった台湾への最大の脅威だった。このため帝国海軍は日露戦争後に目指してきた「八八艦隊構想」を断念し、かつ虎の子の「日英同盟」まで破棄して意味のない「四カ国条約」に署名したのである。
 つまりスチムソン氏が指摘すべきは「九カ国条約」ではなく「四カ国条約」の方で、同条約の締結にあたっては日本側の譲歩が大きかったのだ。外務省は取りも直さずそのことを指摘した。
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