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第十四章上海事変

第十四章第十七節(不統一)

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                十七


 日本の汽船で上海へ到着したアーベント記者が、いよいよ筆を執るのは二十五日付の記事からとなる。

 北平(北京)で満州事変を取材した記者の対日観は、決して良いものではなかったようだ。

 「日本軍、今日にも行動か」と題した彼の記事は、書き出しから「今夜(二十四日)、日本の陸戦隊千四百名が上海に上陸した」と実際より三倍の数字を挙げ、対する第十九師へは「恐怖に駆られた五千人に満たない兵士たち」と憐憫れんびんの情を注ぐ。

 ところが肝心の記事本文は、同日の午後三時半に上海郊外の龍華飛行場付近で火薬類が暴発して三十五人の華人が死亡したという内容だった。
 市内はすでに緊張の糸が張りつめていたから、記事が示す通りこの爆発音によって「市が凍り付いた」のは確かだろう。しかしそんな偶発事を日本の軍事行動と結びつけられても困ってしまうのだが……。

 しかもこの日は、抗日義勇軍の決死隊が重光葵しげみつまもる公使公邸の壁を乗り越え、建物を放火するという事件が起こる。火は幸い警備員の手ですぐに消し止められたが、抗日会がいよいよ直接行動に打って出たことを意味する。
 またこの晩、ガールフレンドを乗せて夜半のドライブを楽しんでいたアメリカン・エキスプレス社のアルバート・ポージ博士が、車を止めて波止場を眺めていたところを民国軍の歩哨に射殺されるという事件も発生している。

 日華の緊張に巻き込まれて外国人が犠牲となったのだが、これらの話は「日本の脅威」の陰にちょこんと小さく座っているのみだった。

 満洲と同様、圧倒的な武力で“弱き華人”をねじ伏せる“邪悪な日本人”という図式でズンズン記事を書き進めようとした記者だが、図らずも翌二十六日、彼が長年気にかけてきたこの国、この政府、この社会の欠点が浮き彫りになる。
 南京政府の顧維欽こいきん外交部長が辞任を表明したのだ。対日融和策に走りがちな蒋介石しょうかいせき将軍の政策が彼の外交政策と合わないことを理由にした辞任劇だが、この辞任は政府の「不統一」をあらためて浮き彫りにした。
 以下、記者は米人経営の上海地元紙『上海イブニングポスト・アンド・マーキュリーズ』から社説を引用するかたちで彼自身の問題意識を披歴した。

 「皇帝ネロが滅びゆくローマの行く末に無関心だったことなど、権力抗争に明け暮れる南京の指導者たちに比べれば、“ちょっとした怠慢”に過ぎない。国内に抱える種々の危機や対日政策に処するためには、“権力”と“責任”の統一が不可欠なのだ」

 「統一不在の対価は、この国の主権喪失と政府という形骸に崩壊をもたらした。いま危機に直面しているこの国にあって、いかなる“裏切者”といえどもこれ以上内政を悪化させるものはないだろう」

 これこそは、芳澤謙吉よしざわけんきちがジュネーブやパリで訴え続けたことそのものではなかったか? 
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