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第十四章上海事変

第十四章第九節(本気)

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 居留民たちが声明文中に「不渡り手形」と呼んだ通り、呉鉄城ごてつじょう市長から村井倉末むらいくらまつ総領事へ約束した四項目の善後策は、“舌の根も乾かぬうちに”破られた。

 二十一日付の『民国日報』は、青年同志会らによる三友実業襲撃事件を報じた際、事件は「日本海軍陸戦隊の扇動せんどうによるもの」と書き立てたのだ。
 当然、今度は陸戦隊が黙っていなかった。
 鮫島大佐は即座に参謀の土山広端中尉を新聞社へ向かわせ、編集主幹による陳謝と訂正記事の掲載、執筆を担当した記者の処分を申し入れる。居留民も抗議集会を開き、海軍陸戦隊本部前までデモ行進を行うなど、緊張は一気に高まった。

 そうなると、さすがに“立つ瀬”のなくなった村井総領事にもようやくギアが入る。
幸い、満洲事変当初とは内閣が入れ替わっていたから、現場の興奮に東京が冷や水を浴びせることもなかった。となれば官僚の変わり身は早い。そしてひとたび「やる」となったら徹底的にやるのも日本の官僚である。
 村井総領事は即日呉市長を訪れ、今度ばかりは日本側も譲れない旨をとくと説明し、十六日に示した四項目の要求を受諾するよう説得する。

 日本の本気度はカタチだけのものだけではなくなった。この日、揚子江流域の警備を担当する第一遣外けんがい艦隊司令官の塩澤幸一しおざわこういち少将も、次の声明を発表して呉市長に決断を迫る。

 「本職は上海市長に帝国総領事の提出せる抗日会解散および日本僧侶暴行事件の要求を容れ、速やかに満足なる回答ならびにその履行を要望す。万一これに反する場合においては、帝国の権益擁護のため適当と信ずる手段に出ずる決心なり」
 
 これと連動して東京の海軍省も、青島チンタオに停泊中の巡洋艦大井と駆逐艦四隻、水上機空母の能登呂のとろを上海へ回航させ呉市長へ圧力をかけた。
 次いで二十二日には、内地から巡洋艦二隻と空母一隻、駆逐艦十二隻を上海近海へ派遣し、陸戦隊九百二十五人を上陸させると発表した。

 上海の財界もこれに呼応する。
 上海の主要産業をなす日系紡績同業会は二十三日、「事態がこのまま改善しないなら、二月一日からすべての工場を閉鎖し職工を『ロックアウト』する」と決議した。
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