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第二部第十三章スチムソンドクトリン
第十三章第三十七節(予防措置)
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三十七
さてすっかり忘れられてしまっただろうが、ここまでの長々とした話はすべて、「スチムソン・ドクトリン」につながる「ブライアンの覚書」を説明するための文章である。
だから本題は、肝心の「覚書」だ。
日本政府が最後通牒を発するに際して第五号の希望事項をすべて撤回したのは、欧米諸国から等しく賞賛をもって迎えられた。井上勝之助大使が危惧した英国輿論もすっかり論調を変え、『クロニクル』紙などは「同盟国に対する不義理を理由に日本を攻撃する向きもあるが、これらには何ら根拠がない」と論じた。
この間のヨーロッパ人たちの心情をうまく綴ったのが、『イヴニング・スタンダード』紙に載せられた次の文章だ。
「もし日本が欧州戦争の時機を利用してあくまで侵略的かつ強硬な態度を示したならば、時局は恐らく非常なる戦禍を見ることとなったろう。だが幸いにしてそのようなことは起こらなかった」
また『クロニクル』紙は「日華交渉は東洋風の外交に沿って双方が“掛け値”を用いた押し問答の末に結局、『最後通牒』を見てようやく決着した。(日本の)要求内容は在米ドイツ派新聞と北京によって(中略)甚だしく誇大に吹聴された」と交渉を振り返った。
グレー外相は五月十日、井上大使に向けて「今回の最終提案は、日本国の寛大さと節度(moderation)を一般に印象付け、日本国の威信(prestige)を高めた」と花向けの言葉を贈った。
この頃のアメリカの新聞は「ルシタニア号事件」で持ちきりだったため、極東の件はわずかに『ニューヨーク・イヴニング・ポスト』紙が「日華間の妥協は大陸における日本の地位を、同国に対してよりむしろ他国に対して強く印象付けた」と書いた。同紙は交渉において膠州湾還付を約束した点を高く評価し、「(この交渉が)中華民国の独立もしくは領土保全を侵犯すると言うのは、事実とほど遠いと言わざるを得ない」と論じた。
自国の新聞論調とは相反して五月十三日、東京の米国代理大使が加藤外相を訪ね、ブライアン国務長官の「口上書」を差し出した。そこにはこうあった。
「米国政府は大日本帝国政府へ以下のことを通知する栄誉に浴するものである。曰く、合衆国政府はアメリカおよびアメリカ人が中華民国において有する政治上、領土保全上、また『門戸開放』政策として国際間に定着している条約上の権利を侵害するようないかなる合意事項をも承認することはできない」
これが件の「ブライアンの覚書」である。
あたかも祭りの後の“最後っ屁”のような 「捨て台詞」に、加藤高明外相は不快の色を隠さなかった。即座に代理大使へ「今さらかくの如きを申し入れられる米国政府の動機はいかなるものか?」と尋ねたが、返ってきた答えは「真意は分かり兼ねるものの、単に記録に留めんとしたのではないでしょうか」というものだった。
しかし、いやしくも主権国家へ向けた申し入れである。ただ聞き流す訳にもいかないから、ワシントンの珍田大使へ命じて国務長官本人へ真意を尋ねさせた。
ところがこちらも「将来に対する『予防措置』に過ぎません」と、これまた不得要領の返答しか得られなかった。
加藤外相は、あるいは英米法ではそのような予防措置が必要なのかも知れないと思い、グリーン英大使に聞いてみた。すると英大使も、「今にいたってそんな申し入れなど、まったく解し難い」と首を傾げた。
さてすっかり忘れられてしまっただろうが、ここまでの長々とした話はすべて、「スチムソン・ドクトリン」につながる「ブライアンの覚書」を説明するための文章である。
だから本題は、肝心の「覚書」だ。
日本政府が最後通牒を発するに際して第五号の希望事項をすべて撤回したのは、欧米諸国から等しく賞賛をもって迎えられた。井上勝之助大使が危惧した英国輿論もすっかり論調を変え、『クロニクル』紙などは「同盟国に対する不義理を理由に日本を攻撃する向きもあるが、これらには何ら根拠がない」と論じた。
この間のヨーロッパ人たちの心情をうまく綴ったのが、『イヴニング・スタンダード』紙に載せられた次の文章だ。
「もし日本が欧州戦争の時機を利用してあくまで侵略的かつ強硬な態度を示したならば、時局は恐らく非常なる戦禍を見ることとなったろう。だが幸いにしてそのようなことは起こらなかった」
また『クロニクル』紙は「日華交渉は東洋風の外交に沿って双方が“掛け値”を用いた押し問答の末に結局、『最後通牒』を見てようやく決着した。(日本の)要求内容は在米ドイツ派新聞と北京によって(中略)甚だしく誇大に吹聴された」と交渉を振り返った。
グレー外相は五月十日、井上大使に向けて「今回の最終提案は、日本国の寛大さと節度(moderation)を一般に印象付け、日本国の威信(prestige)を高めた」と花向けの言葉を贈った。
この頃のアメリカの新聞は「ルシタニア号事件」で持ちきりだったため、極東の件はわずかに『ニューヨーク・イヴニング・ポスト』紙が「日華間の妥協は大陸における日本の地位を、同国に対してよりむしろ他国に対して強く印象付けた」と書いた。同紙は交渉において膠州湾還付を約束した点を高く評価し、「(この交渉が)中華民国の独立もしくは領土保全を侵犯すると言うのは、事実とほど遠いと言わざるを得ない」と論じた。
自国の新聞論調とは相反して五月十三日、東京の米国代理大使が加藤外相を訪ね、ブライアン国務長官の「口上書」を差し出した。そこにはこうあった。
「米国政府は大日本帝国政府へ以下のことを通知する栄誉に浴するものである。曰く、合衆国政府はアメリカおよびアメリカ人が中華民国において有する政治上、領土保全上、また『門戸開放』政策として国際間に定着している条約上の権利を侵害するようないかなる合意事項をも承認することはできない」
これが件の「ブライアンの覚書」である。
あたかも祭りの後の“最後っ屁”のような 「捨て台詞」に、加藤高明外相は不快の色を隠さなかった。即座に代理大使へ「今さらかくの如きを申し入れられる米国政府の動機はいかなるものか?」と尋ねたが、返ってきた答えは「真意は分かり兼ねるものの、単に記録に留めんとしたのではないでしょうか」というものだった。
しかし、いやしくも主権国家へ向けた申し入れである。ただ聞き流す訳にもいかないから、ワシントンの珍田大使へ命じて国務長官本人へ真意を尋ねさせた。
ところがこちらも「将来に対する『予防措置』に過ぎません」と、これまた不得要領の返答しか得られなかった。
加藤外相は、あるいは英米法ではそのような予防措置が必要なのかも知れないと思い、グリーン英大使に聞いてみた。すると英大使も、「今にいたってそんな申し入れなど、まったく解し難い」と首を傾げた。
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