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第二部第十三章スチムソンドクトリン

第十三章第三十五節(誤解)

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                三十五

 日本が最後通牒を発するとの知らせは相変わらず北京発の偏向がかった報道として、五月五日付のロイター電や「タイムズ紙」を通じて報じられた。

 日華交渉の経緯は先に見た通りだが、この間英国のエドワード・グレー外相は日本政府との約束を順守して、議会における野党の追及にもかかわらず一切の沈黙を守った。
 このため、新聞輿論は完全に北京からの虚実交えた誤情報に引きずられ、いつの間にやら「欧州大戦にともなう列強の留守をいいことに、日本が極東の大陸へ無理難題を吹っかけ、力でねじ伏せようとしている」との認識がひろまってしまった。
 この様子をロンドンの井上勝之助大使は、次のように伝えている。

 「当国輿論は今や、概して我が要求をもって支那の独立及び保全また機会均等主義に抵触し、併せて英国既得利益を侵害するものなるやに解し、日英同盟の精神を没却するものとして我らに対し不快の念を抱き居る……」

 “恐らく”だが、このときの誤解こそが後に伝わる「日本の大陸侵略論」のプロトタイプとなるのだろう。もちろん誤認が一気に広がったのではなく、寄せては返す波のごとく広まっては立ち消え、再度現れては雲散霧消を繰り返した果てに定着しただろうが……。

 誤解は結構深刻で、同盟国のグレー外相ですら一部条項を誤認し、日本へ再考を求めようとしていたほどである。
 このため英米仏露に駐箚ちゅうさつする日本大使たちは、鋭意この誤解を解きつつ日本が譲歩に譲歩を重ねたことや、北京側が突然態度を豹変させ一度は撤回した膠州湾こうしゅうわん租借地の無条件還付や日独講和会議への出席、膠州湾攻撃に際して発生した各種損害の賠償請求など理不尽な要求を突き付けてきたことなどを、事細かに説明した。
 
 とくにイギリスではこの努力が報いられ、グレー外相は「日本側の最終案は大いなる譲歩と認められる。北京側もこれを受諾するのが得策だ」と、交渉妥結への側面支援を約束してくれた。フランスやロシアは始めから一貫して日本の主張を支持してきたから、むしろ最後通牒を「当然のこと」と支持した。

 同様に、ワシントンの珍田大使もブライアン国務長官へ経緯を説明した。ところが長官だけは、これら諸国と全く違う考えを開陳してきた。
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