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第二部第十三章スチムソンドクトリン

第十三章第二十二節(三月十三日付覚書)

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                二十二

 英国政府は日本の要求事項の内容よりも、交渉によって日英と北京の三者関係にどのような影を落とすかに重きを置き、ひいては「日英同盟」へどう跳ね返るかを注視した。
 これに反して「二十一箇条」の条項そのものに執着したのがアメリカ国務省だった。

 まだ日本の「希望事項」の中身すら明らかでない二月二十日の段階で、勇んで覚書を発したブライアン国務長官は、その二日後に珍田大使から日本の希望七箇条の通知を得た。それでこと収まるかと思いきや、今度は大判リーガルサイズに二十頁という極めて長文の「覚書」を発したのだった。
 この「三月十三日付覚書」は「二十一箇条問題」を論議する上で無視できないものだが、「スチムソン・ドクトリン」の元となった覚書とは異なる。彼らはまた別の覚書を出してくるのだ。
 不思議なことに国務省は、これを珍田大使へ直接手渡すのではなく日本大使館へ郵送で送ってきた。

 珍田大使はこれを十五日に受け取ったが、あまりに長文だったため翌十六日発の船便に乗せ、概要のみ電報で報告してきた。

 長大な「覚書」の半分を占めたのは、過去に米国が関わった諸条約のリマインドだった。
 先ず一八九九年に英独仏露日伊の六カ国へ送った三箇条の提議と当時の青木周蔵外相から送って返した日本政府の返答、次いで一九〇〇年七月に英独仏露日墺伊七カ国で回した「廻文状かいぶんじょう」と同年八月の「支那に関する英独協約」および日本政府の公文、さらに満洲に関する一九〇一年の「露清協約」を巡る日米間の交換文書……。
 これらを列挙して、「今回の日本の要求は、これら条約によって確保された米国人の権利に抵触する」と論難してきた。

 もっともワシントンは、満蒙や山東における日本の地位については「特に異論を差し挟むつもりはない」と是認した。ただし希望事項の第四項に挙げた「武器の購入」と第六項の「福建省における優先権」が「機会均等」の原則に反するとして、「待った」を掛けてきたのだ。

 また第一項の「顧問の招へい」に関しても、「北京政府の外国人顧問二十五人のうち、すでに日本人が最多の六人を占めている」と指摘。「これ以上増やせとの要求は、実質的に日本人で過半を占めるよう求めているのと同じだ」と、危惧の念を伝えた。併せて項三項の日華合同による警察機構の構築に対しても、「日華人間のトラブルを減らすよりかえって一層の困難を醸成する懸念がある」と論評。結果的に中華民国の「領土保全を傷つけるとは言わないまでも、政治上の独立や統一を侵害するに至る」と異議を唱えた。

 「要求」と「希望」とでは異なる点を十分理解した「覚書」は、福建省が台湾の対岸に当たるという地政学上の特殊事情にも一定の理解を示した。しかしいかなる事情であれ、「一国民に特殊選択権を与えれば商業上に幾多の不利益を生ずる」として、座視できない旨を表明した。
 その上で「もしこれら事項を強要したならば、華人の憤怒を誘発するばかりか関係諸国の反発も招いて日本政府の浴せざる状態を創り出すことになろう」とくぎを刺した。

 つまり大げさな前振りをした割には、本題は極めて抽象的な「原則」の再確認に終始した。それでも英国が日本の「二十一箇条」に対して“懸念”を伝えるにとどまったのに比して、米国はより積極的に「思いとどまるよう」を訴えかけてきた点は見逃せない。

 「対華二十一箇条問題」は日華二国間の外交交渉だが、これら第三国からの干渉や北京、ニューヨークを舞台にした情報かく乱という要素を抜きに語ったのでは極めて“片手落ち”なのである。
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