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第二部第十三章スチムソンドクトリン

第十三章第二十節(コミュニケ)

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 アメリカ合衆国がドイツへ宣戦布告したのは一九一七年四月六日のこと--。
 つまり「二十一箇条問題」から二年後となる。

 アメリカが欧州の大戦への参戦をためらったのは、「欧州のめ事に捲き込まれない」という国是の「モンロー主義」もさることながら、当時のアメリカで“ドイツ系移民”の占める割合が高く輿論への影響度が強かったためとされている。

 昭和十五(一九四〇)年、第二次近衛内閣の外務大臣だった松岡洋右まつおかようすけが「日独伊三国同盟」の締結に傾斜していったのも、この時の記憶が脳裏に焼き付いたがためだ。
「ドイツを取り込めば、アメリカとの戦争を避けられる」--。
 そんなはかない期待を抱きつつ、彼は本来好きでもないドイツと手を結んだ。しかも不幸にしてこの同盟を理由に彼は「A級戦犯」の指定を受け、獄死する運命を辿った。

 そんな訳で……、ドイツ人記者たちが北京から送った記事の多くがニューヨークを経て世界中へ拡散された。先述の通り北京発の情報は種々の思惑を孕んでいたから、字義通りに受け取らない読者も多かった。しかしこれがニューヨークで“洗浄”されて世界へ広がったと言ってよい。
 交渉そのものを攪乱させる--、というより「同盟国」の離間を図りたい者たちは、はじめに列強諸国政府の干渉を誘って協議を頓挫させようとした。だが英仏露政府当局が慎重だったこともあり、その目論見は失敗に終わった。そこで今度は新聞輿論に目を付けて、列国の大衆を扇動しにかかったのだ。
 彼らの狙いは見事に当たった。

 政府間交渉の真っ最中に第三国の「大衆輿論」が沸騰し、本来の交渉を阻害しかねない勢いになってきた--。ここでやっかいなのは、交渉当事国にもそれぞれの国内輿論があるということだ。
 すでに第三国経由で交渉の中身が一部漏れ伝わって、日華双方の国民感情を刺激している。そうなるとどちら側の政府も国民の手前、一歩も退けなくなるのだ。

 そこで危惧を覚えた日本政府は二十四日、得意でもない「コミュニケ」を発して過熱する報道へ一石を投じた。

 「日本政府が北京政府へ提示した『要求』に関する北京発ニューヨーク経由の報道は、そのほとんどが著しく事実から歪曲されている。列強、なかんずく同盟国イギリスへ内密に伝えられたとする条項には、反駁せずにはおけないほどの誇張が加えられている。(中略)現在進行中の日華交渉の詳細には立ち入らないものの、いわゆる『要求』が共和国の主権を侵し、列国が唱えてきた『機会均等』の原則に反する何等の独占を求めるものでないことは明らかだ。にも関わらず日本の信用を貶め、同盟国との離間を図らんとする悪意ある試みが行われつつある。日本外交は従前どおり、またこれからも、常識と名誉ある関係性を土台とするものである」
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