315 / 466
第二部第十三章スチムソンドクトリン
第十三章第九節(ブライアンの不承認)
しおりを挟む
九
ところでスチムソン長官が「ドクトリン」のモデルにしたという、「一九一五年の覚書」とは何だろうか--?
答えは第四十一代国務長官のウィリアム・ブライアンが発した「覚書」を指す。
あまり知られていないが、ブライアンが発したから「ブライアンの不承認」と呼ばれている。
そのブライアン氏が「覚書」を発したのは、日本の「対華二十一箇条要求」に向けてのことだった。従って「ブライアンの不承認」を理解するには、先ず「二十一箇条問題」をひも解く必要がある--。
日本政府が俗に「二十一箇条問題」と呼ばれる日華交渉を提議した背景には、満洲の権益にまつわる長年の“懸案”があった。懸案は多岐にわたるが、先ず最優先は関東州の租借期限延長と満鉄経営権の期間延長である。
周知の通り、日露戦争後のポーツマス条約に基づき日本はロシア帝国から遼東半島南端の旅順・大連、いわゆる「関東州」の租借権譲り受けた。この租借権はロシア帝国と清国の間に結ばれた、二十五年間の有期契約だったから、その期限が八年後の一九二三年に迫っていたのだ。
また時期は異なるが、満鉄および奉天と朝鮮を結ぶ安奉線の経営権も同様で、日本政府は折を見て中華民国政府と期限延長に関する交渉を行う必要があった。
そこへ欧州方面から降って湧いたのが第一次世界大戦だった。
同盟国イギリスの要請に基づき極東および太平洋方面におけるドイツ勢力の駆逐に任じた日本軍は、用意周到なる砲撃戦により敵の青島要塞を撃破し、膠州湾を封鎖してこれらを占領した。
戦争によって得た占領地を継承するのは当然の権利だが、本来その継承は戦後の講和条約のなかで決められる。それが第三国の領土内にある「租借地」だった場合、先ず租借権を擁する国と協定を結び、次いで領土権を有する政府へその内容を承認させる。
日露戦争後の満洲における権益継承はこの手順に従った。今回は先ずドイツ側と協商を結ぶのが筋である。
ところが欧州の大戦は泥沼化し、戦争がいつ終結するのか見当がつかなくなった。そこで関東州の租借期限延長を急ぎたい日本は、この順序を逆にして北京政府※の袁世凱へ交渉を持ち掛けた。
※辛亥革命後の中央政府が北京の袁世凱だったことに留意。袁と対立した孫文や李烈鈞、黄興ら南方諸省の有力者は一九一三年九月に「第二革命」を起こしたが、いとも簡単に鎮圧され日本へ亡命。秘密結社の「革命党」を結成して袁世凱の身辺を脅かしていた。
つまり「二十一箇条要求」とは、戦争の結果として日本が継承することとなる膠州湾の租借地を中華民国へ還付することを交換条件に、満洲における権益の承認を求めるという“等価交換”の外交交渉なのである。
ところでスチムソン長官が「ドクトリン」のモデルにしたという、「一九一五年の覚書」とは何だろうか--?
答えは第四十一代国務長官のウィリアム・ブライアンが発した「覚書」を指す。
あまり知られていないが、ブライアンが発したから「ブライアンの不承認」と呼ばれている。
そのブライアン氏が「覚書」を発したのは、日本の「対華二十一箇条要求」に向けてのことだった。従って「ブライアンの不承認」を理解するには、先ず「二十一箇条問題」をひも解く必要がある--。
日本政府が俗に「二十一箇条問題」と呼ばれる日華交渉を提議した背景には、満洲の権益にまつわる長年の“懸案”があった。懸案は多岐にわたるが、先ず最優先は関東州の租借期限延長と満鉄経営権の期間延長である。
周知の通り、日露戦争後のポーツマス条約に基づき日本はロシア帝国から遼東半島南端の旅順・大連、いわゆる「関東州」の租借権譲り受けた。この租借権はロシア帝国と清国の間に結ばれた、二十五年間の有期契約だったから、その期限が八年後の一九二三年に迫っていたのだ。
また時期は異なるが、満鉄および奉天と朝鮮を結ぶ安奉線の経営権も同様で、日本政府は折を見て中華民国政府と期限延長に関する交渉を行う必要があった。
そこへ欧州方面から降って湧いたのが第一次世界大戦だった。
同盟国イギリスの要請に基づき極東および太平洋方面におけるドイツ勢力の駆逐に任じた日本軍は、用意周到なる砲撃戦により敵の青島要塞を撃破し、膠州湾を封鎖してこれらを占領した。
戦争によって得た占領地を継承するのは当然の権利だが、本来その継承は戦後の講和条約のなかで決められる。それが第三国の領土内にある「租借地」だった場合、先ず租借権を擁する国と協定を結び、次いで領土権を有する政府へその内容を承認させる。
日露戦争後の満洲における権益継承はこの手順に従った。今回は先ずドイツ側と協商を結ぶのが筋である。
ところが欧州の大戦は泥沼化し、戦争がいつ終結するのか見当がつかなくなった。そこで関東州の租借期限延長を急ぎたい日本は、この順序を逆にして北京政府※の袁世凱へ交渉を持ち掛けた。
※辛亥革命後の中央政府が北京の袁世凱だったことに留意。袁と対立した孫文や李烈鈞、黄興ら南方諸省の有力者は一九一三年九月に「第二革命」を起こしたが、いとも簡単に鎮圧され日本へ亡命。秘密結社の「革命党」を結成して袁世凱の身辺を脅かしていた。
つまり「二十一箇条要求」とは、戦争の結果として日本が継承することとなる膠州湾の租借地を中華民国へ還付することを交換条件に、満洲における権益の承認を求めるという“等価交換”の外交交渉なのである。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
7
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる