313 / 466
第二部第十三章スチムソンドクトリン
第十三章第七節(馬を乗り違えたハリー)
しおりを挟む
七
乗馬好きで有名なスチムソン長官は、ある方面から「馬を乗り違えたハリー」というあだ名で呼ばれていたという。
南米に新たな国家が誕生する度に片っ端から「不承認」を声明しておきながら、比較的穏当なそれら政府が“革命党”に転覆され、後の祭りとなってからようやく国家承認を与えたというエピソードに由来するという。
羹に懲りたからなのか--? そんな気質のスチムソン長官がこと満州事変に限っては、極めて慎重な態度をして見せた。
長官自身の述懐によれば、それは当時の若槻礼次郎首相が一九三〇年のロンドン軍縮会議における日本の全権代表で、同じく米国代表のスチムソン長官と親しく交渉のテーブルを挟んだ間柄だったという、極めて個人的な因縁に基づいたという。
その真偽はともかくとして、スチムソン個人のみならず、国務省が組織として沈黙を守ったのは、この民政党内閣を攻撃すれば若槻や幣原の立場が危うくなり、「軍国主義者」たちの声が高まるという力学を重んじたからだ。
しかしそうして寄せた日本政府への信頼も、十月八日の錦州爆撃で大きく揺らいだ。
そんな折、奇しくもジュネーブの国際聯盟から理事会へ「オブザーバー」を派遣してはどうかと持ち掛けられた。
そもそも国際聯盟はウィルソン大統領の発案で発足しただけに、過去にも折に触れて合衆国を聯盟に引き入れようと、あの手この手を繰り出した。だが、「モンロー主義」を国是とする議会がどうしても首を縦に振らなかったため、聯盟との関りは“つかず離れず”のままだった。
関東軍による錦州爆撃は、そんな米国輿論に一石を投じた。聯盟はその潮の変わり目を見逃さなかった。
かくして聯盟理事会は米国代表ギルバートを得てすっかり気が大きくなった。
日華両国へ同文通牒を発してみたり、日本へ期限付き撤兵を求めたり、さらには経済封鎖や在京大公使の引き揚げをちらつかせるなど傍若無人に振舞い出したのは、これがためである。
清澤烈の言葉を借りれば、さすがに「これはちょっと薬が効きすぎた」と考え直したスチムソン長官は、急に態度を翻し、ギルバートへ「不戦条約にかかわる会議についてのみ出席するよう」訓令した。そして十一月の理事会にチャールズ・ドーズ駐英大使を送り、聯盟をいさめる方へ心血を注いだ。
その間、幣原外相は呉服屋の番頭のように頭を下げてばかりいた。しかも彼が理事会やワシントンへ頭を下げ、「もうこれ以上は軍隊を前へ出さない」と公約する度に、事実が前へ出てくる。そうするうちにスチムソン氏は出渕大使を信用しなくなった……。
乗馬好きで有名なスチムソン長官は、ある方面から「馬を乗り違えたハリー」というあだ名で呼ばれていたという。
南米に新たな国家が誕生する度に片っ端から「不承認」を声明しておきながら、比較的穏当なそれら政府が“革命党”に転覆され、後の祭りとなってからようやく国家承認を与えたというエピソードに由来するという。
羹に懲りたからなのか--? そんな気質のスチムソン長官がこと満州事変に限っては、極めて慎重な態度をして見せた。
長官自身の述懐によれば、それは当時の若槻礼次郎首相が一九三〇年のロンドン軍縮会議における日本の全権代表で、同じく米国代表のスチムソン長官と親しく交渉のテーブルを挟んだ間柄だったという、極めて個人的な因縁に基づいたという。
その真偽はともかくとして、スチムソン個人のみならず、国務省が組織として沈黙を守ったのは、この民政党内閣を攻撃すれば若槻や幣原の立場が危うくなり、「軍国主義者」たちの声が高まるという力学を重んじたからだ。
しかしそうして寄せた日本政府への信頼も、十月八日の錦州爆撃で大きく揺らいだ。
そんな折、奇しくもジュネーブの国際聯盟から理事会へ「オブザーバー」を派遣してはどうかと持ち掛けられた。
そもそも国際聯盟はウィルソン大統領の発案で発足しただけに、過去にも折に触れて合衆国を聯盟に引き入れようと、あの手この手を繰り出した。だが、「モンロー主義」を国是とする議会がどうしても首を縦に振らなかったため、聯盟との関りは“つかず離れず”のままだった。
関東軍による錦州爆撃は、そんな米国輿論に一石を投じた。聯盟はその潮の変わり目を見逃さなかった。
かくして聯盟理事会は米国代表ギルバートを得てすっかり気が大きくなった。
日華両国へ同文通牒を発してみたり、日本へ期限付き撤兵を求めたり、さらには経済封鎖や在京大公使の引き揚げをちらつかせるなど傍若無人に振舞い出したのは、これがためである。
清澤烈の言葉を借りれば、さすがに「これはちょっと薬が効きすぎた」と考え直したスチムソン長官は、急に態度を翻し、ギルバートへ「不戦条約にかかわる会議についてのみ出席するよう」訓令した。そして十一月の理事会にチャールズ・ドーズ駐英大使を送り、聯盟をいさめる方へ心血を注いだ。
その間、幣原外相は呉服屋の番頭のように頭を下げてばかりいた。しかも彼が理事会やワシントンへ頭を下げ、「もうこれ以上は軍隊を前へ出さない」と公約する度に、事実が前へ出てくる。そうするうちにスチムソン氏は出渕大使を信用しなくなった……。
0
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
鈍牛
綿涙粉緒
歴史・時代
浅草一体を取り仕切る目明かし大親分、藤五郎。
町内の民草はもちろん、十手持ちの役人ですら道を開けて頭をさげようかという男だ。
そんな男の二つ名は、鈍牛。
これは、鈍く光る角をたたえた、眼光鋭き牛の物語である。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
局中法度
夢酔藤山
歴史・時代
局中法度は絶対の掟。
士道に叛く行ないの者が負う責め。
鉄の掟も、バレなきゃいいだろうという甘い考えを持つ者には意味を為さない。
新選組は甘えを決して見逃さぬというのに……。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
大日本帝国、アラスカを購入して無双する
雨宮 徹
歴史・時代
1853年、ロシア帝国はクリミア戦争で敗戦し、財政難に悩んでいた。友好国アメリカにアラスカ購入を打診するも、失敗に終わる。1867年、すでに大日本帝国へと生まれ変わっていた日本がアラスカを購入すると金鉱や油田が発見されて……。
大日本帝国VS全世界、ここに開幕!
※架空の日本史・世界史です。
※分かりやすくするように、領土や登場人物など世界情勢を大きく変えています。
※ツッコミどころ満載ですが、ご勘弁を。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる