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第二部第十三章スチムソンドクトリン

第十三章第二節(友誼)

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                 二

 昭和天皇の詔勅しょうちょくは、正月五日から上京していた板垣征四郎いたがきせいしろう大佐が十三日に帰奉する際、携えてきた。大佐の帰り--というより勅語の現物--一を一日千秋の思いで待っていた奉天側は、翌十四日午前十一時から奉天高等女学校の講堂で仰々しく奉読式ほうどくしきを挙行した。
 
 ところで、昭和七年の年神様は日本政府の顔ぶればかりか聯盟理事会の主要メンバーまで変えてしまったようだ。
 ブリアン議長は病気を理由に退任し、議長職を同国代表のジョセフ・ポール=ボンクールへ引き継いだ。以前から辞任の噂があったエリック・ドラモンド総長も、すっかり精彩を欠いた“レイムダック”と化している。
 何より事変以来、ジュネーブにおける日本の“顔”として数々の論戦に臨んできた芳澤謙吉よしざわけんきち理事自身が、望外の外務大臣へ抜擢され帰国の途に就いた。沢田は留任し、芳澤の後任を副代表でベルギー大使の佐藤尚武さとうなおたけが継ぐかたちとなる。

 九月から三期にわたって開かれた理事会を通して、国際聯盟が発足以来の拠り所してきた“権威”や“威信”などの神通力は、東洋にまったく通用しないことが露呈してしまった。空気の抜けた風船のようにすっかりしおれてしまった聯盟とは対照的に、日本軍のチチハル侵攻を契機に独り気炎を吐き出したのが米国務省だった。

 ワシントンの出渕勝次でぶちかつじ大使は一月六日、スチムソン国務長官の招請しょうせいを受けてノースウエスト通り二十三番街にある国務省庁舎を訪れた。
 応接へ現れた国務長官の顔には、普段に増して困惑の色が浮かんでいた。出渕は張り付けた笑顔でこれに応えた。

「ここ数日の新聞は、合衆国と英国、フランスが満洲問題を巡って何らかの協議を行っているかのような書きぶりをしていますが、これらはまったく事実無根の誤報に過ぎません。閣下におかれてもよもやに受けておられるとは思いませんが、どうぞ誤解なきよう、くれぐれもお願いいたします」
 長官はこう切り出したが、要件はすでに新聞に予告されていた。この日の朝刊が「国務省は明日、重大な対日方針を公表する」と報じていたからだ。

「ええ、政権が交代しても引き続き両国の友誼ゆうぎを確認したいというのが本国政府の希望です」
 二人は心にもない言葉の往復で時候の挨拶に代えた。
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