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第十二章錦州
第十二章第三十五節(勇躍前進)
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三十五
午後五時頃、飯は出来上がったが茅野は戻ってこなかった。
「茅野君遅いなぁ」
横になったままの横田が何度かつぶやいたが、その時は特に誰も意に返さなかった。
そうして待っているうちに目の前の飯はどんどん冷めてくる。
「きっと、後方へ送る原稿でもあって、電話が通じるのを待っているのかもしれない。帰ってくるまで待とう」
彼らは取りあえず同僚へ義理立てをした。しかし、いくら待てども茅野は戻ってこない。さすがにこれ以上は待てないと、午後七時過ぎに三人は食事を済ませた。
それでも茅野は戻って来ない。
ここへきて特派員たちは何か尋常でないことが起こったのではないかと、そわそわし始めた。家の中で気を揉んでいても仕方ないからと、松尾が双陽甸駅まで探しに出かけた。
駅へ着くと、そこにいたはずの装甲列車はなく、茅野の姿も見当たらなかった。兵隊が何人かいたので事情を尋ねると、列車は錦州の途中まで偵察に出たとのことだった。
松尾は茅野がちょうど列車の出発に出くわし、とっさの判断でそれに便乗して前方へ進んで行ったのだろうと推断し民家へ戻った。
午後九時頃になって朝日新聞の橋本特派員が四人の民家へ現れた。
橋本の語るところでは、案の定、装甲列車は茅野を乗せて二キロほど前方の小遼河へ偵察に出たという。
三人を驚かせたのは、橋本の次の一言だった。
「茅野君は徒歩で錦州へ潜入したよ」
橋本記者はさらに詳しく状況を説明した。
それによると、茅野と山口は前進した列車から降り、軍の入城に先駆けて徒歩で錦州へと向かったという。振り返れば三人が奉天支局を発った時点で、張学良軍は大遼河沿いに強固な要塞を構築し「徹底抗戦」を叫んでいた。
錦州攻略は大激戦が予想され、当然のことながら記者たちはこれを格好のネタにしようと目論み従軍した訳だ。
ところが日本軍が錦州へ近づくにつれて、大遼河に陣を構えた錦州軍は遼西方面へ退却を始めた。軍用列車が到着した頃には、要塞の中はもぬけの殻に等しかった。
軍にとっては味方に被害を出さず敵陣を占領できたのだから、作戦は大成功と言える。だが、報道にとってはおまんまの食い上げだ。
せめて軍より先に錦州への入城を果たしたいという記者の功名心が働いたとしても、不思議はない。
「時によっては勇躍前進しなければ特ダネは得られない」
社会部長・徳光衣城の訓示通り、茅野は危ない橋を渡った訳だ。その行為を「無謀」と切って捨てるのは、火中の栗を決して拾おうとしない外野の人間である。所属する社は違っても、同じ社会部員の心境は朝日の橋本が残した次の言葉によく表れていた。
「だがもう敵兵はいないから安全だ。茅野君は華々しく錦州初入城の報道を飛ばすことだろう」
つい数日前の十二月三十一日、溝帮子と営口の間にある小房身という部落で朝日新聞の通信員が連れ去られ、殺害された。満洲事変を取材する報道関係者に危害が及んだ最初のケースである。
それにもかかわらず、橋本記者は茅野の行為を「無謀」とは呼ばず、むしろ賛嘆して帰っていった。彼らはともに、職に命を張っているのである。
午後五時頃、飯は出来上がったが茅野は戻ってこなかった。
「茅野君遅いなぁ」
横になったままの横田が何度かつぶやいたが、その時は特に誰も意に返さなかった。
そうして待っているうちに目の前の飯はどんどん冷めてくる。
「きっと、後方へ送る原稿でもあって、電話が通じるのを待っているのかもしれない。帰ってくるまで待とう」
彼らは取りあえず同僚へ義理立てをした。しかし、いくら待てども茅野は戻ってこない。さすがにこれ以上は待てないと、午後七時過ぎに三人は食事を済ませた。
それでも茅野は戻って来ない。
ここへきて特派員たちは何か尋常でないことが起こったのではないかと、そわそわし始めた。家の中で気を揉んでいても仕方ないからと、松尾が双陽甸駅まで探しに出かけた。
駅へ着くと、そこにいたはずの装甲列車はなく、茅野の姿も見当たらなかった。兵隊が何人かいたので事情を尋ねると、列車は錦州の途中まで偵察に出たとのことだった。
松尾は茅野がちょうど列車の出発に出くわし、とっさの判断でそれに便乗して前方へ進んで行ったのだろうと推断し民家へ戻った。
午後九時頃になって朝日新聞の橋本特派員が四人の民家へ現れた。
橋本の語るところでは、案の定、装甲列車は茅野を乗せて二キロほど前方の小遼河へ偵察に出たという。
三人を驚かせたのは、橋本の次の一言だった。
「茅野君は徒歩で錦州へ潜入したよ」
橋本記者はさらに詳しく状況を説明した。
それによると、茅野と山口は前進した列車から降り、軍の入城に先駆けて徒歩で錦州へと向かったという。振り返れば三人が奉天支局を発った時点で、張学良軍は大遼河沿いに強固な要塞を構築し「徹底抗戦」を叫んでいた。
錦州攻略は大激戦が予想され、当然のことながら記者たちはこれを格好のネタにしようと目論み従軍した訳だ。
ところが日本軍が錦州へ近づくにつれて、大遼河に陣を構えた錦州軍は遼西方面へ退却を始めた。軍用列車が到着した頃には、要塞の中はもぬけの殻に等しかった。
軍にとっては味方に被害を出さず敵陣を占領できたのだから、作戦は大成功と言える。だが、報道にとってはおまんまの食い上げだ。
せめて軍より先に錦州への入城を果たしたいという記者の功名心が働いたとしても、不思議はない。
「時によっては勇躍前進しなければ特ダネは得られない」
社会部長・徳光衣城の訓示通り、茅野は危ない橋を渡った訳だ。その行為を「無謀」と切って捨てるのは、火中の栗を決して拾おうとしない外野の人間である。所属する社は違っても、同じ社会部員の心境は朝日の橋本が残した次の言葉によく表れていた。
「だがもう敵兵はいないから安全だ。茅野君は華々しく錦州初入城の報道を飛ばすことだろう」
つい数日前の十二月三十一日、溝帮子と営口の間にある小房身という部落で朝日新聞の通信員が連れ去られ、殺害された。満洲事変を取材する報道関係者に危害が及んだ最初のケースである。
それにもかかわらず、橋本記者は茅野の行為を「無謀」とは呼ばず、むしろ賛嘆して帰っていった。彼らはともに、職に命を張っているのである。
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