299 / 466
第十二章錦州
第十二章第三十四節(鶏の丸焼き)
しおりを挟む
三十四
関東軍は錦州入城を正月三日と定めた。
北寧線上には一路錦州へと向かう軍用列車が数珠つなぎの列をなした。
二日の午後には先頭を走る装甲列車が大遼河を渡り、錦州のひとつ手前にある双陽甸の駅に着いた。
我れ先にと錦州を目指すのは軍人ばかりではない。多数の報道陣が軍用列車に便乗して入城の時を待った。大毎奉天支局からも茅野、松尾、唐澤と横田の四名が従軍した。
錦州入城を明朝に控え、列車はここで一夜を明かすことになった。
大毎特派員の四人は駅前の華人民家を借りて、夕飯の支度に取り掛かった。最年少の横田は三十一日夜から激しい腹痛と下痢に見舞われ、民家に入るやすぐに額へ水手ぬぐいをあてて横になった。
「熱が高いようだから静かに寝ていた方がいいよ。みんな僕たちでやるから」
青白い顔で苦しそうに横たわる横田を気遣かったのが茅野だ。
横田は申し訳なさそうに、「すみません。まったく面目ない」と何度も繰り返した。
松尾がどこからか鶏の丸焼きを仕入れて戻ってきた。
「やぁっ、こりゃあ、いいものを見つけてきたな」
唐澤が小躍りしてそれを迎えた。
「横田君には悪いが、今夜はこいつでシッカリ英気を養うことにしよう」
待ち設けが続く記者たちにとって、唯一の楽しみは食事だ。松尾と唐澤は嬉々として夕食の準備に取りかかった。
メインディッシュとなる鶏の丸焼きは、赤茶けた表面に程よい焦げ目がついていかにもうまそうだ。かまどから煮汁が吹きこぼれ、白い湯気が立ち上る。部屋の中に温かい食べ物の匂いが漂うと、旺盛な食欲が呼び覚まされた。その視界の端に、力なく横臥する横田の姿が入ってきた。
「いま、粥を作ってやるから」
松尾が己の後ろめたさを覆い隠すように言った。茅野が横田の額の手ぬぐいを取り換えてやった。
「やあ、何だこりゃ。全然味がしない。奴らいったい何を考えてるんだ」
炊事中に肉を一切れつまみ食いした唐澤が声を上げた。
「ヒトがせっかく手に入れてきたものをつまみ食いなどしようとするからだろう。どれっ!?」
そういって、松尾も肉を一片口に入れた。
「ケッ! 何だ、こりゃあ。まったく塩気がない。そうと分かってりゃあ、塩もいっしょに手に入れてきたものをっ……」
疲れると塩分が欲しくなるのは正常な生体反応だ。今の記者たちには素材の味そのものよりも、少し塩辛いくらいの味付けが必要だった。
「確か山口君がリュックの中に醤油を持っていたはずだ。僕が行ってもらってこよう」
部屋の片隅で黙々と書き物をしていた茅野が立ち上がり、革のコートを引っつかんだ。
四人が間借りした民家は駅から歩いて十分ほどのところにある。くだんの山口馨一郎は停車中の装甲列車に残ったはずだ。茅野はちょっと一走りのつもりで手袋もはめずに出かけて行った。
関東軍は錦州入城を正月三日と定めた。
北寧線上には一路錦州へと向かう軍用列車が数珠つなぎの列をなした。
二日の午後には先頭を走る装甲列車が大遼河を渡り、錦州のひとつ手前にある双陽甸の駅に着いた。
我れ先にと錦州を目指すのは軍人ばかりではない。多数の報道陣が軍用列車に便乗して入城の時を待った。大毎奉天支局からも茅野、松尾、唐澤と横田の四名が従軍した。
錦州入城を明朝に控え、列車はここで一夜を明かすことになった。
大毎特派員の四人は駅前の華人民家を借りて、夕飯の支度に取り掛かった。最年少の横田は三十一日夜から激しい腹痛と下痢に見舞われ、民家に入るやすぐに額へ水手ぬぐいをあてて横になった。
「熱が高いようだから静かに寝ていた方がいいよ。みんな僕たちでやるから」
青白い顔で苦しそうに横たわる横田を気遣かったのが茅野だ。
横田は申し訳なさそうに、「すみません。まったく面目ない」と何度も繰り返した。
松尾がどこからか鶏の丸焼きを仕入れて戻ってきた。
「やぁっ、こりゃあ、いいものを見つけてきたな」
唐澤が小躍りしてそれを迎えた。
「横田君には悪いが、今夜はこいつでシッカリ英気を養うことにしよう」
待ち設けが続く記者たちにとって、唯一の楽しみは食事だ。松尾と唐澤は嬉々として夕食の準備に取りかかった。
メインディッシュとなる鶏の丸焼きは、赤茶けた表面に程よい焦げ目がついていかにもうまそうだ。かまどから煮汁が吹きこぼれ、白い湯気が立ち上る。部屋の中に温かい食べ物の匂いが漂うと、旺盛な食欲が呼び覚まされた。その視界の端に、力なく横臥する横田の姿が入ってきた。
「いま、粥を作ってやるから」
松尾が己の後ろめたさを覆い隠すように言った。茅野が横田の額の手ぬぐいを取り換えてやった。
「やあ、何だこりゃ。全然味がしない。奴らいったい何を考えてるんだ」
炊事中に肉を一切れつまみ食いした唐澤が声を上げた。
「ヒトがせっかく手に入れてきたものをつまみ食いなどしようとするからだろう。どれっ!?」
そういって、松尾も肉を一片口に入れた。
「ケッ! 何だ、こりゃあ。まったく塩気がない。そうと分かってりゃあ、塩もいっしょに手に入れてきたものをっ……」
疲れると塩分が欲しくなるのは正常な生体反応だ。今の記者たちには素材の味そのものよりも、少し塩辛いくらいの味付けが必要だった。
「確か山口君がリュックの中に醤油を持っていたはずだ。僕が行ってもらってこよう」
部屋の片隅で黙々と書き物をしていた茅野が立ち上がり、革のコートを引っつかんだ。
四人が間借りした民家は駅から歩いて十分ほどのところにある。くだんの山口馨一郎は停車中の装甲列車に残ったはずだ。茅野はちょっと一走りのつもりで手袋もはめずに出かけて行った。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
7
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる