風紋（Sand Ripples）～あの頃だってそうだった～

第十二章錦州

第十二章第二十八節（臨参命第九号）

　　　　　　　　　　　　　　　　二十八

　錦州攻撃は巨流河が結氷する来年一月に実施する－－。
　用兵上の観点から関東軍は作戦決行時期を定めた。それまでにできるだけ後顧こうこの憂うれいを断ち切っておきたい－－。

　遼西方面への兵匪の出没を抑えるには、その策源地さくげんちを各個撃破するのが最も有効だ。だがそれは、時間的、物理的に無理がある。半面、不完全ではあるが遼河りょうが河畔の要地を占領すれば、相当程度に兵匪の活動を抑え込めそうだ－－。

　そこで正面への作戦決行前に、可能な限り後方の兵匪を駆除することとした。
　ただこの時点で、第二師団はまだ昴々渓こうこうけいの闘いで被った損傷から十分に回復していなかった。このため独立守備隊の森連もりれん司令官へ発令し、「沿線警備のため、随時所要の部隊を遼河の線へ配置」させた。

　元来、沿線警備が本業の独立守備隊は、兵匪の素性や動きに最も通じている。司令官の森中将は奉天へ、兵匪を追い払うならば奉天北方の法庫門ほうこもんと南西の昌圖しょうとを叩くべきと具申し、十二月十七日に行動を開始した。
　残念ながらその動きは一歩先んじて敵の知るところとなり、兵匪の覆滅は果たせなかった。それでも敵は奥地へと逃亡してしまったので、一応のこと後顧の憂いは断ち切れた。
　
　この日はまた、関東軍が要請していた衛生隊が奉天へ到着する。そして夜半には金谷参謀総長から奉勅命令が届いた。「臨参命第九号」である。

　「一、満洲及び北支那に左の如く兵力を増加す。
　　　　　混成旅団一（第十師団より）
　　　　　戦車隊一、十五センチ榴弾砲大隊一（第十二師団より）
　　　　　十センチカノン砲中隊一（近衛師団より）
　　　　　自動車隊一（第一師団より）
　　　　　輸送監視隊二（近衛師団、第一師団より各一）
　　　　　患者輸送部班一（第一師団より）
　　　　　鉄道中隊一（近衛師団より）
　　　　　（中略）
　　二、近衛第一、第五、第十、第十二師団長はそれぞれ前項に示す部隊を満洲もしくは北支那に派遣し、関東軍司令官もしくは北支那駐屯軍司令官の隷下に入らしむべし。（中略）
　　三、細項に関しては参謀総長をして指示せしむ。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　昭和六年十二月十七日
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　参謀総長　金谷範三」

　増援部隊は十二月二十六日から二十八日頃大連着の予定だそうだ。
　思えば事変当初から、常に出先の先走りを抑えてきた金谷総長だったが、その在任の最後に発したのが関東軍への兵力増派命令だったというのは、何とも皮肉な話である。このときの彼の心情はいかばかりであったろうか－－？　今となっては知る由もない。