279 / 466
第十二章錦州
第十二章第十四節(茅野栄)
しおりを挟む
十四
関東軍のチチハル侵攻に記者十人を従軍させた朝日に比べ、大毎は完全に遅れを取っていた。だがさすがに陸軍が満洲への増兵に動いたとあって、遅まきながら記者たちの追加派遣に取り掛かる。
戦後、毎日新聞社会部の有志たちで出版した『社会部記者・大毎社会部七十年史』という著書に、このような下りが出てくる。
「十一月十九日午後四時すぎ、主幹・木戸元高が社会部長・徳光衣城を呼んだ。
『事変はさらに拡大する。社会部から二名を特派すべし』の命令だった。席へ戻ると同時に徳光は遊軍席の茅野栄に声をかけた。
『キミ、今夜すぐ発って満洲へ行ってくれたまえ』
書きかけの原稿から頭をあげた茅野は一瞬複雑な表情を走らせた。……あわただしい出発だった。
(中略)
旅装を整え社に引き返した茅野を徳光は別室に呼んだ。もう一人の特派員横田高明もいっしょだった。
『社会部員として特派されるのだから、君たちは尋常の働きではダメだ』
そのためには①通信連絡に留意、敏速な報道を心がける。②時によっては勇躍前進しなければ虎児(特ダネ)はとらえられない。③特ダネを狙うためには他社の気付かない中心人物を握ること――の三箇条を徳光はきびしく二人に要求した」
茅野栄は明治三十四(一九〇一)年岡山県琴浦町に生まれ、大正十五(一九二六)年東京商科大<現一ツ橋大>を卒業、東京日日新聞に入社した。社会部勤務を経て経済部に移った後、昭和五(一九三〇)年に十カ月間休職し欧米を私費旅行する。そして十一月から親会社の大阪毎日新聞へ、社会部員として復職する。
茅野は命じられた通り、その夜横田とともに大阪発十時二十分の列車で奉天へ向かった。
関東軍のチチハル侵攻に記者十人を従軍させた朝日に比べ、大毎は完全に遅れを取っていた。だがさすがに陸軍が満洲への増兵に動いたとあって、遅まきながら記者たちの追加派遣に取り掛かる。
戦後、毎日新聞社会部の有志たちで出版した『社会部記者・大毎社会部七十年史』という著書に、このような下りが出てくる。
「十一月十九日午後四時すぎ、主幹・木戸元高が社会部長・徳光衣城を呼んだ。
『事変はさらに拡大する。社会部から二名を特派すべし』の命令だった。席へ戻ると同時に徳光は遊軍席の茅野栄に声をかけた。
『キミ、今夜すぐ発って満洲へ行ってくれたまえ』
書きかけの原稿から頭をあげた茅野は一瞬複雑な表情を走らせた。……あわただしい出発だった。
(中略)
旅装を整え社に引き返した茅野を徳光は別室に呼んだ。もう一人の特派員横田高明もいっしょだった。
『社会部員として特派されるのだから、君たちは尋常の働きではダメだ』
そのためには①通信連絡に留意、敏速な報道を心がける。②時によっては勇躍前進しなければ虎児(特ダネ)はとらえられない。③特ダネを狙うためには他社の気付かない中心人物を握ること――の三箇条を徳光はきびしく二人に要求した」
茅野栄は明治三十四(一九〇一)年岡山県琴浦町に生まれ、大正十五(一九二六)年東京商科大<現一ツ橋大>を卒業、東京日日新聞に入社した。社会部勤務を経て経済部に移った後、昭和五(一九三〇)年に十カ月間休職し欧米を私費旅行する。そして十一月から親会社の大阪毎日新聞へ、社会部員として復職する。
茅野は命じられた通り、その夜横田とともに大阪発十時二十分の列車で奉天へ向かった。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
7
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる