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第十二章錦州

第十二章第十二節(裏切り)

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                 十二

 交渉は張学良のお膝元である北平においても行われ、東北辺防軍司令長官公署参議の湯爾和とうじわ矢野真やのまこと参事官が協議した。席上、湯は「王(樹常)の許には“日本通”が不在で、日頃から日本側との連絡が不十分だった。このため(交渉人として)周竜光しゅうりゅうこうを派遣する」こととなった。
 だがいくら政府首脳や上層部が理性的な話し合いを持っても、その結果が下へ伝わらない、伝わっても服従しないというのがこの民族の厄介はところである。

 時間が経つにつれて保安隊の間には「暴徒の鎮圧」という所期の目的を離れ、反日感情剝き出しの傍若無人な振る舞いが目立ちはじめた。
 十二日の午後になると、赤十字の旗を掲げた保安隊二十数名が日本側警備線の三百メートル前へと迫り、突如猛射を浴びせてきた。このほか民国側との会談を終えて帰途に就いた駐屯軍の三浦忠次郎みうらちゅうじろう参謀一行へ向け、背後から射撃してきた--などの通報が寄せられた。
 九日の朝から応射を差し控えてきた日本軍だが、さすがにこれには反撃を加えたため激しい撃ち合いとなり、現場は一時騒然とした。幸いひとしきり撃ち合いとなった後は銃声も衰え、大事にはいたらなかった。

 こうしたことが起こるたびに、日本側は王樹常主席へ命令の示達徹底を申し入れ、王主席も重ねて厳命を下すのだが、“暖簾に腕押し”とはこのことか--。
 夜のとばりが下りると再び保安隊が射撃を開始した。
 十三日午前一時に始まった銃撃は次第に度を増し、五時頃には機関銃、迫撃砲すら加わって、迫撃弾が日本租界へ降ってきた。

 十一日に定めた協定を実行に移すため、十四日午前八時半から民国側保安隊が日本租界内の捜索を開始。午前十一時までに捜査を完了した。
 それを待って今度は日華双方立ち合いの下で、連日猛射を浴びせてきた租界東南の城郭付近を視察した。するとそこには保安隊数百人が潜んでおり、租界境界線からわずか二、三十メートルの地点に電流を通した鉄条網を敷設した上で、土嚢を積み上げ堡塁を築き、機関銃まで据えていたのが現認された。
 この視察委員には北平から来た周竜光も随伴しており、民国側に言い逃れの余地はなかった。

 桑島は憤懣やるかたないといった口調で、本省へ宛てこう送った。

 「数日に亘る我が方の誠意ある交渉は見事に裏切られたり」 
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