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第十一章調査員派遣

第十一章第三十二節(馬賊)

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                三十二

 果たして日本側が主張するように、馬賊は本当に跳梁跋扈ちょうりょうばっこしているのだろうか?
 英国のオブザーバーがもたらした報告によって、英国政府内には遼西りょうせい方面に馬賊が跳梁しているという事態、どうも怪しいというムードが広がった。

 ロンドンでは十二月一日、松平大使とセシル卿が懇談した際にもこの話題が持ち上がった。松平はこの疑念を晴らすべく、日本軍は事変発生の前から実態を調査しているので情報は正確だと反論した。

「北平から汽車で北上してくるのだから、オブザーバーは錦州政府側から与えられる情報を頼りにするしかない。また、車窓から極めて限定的に視察を行い得るのみでは、とても馬賊の活動など分かろうはずもない」
 馬賊だって鉄道沿線に沿ってそう都合よく出没してくれる訳ではない。しかも彼らが盛んに出没するのは、日本側の勢力圏と接する錦州の北東、すなわち奉天寄りの地域である。

 日本側の主張によれば、馬賊は張学良ちょうがくりょう軍が使嗾しそうしているのだから、理屈の上から言っても錦州の南西、山海関へと向かう方面に出没する必要などない。まして北平(北京)から北上してくるのであれば、錦州政府の誰かが随伴することになろう。そうであれば自分たちに都合の良い情報ばかりをオブザーバーへ聞かせたとしても不思議はない。
 松平の反論はそういう趣旨だった。

 誇り高き大英帝国陸軍の駐在武官へ不審の目を向ける松平へ、セシルは「信じられない」という視線を投げた。
 だが松平はそれに構わず、「華人一流の心理として、日本軍が撤退した地域には後日必ず『日本軍を撃退した』とか、『日本は第三国の圧力を受けて撤退を余儀なくされた』といった言説が広まり、以前より一層傍若無人な振る舞いが横行することになる」と付け加えた。そして事実、英国オブザーバーの報告とは裏腹に、打虎山だこさんおよび溝帮子こうへいし方面の錦州軍は、さらに兵力を増していると繰り返し訴えた。

「このまま錦州軍が東進すれば、鉄道沿線の日本軍は南北に分断されるため、軍の安全上黙って見過ごす訳にはいきません」
 そう言って現在芳澤とブリアン議長で協議中の顧維鈞こいきん案がぜひとも実現するよう、後押しを求めた。

「起草委員会としても日本軍による馬賊掃討の必要を認めており、目下のような治安の下では、仮に外国の領土内であってもやむを得ないと考えています。しかし、理事の中には馬賊討伐を理由に軍事行動が際限なく行われるのを危惧する向きもあり、日本軍の出動に際しては外国の視察者を随伴すべきだとの声もあるのです」
 (いやいやセシルさん。それを言っているのはあなた自身でしょう……)。松平は微笑み返しながら、腹の中でつぶやいた。

 確かに戦場における観戦武官のように、外国の軍人が同行すれば馬賊討伐の実態を世界へ向けて発信できるだろう。だがそんな話は事件の外野にいる者たちが思い描く、“机上の空論”にほかならない。
「ある鮮人部落が馬賊に襲撃されたとき、一々外国の視察者へ通報してから軍を出動させるなど、とても不可能だ」

そうやってセシルの提案を一蹴した松平だが、彼が持ち出した事例もまた極端な話ではないか。それでもセシルはこの類の言葉遊びが大好物である。
「その場合は致し方ないが、できる限り視察者の同伴を許していただきたい」
 真剣な面持ちでそう返し、会談を終わらせた。
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